洪 明甫(ホン・ミョンボ、홍명보、1969年2月12日 - )は、韓国・ソウル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は同国代表の監督を務めている。
現役時代のポジションはセンターバック、ディフェンシヴハーフ。韓国代表史上最多の136キャップを誇り、ワールドカップには4大会連続で出場した。またペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人にも選出されている。引退後にサッカーを通じた慈善活動として財団「洪明甫財団」を設立、子供サッカー教室支援、有望な若手選手の発掘・育成・奨学金支援などを行なっている。
来歴
クラブ
1992年浦項スティーラースでプロのキャリアをスタートさせ約5年間プレー。1995年5月10日には47メートルのFKを決めた。
1994年12月28日には、ワールドカップでの活躍で、アジア以外でも存在が知られるようになり、ASローマ主催のチャリティーマッチに、世界選抜の一員として、アジアから三浦知良と共に招かれて出場[2]、10番を着てプレー、裏に抜け出した三浦にスルーパスを出すなどのプレーを見せた[3]。12月30日には、ACミラン主催のチャリティーマッチにも世界選抜の一員として出場した[4]。
Jリーグではベルマーレ平塚に1シーズン半、柏レイソルに3シーズン在籍。Jリーグ移籍前にはイタリア、フランス、ドイツの各強豪と言われる様なクラブ、更にスペインのFCバルセロナからのオファーも受けたが[5]、数年間獲得に関心を持ち続け、条件のいい熱心なオファーをしていたことから、ベルマーレ平塚にシーズン途中の移籍をした[6]。1994年にもJリーグ入りの話は有ったが[5]、韓国サッカー協会、周囲の反対も有り、Jリーグ入りは実現しなかったが、2002年日韓大会の共同開催が決まったこともあり、ようやく移籍の話がまとまった[7]。デビュー戦となった7月2日の名古屋グランパス戦で、ストイコビッチを完全に抑え込んだ[5]。ベルマーレ在籍中はチーム事情からボランチでプレーした[8]。1997年12月4日にはワールドカップフランス大会を記念したヨーロッパ選抜対世界選抜の試合に、ジダン、中田英寿らと共に出場した。
1999年ヨーロッパのクラブからもオファーを受けたが[5]、柏レイソルに移籍、Jリーグで初の韓国人選手のキャプテンとなった。洪の加入でレイソルの守備は安定し[9]、1st、2ndステージ共に4位の成績を残した[9]。1stステージ、3月13日、第2節のアビスパ福岡戦でJリーグでの移籍後初ゴールを決め[10]、5月29日15節の古巣ベルマーレ平塚戦では同点ゴールを決めた[11]。第2ステージ12節のアビスパ福岡戦でゴール、13節のジュビロ磐田戦では決勝ゴールを決める活躍を見せた[12]。同年のナビスコカップ 準々決勝、ジュビロ磐田戦第1戦ではロスタイムにゴールを決め、準決勝進出に貢献[13]、準決勝の名古屋グランパス戦、2ndレグでイエローカードを受け[14]、イエローカード累積の為、決勝の鹿島アントラーズ戦ではプレー出来なかったが、ナビスコカップ優勝に貢献した。また同年開催されたJリーグたらみオールスターサッカーに出場した[15]。
2000年には韓国代表そして浦項時代のチームメート黄善洪がレイソルに加入、またこの年から西野朗監督からの依頼でキャプテンに就任した[8]。1stステージの第4節のFC東京戦では決勝ゴールを決め[16]、5月20日、第14節の川崎フロンターレ戦では先制点を決めた[17]。2ndステージ最終節柏は鹿島アントラーズとの直接対決で勝てば優勝というところまで迫るも、スコアレスドローで2位となり、ステージ優勝は逃したが[9](年間勝点数ではリーグ1位となった。[9])、チームを牽引して、Jリーグベストイレブンに選ばれた[9]。
2001年には洪の誘いで柳想鐵が加入し、韓国代表選手3名が揃う陣容で優勝を目指したが[18]、チームは調子が出ず低迷した。洪は怪我で2ndステージ、8月18日の横浜F・マリノス戦以降の試合を欠場し[19][20]、2001年12月9日退団セレモニーが行われ[21]、レイソルを退団した。同年8月4日にはJリーグたらみオールスターサッカーに出場した[22]。
その後、浦項スティーラースへの復帰を経て、新たな挑戦そして、英語やマーケティングなどを学ぶ意味も込め、MLSのL.Aギャラクシーでプレーし[23]、2003年MLSオールスターゲームにコミッショナー選出で出場、2004年に現役を退いた。
