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寺内 (秋田市)

寺内
寺内の位置(秋田県内)
寺内
寺内
寺内の位置
北緯39度44分35.04秒 東経140度5分50.64秒 / 北緯39.7430667度 東経140.0974000度 / 39.7430667; 140.0974000
日本の旗 日本
都道府県 秋田県
市町村 秋田市
人口
2016年(平成28年)10月1日現在)[1]
 • 合計 2,070人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
011-0901
市外局番 018[2]
ナンバープレート 秋田

寺内(てらうち)は秋田県秋田市にある大字である。郵便番号は011-0901となる[3]。また、大字寺内に由来し「寺内」を冠した町名を持つ地区の総称でもある。各町の郵便番号は、寺内油田011-0903、寺内後城011-0906、寺内鵜ノ木011-0938、寺内大小路011-0908、寺内大畑011-0939、寺内神屋敷011-0905、寺内高野011-0937、寺内児桜011-0909、寺内堂ノ沢011-0902、寺内蛭根011-0904、寺内焼山011-0907。大字寺内と各町を合わせた人口は9,458人(2011年4月1日現在、住民基本台帳人口調査による[1])。

本項では、特に明記しない場合は地域総称としての寺内について述べる。

地理

秋田市の中心部から北西約5km、寺内山と称される古四王神社の鎮座する山を中心とした地区が寺内地区である。名称は古四王神社と一体となっていた四天王寺の寺内町であったことに由来する。

寺内山を中心とした丘陵は高清水丘陵といい、周辺は秋田城跡や後城遺跡といった遺跡と、古四王神社に代表される多数の神社仏閣、聖霊女子短期大学等の教育機関と高清水公園がある閑静な地区で、寺内山の西側にある護国神社への参道は並木となっている。住宅地は主に、高清水丘陵の東側や南側の平坦地に広がっている。また、西の秋田運河と国道7号に挟まれた区域には、工場倉庫、配送センターなどがある。

元々の大字寺内は現在の寺内地区よりも北や西に大きく広がっていたが、住居表示に関する法律に基づき住居表示が行われた際、新道や区画整理に合わせて広い範囲が大字寺内から離脱し、特に北側1/3ほどは土崎港や将軍野などの他地区になった。残存している小字は、他の寺内地区とまったく接しない飛び地となった字将軍野(陸上自衛隊秋田駐屯地の南半分)、同じく飛び地の字通穴、国道7号の西側にある字後城・字大小路・字神屋敷・字蛭根、八橋・泉・外旭川に接する字三千刈・字イサノの4箇所に分散している。

寺内地区全体としては、東・南は八橋、西は秋田運河を挟んで新屋向浜、北は土崎港将軍野と接する。

小字

17の小字が設置されていたが、うち9の小字は住居表示実施に伴う区画整理で全域が他地区へ編入され消滅した。

  • 字油田(あぶらでん) - 平成14年9月30日消滅
  • 字イサノ(いさの)
  • 字後城(うしろじょう)
  • 字鵜ノ木(うのき) - 平成15年10月1日消滅
  • 字大小路 (おおこうじ)
  • 字大畑(おおはた) - 平成15年10月1日消滅
  • 字神屋敷(かみやしき)
  • 字高野(こうや) - 平成15年10月1日消滅
  • 字児桜(こざくら) - 平成15年10月1日消滅
  • 字三千刈(さんぜんがり)
  • 字将軍野(しょうぐんの)
  • 字堂ノ沢(どうのさわ) - 平成15年10月1日消滅
  • 字通穴(とおりあな)
  • 字鳥屋場(とりやば) - 昭和53年4月1日消滅
  • 字蛭根(ひるね)
  • 字幕洗川(まくあらいかわ) - 昭和43年8月1日消滅
  • 字焼山(やけやま) - 平成15年10月1日消滅

河川

湖沼

世帯数と人口

2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

小字 世帯数 人口
寺内字イサノ 202世帯 432人
寺内字三千刈 628世帯 1,175人
寺内字将軍野 7世帯 429人
寺内字通穴 20世帯 34人
857世帯 2,070人

歴史

寺内は、秋田平野の中央部に位置する高清水丘陵を中心として、南北に広がる地区であった。寺内山にある、秋田県内で最も格式が高いとされた古四王神社は、658年の創建と伝えられる。また、高清水丘陵は歴史上では高清水岡とも呼ばれ、秋田県内で初めて役所出羽柵)が置かれた場所である。出羽柵から秋田城に改称した後、1050年頃の前九年の役を境に秋田城の名は廃れ、秋田城そのものも廃城になったと見られるが、秋田城跡からは12世紀から13世紀にかけての中世の遺構も発見されており、何らかの形で使用された可能性が高い。寺内後城の後城遺跡は、発掘物から推定される主要な年代が14世紀後半〜16世紀末であり、室町時代から織豊政権時代に至るまでの集落跡の遺跡である。発掘された陶器の産出場所(中国や越前肥前などの遠方)から、この時代には既に、海の豪族と称され湊城に拠点を構えた湊安東氏の影響があると考えられている。

