生島足島神社
生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)は、長野県上田市下之郷にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 祭神主祭神は次の2柱。
生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。『延喜式』神名帳では、宮中の神祇官西院で祀られる神々23座のうちに「生島神・足島神」の記載があり[1]、朝廷とつながりの深い神々であることが知られる。 歴史創建創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという[2]。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭(おこもりさい)」に名残を残している。 一方『延喜式』神名帳には、宮中の神祇官西院で祀られる神23座のうちにも生島神・足島神の記載がある[1]。このことや科野国造の本拠であったことをもって、神武天皇の後裔である科野国造の多氏(並びに同族の金刺氏・他田氏)が国魂として宮中から両神を勧請したという説もある[3]。この中で、金刺氏がのちに諏訪大社下社の大祝を務めたことと、摂社諏方神社の関連性が併せて指摘される[4]。 なお、生島足島神社の南西方にある泥宮を旧鎮座地にあてる説もある[5]。 概史『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「生島足島神」には神戸として信濃国から1戸が充てられていた。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には信濃国小県郡に「生島足島神社二座 並名神大」と記載され、名神大社に列している。 生島足島神社には皇室や武将の崇敬が篤く、北条国時が社殿を営繕、真田昌幸・信之らの武将が神領を寄進し社殿を再建するなどの崇敬を表している。また、武田信玄が上杉謙信との戦いに際し奉じた直筆の願文等が現在も「生島足島神社文書」(国の重要文化財)として残されている。同文書によると、中世以降は「下之郷大明神」「諏方法性大明神」「下之郷上下宮」等と呼称されていた[6]。その後、社名は寛政11年(1799年)に京都吉田家によって「生島足島神社」と改称した[3]。 明治維新後、1871年 (明治4年) に近代社格制度において県社に列格し、明治32年(1899年)には国幣中社に昇格した[7]。 境内本社は、池に浮かぶ小島の上に鎮座する「池心の宮」という古代的形態を採る[3]。本社社殿は昭和16年造営の権現造で、北面して鎮座し、摂社諏訪神社(下の宮)と正対する。本社は、諏方神社に対して「上の宮」と称される。両社の間には「神橋」と呼ばれる橋がかかるが、普段の一般参拝者は渡ることができず、諏訪神が本社に遷座する時のみ開かれる。設計は神祇院造営課。そのほか、本社と諏訪神社全体を取り囲む四方には、諏訪系の神社特有の御柱が建てられている。 本社本殿内には、さらに内殿がある。この内殿はかつては旧本殿として屋外にあったが、18世紀後期から19世紀に覆屋としての現本殿が建てられ、現在のような内殿となった。内殿の規模は、正面柱間三間(4.82メートル)、側面柱間二間(3.10メートル)で、屋根は切妻造の厚板張(当初は柿葺)。内部は、向かって左側二間が内陣、右側一間が外陣。外陣は、諏訪大神が半年間生島・足島両神にご飯を炊いて奉った場所であるといい、この伝承は現在も「御籠祭」での外陣を使った祭式に残っている。床は、内陣・外陣とも土間であり、内陣の土間すなわち「大地」が生島足島神社の神体とされている。なお、外陣にはかつて向拝があったと見られている。この内殿は室町時代の天文年間(1522年 - 1555年)の造営と見られ、長野県宝に指定されている[6][8]。 歌舞伎舞台は、間口九間(16.36メートル)、奥行七間(12.27メートル)で農村歌舞伎舞台の中で最大規模を誇る。伝えでは、明治元年(1868年)に建設され、その後校舎や集会所としても利用されたという。江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を完全に伝えており、長野県宝に指定されている[9][8]。 そのほか、境内東方には大鳥居が建てられている(北緯36度21分53.20秒 東経138度13分30.14秒 / 北緯36.3647778度 東経138.2250389度)。
摂末社摂社(下の宮)
末社境内社
境外社
祭事式年祭式年祭として、御柱祭(おんばしらさい)が6年に一度、寅年・申年の4月中旬に催行される。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう途中で当地に留まった際、生島・足島両神に対して御柱を奉ったのが由来という[2]。 年間祭事年間祭事一覧
御籠祭御籠祭(おこもりさい)は、摂社の諏訪神が半年間本社本殿に留まる(籠もる)祭。この祭は、諏訪神が諏訪に向かう際に当地で生島・足島両神に米粥を煮て奉仕したという伝承に基づく。 4月18日(還座祭)と11月3日(遷座祭)、祭神が移る「御移神事」を行う。そしてその間、諏訪神は本殿内に留まることとなる。遷座の際には、諏訪神は普段閉じられている神橋を渡御する。そして籠っている間、1週間に1度飯を諏訪神に献じ、諏訪神はそれを生島・足島両神に献じるという神事が行われる[3]。 文化財重要文化財(国指定)
長野県指定文化財
上田市指定文化財
関係地
現地情報
脚注注釈
出典
参考文献
関連図書関連項目外部リンク
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