2004年3月にペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人に選出された。
2019年にはJリーググローバルアンバサダーに就任した[24]。
代表
ワールドカップには4大会連続出場。高麗大学校時代より代表入りし、ワールドカップ1990年イタリア大会に出場。
1994年のアメリカ大会では、スペイン戦では1得点1アシスト(ソ・ジョンウォンのゴールをアシスト)、ドイツ戦でも1得点を決めたが、2分け1敗でグループリーグ敗退した。
1998年フランス大会でも、1分け2敗でグループリーグ敗退に終わる。
2000年にはオーバーエイジ枠でシドニーオリンピックにも出場した。
2002年日韓大会では、準々決勝スペイン戦では、PK戦で5人目のキッカーとしてPKを成功させ、韓国はベスト4入りとなった。韓国代表のベスト4進出に大きく貢献し[25]、アジア人初のブロンズボール賞に輝いた[26][27]。
指導者
2004年に現役を退いた後、2005年10月、ディック・アドフォカート監督の下、韓国代表アシスタントコーチに就任し、2006年ワールドカップに参加。アドフォカート退任後に就任したピム・ファーベーク監督の下でも同職を務め、AFCアジアカップ2007に参戦した。2007年から2008年までU-23韓国代表のアシスタントコーチを務めた後、2009年にU-20韓国代表の監督に就任。U-20ワールドカップ2009年大会で同代表をベスト8に導いた。2009年10月、その実績を認められオリンピック韓国代表の監督に就任。ロンドンオリンピックで韓国サッカー史上初となる銅メダル獲得の快挙を果たした。
ロンドンオリンピック後は、2013年1月から2002年ワールドカップ韓国代表監督だったフース・ヒディンクが率いるロシアプレミアリーグのアンジ・マハチカラで指導者研修を受けた。2013年6月26日、2014年ワールドカップ予選突破後に退任した崔康熙の後任として、韓国代表監督に就任した。契約では2014年ワールドカップだけでなく、2015年1月のアジアカップまで韓国代表を率いることとなっている[28]。2014年、ワールドカップ本戦は1分2敗でグループリーグ最下位で敗退し、大韓サッカー協会に辞意を伝えたが7月3日に協会は洪の続投を決定[29] した。しかし、10日になり一転して辞任することを表明した[29]。ワールドカップ敗退後に選手たちと会食した時の映像が流出した[30] ことや、代表メンバー選考において個人的な関係を優先した「義理起用」[31] などで批判報道に晒されていた。
2014年11月、AFC初代殿堂入りを果たした[32]。
Jリーグのアルビレックス新潟にも興味を示されており、就任の可能性はあったが契約には至らなかったという。
2016シーズンより中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城の監督をしていたが、2017年5月に退任。
2021年から蔚山現代FCの監督に就任、2022年にはチームを優勝に導き、リーグの最優秀監督に選出された[33]。
2024年7月、10年ぶりに韓国代表監督に就任した[34]。
プレースタイル
- キャプテンとしてチームを後方から鼓舞し[9]、鋭い読み、正確な前線へのフィード[35]、高度な戦術眼と技術を備え[36]、またミドルシュートを得意とし、センターバックやボランチの位置でプレーした[37]。またレイソルでは彼が後方からチームを鼓舞することで、北嶋秀朗、明神智和、大野敏隆、平山智規ら若い選手たちの急速な成長を促した[9]。
- 三浦知良は洪について、他の韓国人選手の様にガツガツ来るタイプではなく、闘志を内に秘めているが、頭を使ったスマートなプレーをする選手で、ピッチ内外でジェントルマンであったと述べている[37]。
- 洪に憧れていたという元日本代表の茂庭照幸は、洪について、前にもいけて、カバーもできる。フィードもうまくて、自分でも持って上がれる。何拍子もそろったすごい選手[35]、とインタビューで話していた。
- 日本代表の監督も務めた加茂周は、2002年日韓大会での韓国代表監督ヒディンク監督の一番のヒットは、ベテランDFの洪を代表に呼び戻したことであるとし、ピッチ上に洪という存在が居ることの意味は大きく、洪はプレスに行くのか、待つのか、全体を把握し韓国代表を統率をしている。と評価していた[38]。
エピソードなど
アメリカでの登録名