江戸時代になり湊城が廃されると、佐竹義宣久保田藩内の街道整備を行った際、久保田城から土崎湊に至る羽州街道も寺内地区に新道を引くなどして整備された。これ以前に寺内地区を通る道は主に地区の西側を通過していたがこれは街道ではなく、古い街道は戸島四ツ小屋牛島一帯(久保田城南方)の雄物川の氾濫原を避けるためか後の羽州街道より大きく迂回しており[4]、寺内付近でも地区の北側を通っていた。羽州街道が整備されたことで、寺内地区の南側から中央部にかけての交通の便が著しく向上した。

明治に入ると、1869年明治2年)に戊辰戦争に殉じた戦没者が佐竹義堯によって高清水丘陵に祀られた。これは一旦焼失して久保田城址に移ったが、護国神社と改称された翌1940年に現在地となる高清水丘陵の秋田城跡に遷座した。平成2年に即位の礼に反対する過激派により放火され、社殿は全焼したが、2年後の平成4年に再建されている。

年表

字域の変遷

以下は明記あるものを除き住居表示実施に伴う変更。

実施前 実施年月日 実施後 備考
寺内字油田 平成14年9月30日 寺内油田一丁目
てらうちあぶらでんいっちょうめ
平成14年9月30日 寺内油田二丁目
てらうちあぶらでんにちょうめ
平成14年9月30日 寺内油田三丁目(一部)
てらうちあぶらでんさんちょうめ
平成14年9月30日 寺内堂ノ沢一丁目(一部)
てらうちどうのさわいっちょうめ
平成14年9月30日 八橋大道東(一部)
やばせだいどうひがし
寺内字イサノ 昭和57年5月1日 八橋イサノ二丁目(一部)
やばせいさのにちょうめ
(残存)寺内字イサノ
寺内字後城 昭和43年8月1日 土崎港南一丁目(一部)
つちざきみなとみなみいっちょうめ
平成15年10月1日 寺内後城(一部)
てらうちうしろじょう
(残存)寺内字後城
寺内字鵜ノ木 平成15年10月1日 寺内鵜ノ木(一部)
てらうちうのき
平成15年10月1日 寺内児桜一丁目(一部)
てらうちこざくらいっちょうめ
平成15年10月1日 寺内児桜二丁目(一部)
てらうちこざくらにちょうめ
寺内字大小路 平成15年10月1日 寺内後城(一部)
てらうちうしろじょう
平成15年10月1日 寺内大小路(一部)
てらうちおおこうじ
平成15年10月1日 寺内神屋敷(一部)
てらうちかみやしき
平成15年10月1日 寺内焼山(一部)
てらうちやけやま
(残存)寺内字大小路
寺内字大畑 昭和43年8月1日 将軍野南一丁目(一部)
しょうぐんのみなみいっちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港南三丁目(一部)
つちざきみなとみなみさんちょうめ
平成15年10月1日 寺内鵜ノ木(一部)
てらうちうのき
平成15年10月1日 寺内大畑
てらうちおおはた
平成15年10月1日 寺内高野(一部)
てらうちこうや
寺内字神屋敷 平成15年10月1日 寺内神屋敷(一部)
てらうちかみやしき
平成14年9月30日 寺内堂ノ沢二丁目(一部)
てらうちどうのさわにちょうめ
平成14年9月30日 寺内蛭根三丁目(一部)
てらうちひるねさんちょうめ
(残存)寺内字神屋敷
寺内字高野 昭和43年8月1日 将軍野南一丁目(一部)
しょうぐんのみなみいっちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南二丁目(一部)
しょうぐんのみなみにちょうめ
平成15年10月1日
昭和43年8月1日 将軍野南四丁目(一部)
しょうぐんのみなみよんちょうめ
平成15年10月1日 寺内高野(一部)
てらうちこうや
平成15年10月1日 寺内児桜三丁目(一部)
てらうちこざくらさんちょうめ
寺内字児桜 平成15年10月1日 寺内鵜ノ木(一部)
てらうちうのき
平成15年10月1日 寺内神屋敷(一部)
てらうちかみやしき
平成15年10月1日 寺内児桜一丁目(一部)
てらうちこざくらいっちょうめ
平成15年10月1日 寺内児桜二丁目(一部)
てらうちこざくらにちょうめ
平成15年10月1日 寺内児桜三丁目(一部)
てらうちこざくらさんちょうめ
寺内字三千刈 平成9年10月1日 外旭川八柳一丁目(一部)
そとあさひかわやつやなぎいっちょうめ
平成15年10月1日 寺内児桜三丁目(一部)
てらうちこざくらさんちょうめ
(残存)寺内字三千刈
寺内字将軍野 昭和43年8月1日 将軍野東一丁目
しょうぐんのひがしいっちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野東二丁目(一部)
しょうぐんのひがしにちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野東三丁目(一部)
しょうぐんのひがしさんちょうめ
昭和45年5月1日 将軍野東四丁目(一部)
しょうぐんのひがしよんちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南一丁目(一部)
しょうぐんのみなみいっちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南二丁目(一部)
しょうぐんのみなみにちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南三丁目
しょうぐんのみなみさんちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南四丁目(一部)
しょうぐんのみなみよんちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南五丁目(一部)
しょうぐんのみなみごちょうめ
昭和45年5月1日 土崎港北二丁目(一部)
つちざきみなときたにちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港東一丁目(一部)
つちざきみなとひがしいっちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港東二丁目(一部)
つちざきみなとひがしにちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港東三丁目(一部)
つちざきみなとひがしさんちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港東四丁目(一部)
つちざきみなとひがしよんちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港南三丁目(一部)
つちざきみなとみなみさんちょうめ
明治39年 (土崎港町)寺内字将軍野
てらうち あざしょうぐんの
分割編入
昭和43年8月1日に全域が土崎港北一・三・四丁目、同東一〜四丁目へ編入
(残存)寺内字将軍野
寺内字堂ノ沢 平成14年9月30日 寺内油田三丁目(一部)
てらうちあぶらでんさんちょうめ
平成15年10月1日 寺内児桜三丁目(一部)
てらうちこざくらさんちょうめ
平成14年9月30日 寺内堂ノ沢一丁目(一部)
てらうちどうのさわいっちょうめ
平成14年9月30日 寺内堂ノ沢二丁目(一部)
てらうちどうのさわにちょうめ
平成15年10月1日 寺内堂ノ沢三丁目
てらうちどうのさわさんちょうめ
寺内字通穴 昭和53年4月1日 将軍野青山町(一部)
しょうぐんのあおやまちょう
昭和53年4月1日 将軍野桂町(一部)
しょうぐんのかつらちょう
昭和43年8月1日 将軍野東二丁目(一部)
しょうぐんのひがしにちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野東三丁目(一部)
しょうぐんのひがしさんちょうめ
昭和45年5月1日 将軍野東四丁目(一部)
しょうぐんのひがしよんちょうめ
(残存)寺内字通穴
寺内字鳥屋場 昭和53年4月1日 将軍野桂町(一部)
しょうぐんのかつらちょう
昭和43年8月1日 将軍野東二丁目(一部)
しょうぐんのひがしにちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南四丁目(一部)
しょうぐんのみなみよんちょうめ
昭和43年8月1日 将軍野南五丁目(一部)
しょうぐんのみなみごちょうめ
昭和53年4月1日 将軍野向山(一部)
しょうぐんのむかいやま
寺内字蛭根 平成15年10月1日 寺内神屋敷(一部)
てらうちかみやしき
平成14年9月30日 寺内蛭根一丁目(一部)
てらうちひるねいっちょうめ
平成14年9月30日 寺内蛭根二丁目
てらうちひるねにちょうめ
平成14年9月30日 寺内蛭根三丁目(一部)
てらうちひるねさんちょうめ
(残存)寺内字蛭根
寺内字幕洗川 昭和43年8月1日 土崎港東一丁目(一部)
つちざきみなとひがしいっちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港南一丁目(一部)
つちざきみなとみなみいっちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港南二丁目(一部)
つちざきみなとみなみさんちょうめ
昭和43年8月1日 土崎港南三丁目(一部)
つちざきみなとみなみさんちょうめ
明治39年 (土崎港町)寺内字幕洗川
てらうち あざまくあらいかわ
分割編入
昭和43年8月1日に全域が土崎港中央二丁目、同南一・二丁目へ編入
寺内字焼山 平成15年10月1日 寺内後城(一部)
てらうちうしろじょう
平成15年10月1日 寺内大小路(一部)
てらうちおおこうじ
平成15年10月1日 寺内焼山(一部)
てらうちやけやま

交通

鉄道

道路

バス

施設

字イサノ

字後城

字大小路

字神屋敷


字三千刈

字将軍野

字通穴

字蛭根


出身者

参考文献

  • 角川日本地名大辞典 5 秋田県
  • 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
  • 「図説 久保田城下町の歴史」渡部景一、無明舎出版、1983年、ISBN 978-4-89544-499-6
  • 秋田市 地名小辞典

脚注

  1. ^ a b 秋田市年齢別・地区別人口(平成28年10月1日現在:平成27年国勢調査からの推計値)”. 秋田市 (2017年2月1日). 2017年7月7日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 寺内字三千刈の一部は、郵便番号7桁化になった当初の時期までは、秋田中央郵便局の集配区になっていた関係で、010-0801となっていたが、現在は「寺内字~」となっている区域全域が土崎郵便局の集配区に移行された関係で、011-0901に統一されている。
  4. ^ 「図説 久保田城下町の歴史」p.40。
  5. ^ 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」p.629。
  6. ^ 「秋田市史 第四巻」p.18。
  7. ^ 「秋田市史 第四巻」p.288。
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」pp.430-431。

外部リンク

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