ロサンゼルス・ギャラクシー在籍時の登録名は「BO」であった。リーグ戦でも選手名として背中に「BO」と書かれたユニフォームを着用してプレーし、2003年に母国・韓国で開催されたピースカップにギャラクシーの一員として参加した際、リーグ戦と同様に「BO」のネームの入ったユニフォームを着用しプレーしている。また「BO基金」を設立したほか、アメリカ・カリフォルニア州に開設したサッカースクールの名称も「BOサッカーアカデミー」である。
その他
- キャリアの中で最も情熱を注いだのはレイソル時代だ、と後に回想した[8]。
- 柏時代、「日本人選手は勝敗に対して淡白すぎるし、個人主義で人任せなところがある」と言っていた彼は、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神を訴え続け、大事な試合前になるとチームメイトを行きつけの焼肉屋に集めて、自腹を切って決起集会を開くこともあった[39]。
- 日本サッカー協会の若手育成システムやJリーグの運営法に好感を持っており、「大韓サッカー協会は日本のサッカー協会から多くのことを学ぶ必要があるのです」との見解を示している。また、有望な韓国人サッカー選手が、相次いでJリーグへの進出を志望していることに対しては「Jリーグに行ってコンビニの弁当を食べながら、トレーニングする状況を選択してはいけない」「若いころから日本に渡ると、私生活で壁にぶち当たり、自分のレベルを引き上げるのが難しくなる」と警鐘を鳴らしている[40]。
- 自身の出来事を高校の選手権時代から振り返り、また当時在籍していたJリーグで体験した事を韓国のスポーツ新聞で連載した『洪明甫のJリーグ短信』を綴った『LIBERO 洪明甫自伝』が日本では集英社から出版されている。また、2002 FIFAワールドカップ開催前に漫画家のむつ利之がその洪明甫をモデルにして描いた漫画が講談社の「週刊少年マガジン」の読切り漫画で掲載された。この作品は後にKBS第2テレビのバラエティー番組『スポンジ』にて本人の証言で紹介された。
- 韓国のメディアは、若手の韓国人ディフェンダー(特にJリーグに移籍する選手)に対しては「洪明甫二世」という呼び方をすることがある[41][42]。
- 現役当時韓国のメディアにおいて盛んに、井原正巳と並ぶアジア最高のリベロと言われた。またどちらがアジア最高のリベロかという比較が日韓メディアで盛んに行われた。2004年に行われた井原の引退試合にも出場した[37]。
- Kリーグでプレーした韓国人選手としては、洪が初のJリーグ入りをした選手となり、以降の韓国人プレーヤーのJリーグ加入の道を開いた[7]。
- 韓国代表や、平塚・柏といったクラブチームでは「20」を好んで付けていた(ベルマーレ入団時は途中入団だったため「37」)。 ロサンゼルス・ギャラクシーでは「18」、「20」は当時のエースストライカーカルロス・ルイス(英語版)が着けていた。
柏レイソル退団時の挨拶
柏レイソル退団の際以下のメッセージを残した。
日本に来て4年7ヶ月、柏レイソルに来て3年、優勝の悲願を胸に、戦ってきましたが、ここで、ひとまず、ピリオドを打たなくてはいけない「とき」がきました。
ここ、レイソルには、実に、さまざまな思い出があります。
苦しいトレーニング、試合。勝ち、そして負け。
昨年の11月26日、鹿島アントラーズとの試合で引き分け、Jリーグ優勝を逃しました。とても、くやしかった。
そして、今年、8月23日、チームドクターの疲労骨折だとの診断。そして、当分、ゲームには出場できない、と聞かされました。言葉もないほど、くやしかった。
くやしかったことばかり申し上げました。しかし、そのくやしかったこと、全ては、私が愛する、「サッカー」のせいで、「サッカー」の為でくやしかったわけです。
それも仕方ない事だと思います。
私は、これからも、サッカーを続けようと思います。そして、現役を引退してからも、サッカーに関わり続けることと思います。みなさんも、これからも、サッカーを愛しつづけることと思います。
今日は、私たちの為に、ありがとうございました。
今までの、あたたかい、応援に対して、感謝申し上げます。
私、洪明甫は、これからも、サッカーと共に、歩み続けたいと、思います。
柏レイソルのサポーター、関係者の皆様、そして日本の皆様、ありがとうございました。」と述べ、日本を去った。
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
1992 |
浦項 |
|
Kリーグ |
29 |
1 |
8 |
0 |
- |
37 |
1
|
1993 |
|
11 |
1 |
1 |
0 |
- |
12 |
1
|
1994 |
|
17 |
4 |
0 |
0 |
- |
17 |
4
|
1995 |
|
24 |
1 |
7 |
0 |
- |
31 |
1
|
1996 |
|
29 |
7 |
5 |
0 |
|
|
|
|
1997 |
|
0 |
0 |
6 |
0 |
|
|
|
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1997 |
平塚 |
37 |
J |
10 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
13 |
1
|
1998 |
20 |
32 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
34 |
0
|
1999 |
柏 |
J1 |
28 |
5 |
5 |
2 |
4 |
2 |
37 |
9
|
2000 |
29 |
2 |
2 |
0 |
2 |
0 |
33 |
2
|
2001 |
15 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
18 |
0
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2002 |
浦項 |
|
Kリーグ |
19 |
0 |
0 |
0 |
|
|
|
|
アメリカ
| リーグ戦 |
リーグ杯 | USオープン杯
|
期間通算
|
2003 |
LAギャラクシー |
|
MLS |
25 |
0 |
- |
2 |
0 |
27 |
0
|
2004 |
|
13 |
0 |
- |
0 |
0 |
13 |
0
|
通算 |
韓国 |
Kリーグ
|
129 |
14 |
27 |
0 |
|
|
|
|
日本 |
J1
|
114 |
7 |
10 |
2 |
11 |
3 |
135 |
12
|
アメリカ |
MLS
|
38 |
0 |
- |
2 |
0 |
40 |
0
|
総通算
|
281 |
21 |
37 |
2 |
|
|
|
|
代表歴
出場大会
試合数
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1990 |
20 |
2
|
1991 |
1 |
0
|
1992 |
3 |
1
|
1993 |
18 |
2
|
1994 |
14 |
4
|
1995 |
5 |
0
|
1996 |
16 |
1
|
1997 |
12 |
0
|
1998 |
8 |
0
|
1999 |
5 |
0
|
2000 |
11 |
0
|
2001 |
7 |
0
|
2002 |
16 |
0
|
通算 |
136 |
10
|
得点
個人タイトル
指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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1980年代 |
- 83: 朴成華, 金哲洙, 張外龍, 李康助
- 84: 鄭龍煥, 朴景勳, 朴成華, 鄭鍾洙
- 85: 張外龍, 韓文培, 崔康熙, 金哲洙
- 86: 趙榮增, 金平錫, 崔康熙, 朴魯鳳
- 87: 具相範, 崔基奉, 鄭龍煥, 朴景勳
- 88: 崔康熙, 崔泰鎭, 孫炯先, 姜太植
- 89: 林鐘憲, 趙允煥, 崔允謙, 李榮益
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1990年代 |
- 90: 林鐘憲, 崔榮俊, 崔泰鎭, 李在熙
- 91: 鄭龍煥, 朴鉉用, テッド
- 92: 洪明甫, 李鐘和, 朴正倍
- 93: 崔英一, 李鐘和, 柳東官
- 94: 安益洙, 柳想鐵, 洪明甫, 許起泰
- 95: 崔英一, 洪明甫, 許起泰
- 96: 尹星孝, 金鋳城, 許起泰
- 97: 金鋳城, マシエル, 安益秀
- 98: 安益秀, マシエル, 李林生
- 99: 姜喆, 金鋳城, マシエル, 辛弘基
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2000年代 |
- 00: 姜喆, 李林生, 金鉉洙, マシエル
- 01: ウルモヴ, 金鉉洙, 金容熙, 李榮杓
- 02: 金鉉洙,金泰映,崔眞喆, 洪明甫
- 03: 崔眞喆,金泰映,金鉉洙, サントス
- 04: サントス, 柳京烈, ムサ, 郭熙柱
- 05: 林重容, 柳京烈, 趙容衡, 金泳徹
- 06: 張學英, マト, 崔眞喆, 金泳徹
- 07: アディ, マト, 黄載元, 張學英
- 08: アディ, マト, 朴東赫, 崔孝鎭
- 09: 金相植, 金亨鎰, 黄載元, 崔孝鎭
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2010年代 |
- 10: アディ, 洪正好, サーシャ, 崔孝鎭
- 11: 朴原載, 郭泰輝, 趙晟桓, 崔喆淳
- 12: アディ, 鄭仁煥, 郭泰輝, 金昌洙
- 13: アディ, 金致坤, 金源一, 李鎔
- 14: 洪喆, 金周栄, ウィルキンソン, 車ドゥリ
- 15: 洪喆, ヨニッチ, 金基熙, 車ドゥリ
- 16: 鄭澐, オスマル, ヨニッチ, 高光民
- 17: 金珍洙, 金玟哉, 呉反錫, 崔喆淳
- 18: 洪喆, 金玟哉, リチャード, 李鎔
- 19: 洪喆, 洪正好, 李鎔, 金太煥
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2020年代 |
- 20: 姜祥佑, 権敬源, 洪正好, 金太煥
- 21: 李記帝, ブルトゥイス, 洪正好, 姜祥佑
- 22: 金珍洙, 金英權, 朴鎭燮, 金太煥
- 23: ワンデルソン, 金英權, グラント, 薛英佑
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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1980年代 |
- 83: 趙廣來, 朴昌善
- 84: 朴昌善, 許丁茂, 趙榮增
- 85: 朴商寅, 李興實, 朴垣緒
- 86: 曺敏國, 李興實, 尹星孝
- 87: 金三洙, 魯壽珍, 李興實
- 88: 崔震澣, 金相鎬, 皇甫官
- 89: 李興實, 趙徳濟, 姜才淳
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1990年代 |
- 90: 崔震澣, 李興實, 崔大植
- 91: 金鉉錫, 李永鎮, 金鋳城, 崔康熙, 李相潤
- 92: 辛弘基, 金鉉錫, 申台龍, 朴泰夏, 申東喆
- 93: 金判根, 申台龍, 金東海, 李相潤, 金奉吉
- 94: 申台龍, 高正云, 皇甫官
- 95: 申台龍, 高正云, 金鉉錫, 金判根, アミル
- 96: 申台龍, バデア, 洪明甫, 河錫舟, 金鉉錫
- 97: 金鉉錫, 申晉遠, 金仁完, 李晉行, 鄭在權
- 98: 高宗秀, 柳想鐵, 白承哲, 安貞桓, 鄭正洙
- 99: 徐正源, 高宗秀, デニス, 高正云
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2000年代 |
- 00: アンドレ, 申台龍, 全慶埈, デニス
- 01: 申台龍, 徐正源, 宋鐘國, 南基一
- 02: 申台龍, 李天秀, アンドレ, 徐正源
- 03: 申台龍, 李城南, 李官雨, 金南一
- 04: 金東進, タバレジュ, 金斗炫, 金大儀
- 05: 李天秀, 李浩, 金斗炫, 趙源熙
- 06: 金斗炫, 李官雨, 白智勳, ポポ
- 07: タバレジュ, 李官雨, 金基東, 金斗炫
- 08: 金炯氾, 趙源熙, 奇誠庸, 李菁龍
- 09: 崔兌旭, 奇誠庸, 金正友, エニーニョ
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2000年代 |
- 10: モリーナ, 尹ビッカラム, 具滋哲, エニーニョ
- 11: 廉基勳, 尹ビッカラム, 河大成, エニーニョ
- 12: モリーナ, 河大成, 黄辰成, 李根鎬
- 13: 高武烈, 李明周, 河大成, レオナルド
- 14: 林相協, 高明振, 李承琪, 韓敎元
- 15: 廉基勳, 李在成, 権昶勲, 宋珍炯
- 16: ロペジュ, 権昶勲, 李在成, レオナルド
- 17: 廉基勳, 李在成, 李昌敏, 李承琪
- 18: ネゲバ, 崔榮峻, アギラール, ロペジュ
- 19: 文宣民, 金甫炅, セジーニャ, ワンデルソン
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2020年代 |
- 20: 韓敎元, 孫準浩, セジーニャ, パロセヴィッチ
- 21: 林相協, ヴァコ, セジーニャ, 李東俊
- 22: 金大元, 申塡灝, セジーニャ, 李青龍
- 23: ジェルソ, オベルダン, 李淳敏, 嚴元相
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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J1 |
1990年代 |
- 93: 大野俊三, 柱谷哲二, ペレイラ, 井原正巳, 堀池巧
- 94: ペレイラ, 井原正巳, 名塚善寛
- 95: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 96: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 97: 相馬直樹, 井原正巳, 秋田豊
- 98: 相馬直樹, 田中誠, 秋田豊
- 99: 中澤佑二, 斉藤俊秀, 森岡隆三
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2000年代 |
- 00: 秋田豊, 洪明甫, 松田直樹
- 01: 大岩剛, 秋田豊, 名良橋晃
- 02: 鈴木秀人, 田中誠, 松田直樹
- 03: 坪井慶介, ドゥトラ, 中澤佑二
- 04: 田中マルクス闘莉王, ドゥトラ, 中澤佑二
- 05: ストヤノフ, 田中マルクス闘莉王, 中澤佑二
- 06: 田中マルクス闘莉王, 山口智, 加地亮
- 07: 岩政大樹, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 08: 岩政大樹, 内田篤人, 中澤佑二, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 09: 岩政大樹, 内田篤人, 田中マルクス闘莉王, 長友佑都
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2010年代 |
- 10: 田中マルクス闘莉王, 増川隆洋, 槙野智章
- 11: 近藤直也, 酒井宏樹, 田中マルクス闘莉王
- 12: 駒野友一, 田中マルクス闘莉王, 水本裕貴
- 13: 那須大亮, 森重真人, 中澤佑二
- 14: 太田宏介, 森重真人, 塩谷司
- 15: 槙野智章, 森重真人, 太田宏介, 塩谷司
- 16: 昌子源, 槙野智章, 森重真人, 塩谷司
- 17: 昌子源, 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎
- 18: 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎, 谷口彰悟
- 19: 室屋成, 森重真人, チアゴ・マルチンス
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2020年代 |
- 20: 山根視来, ジェジエウ, 谷口彰悟, 登里享平
- 21: ジェジエウ, 谷口彰悟, 山根視来
- 22: 谷口彰悟, 岩田智輝, 山根視来, 小池龍太
- 23: アレクサンダー・ショルツ, マリウス・ホイブラーテン, 毎熊晟矢, 酒井高徳
- 24: アレクサンダー・ショルツ, マリウス・ホイブラーテン, 毎熊晟矢, 酒井高徳
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J2 |
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J3 |
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ベストイレブン(GK - DF - MF - FW) - JCB |
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韓国代表 - 指導歴 |
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(*1 張賢秀 *2 韓国栄に替わって予備メンバーから選出)
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