柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、英語: George Yanagi、1948年〈昭和23年〉1月30日[1] - 2011年〈平成23年〉10月10日)は、日本のミュージシャン。本名:柳 譲治(やなぎ じょうじ)[2]。神奈川県横浜市南区出身[3]。横浜市立蒔田中学校、日本大学藤沢高等学校、日本大学法学部卒業。妻は元女優の浅野真弓。
略歴
両親は戦時中に広島市内で被爆[3]。終戦後、父親は日清製粉に勤めるサラリーマンになった[3]。柳いわく「典型的な中流階級」の家に生まれ育つ。
中学時代、「ザ・ベンチャーズ」に影響されてギターを始める。その後、日本大学藤沢高等学校を経て日本大学へ進学。その頃は全共闘による学生運動が最も激しい時期であったが、柳自身はこういった紛争には参加しておらず、「自分はノンポリでした」と後に述懐している。封鎖や休講で授業が受けられなかった頃に、「クリーム」などのブルースロックやニューロックに影響され、在学中の1969年にブルースロックバンド「パワーハウス」を陳信輝らと結成してプロデビュー。但しデビュー前にベーシストが脱退してしまったため、柳は急遽ベースを担当することになった。ちなみに、柳は「クリーム」のメンバーであったエリック・クラプトンのギタープレイを習得し、後に「和製クラプトン」と呼ばれることもあったが[2]、特にファンだったわけではなかったという。
程なくして「パワーハウス」解散後、大学で勉学に励み半年遅れで卒業。卒業直後の1970年9月、横浜を拠点とする「ザ・ゴールデン・カップス」にベーシストとして加入[4]。それと並行して成毛滋ともバンド活動し、1971年6月にリリースされた「ストロベリー・パス」のアルバム『大烏が地球にやってきた日』に収録されている「アイ・ガッタ・シー・マイ・ジプシー・ウーマン」にはゲストボーカルで参加した。1972年1月に「ザ・ゴールデン・カップス」解散後、一旦サラリーマンに転ずるも、成毛に誘われて10月に渡英して現地のミュージシャンに接し、音楽活動の再開を決意[5]。
帰国後の1973~74年には、元「ザ・ゴールデン・カップス」のルイズルイス加部やデイヴ平尾らと、「柳譲治と不確定性原理」~「ママリンゴ」~「横浜よいどれバンド」~「ニュー・ゴールデン・カップス」など、名前やドラマーが目まぐるしく変わるバンドでライブ活動を行った(四ツ田ヨシヒロも一時期参加していた)。
翌1975年、広島でバンド活動をしていた上綱克彦、石井清登、宮田和昭、四ツ田ヨシヒロらと知り合い、「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成[6](のちに宮田に代わりミッキー山本、サックスの鈴木明男が加入)。バンド名の「レイニーウッド」は、柳がロンドンのハイドパークで見た霧に煙る森から名付けた。
1978年、「柳ジョージ&レイニーウッド」がアルバム『TIME IN CHANGES』でデビュー。R&Bをベースにした音楽性は、当時としては異端であったが、1979年に萩原健一主演のテレビドラマ『死人狩り』[7]のテーマ曲に使われた「雨に泣いてる…」が大ヒット。その後も「さらばミシシッピー」「青い瞳のステラ 1962年夏…」などの楽曲を発表した。
1979年の4thアルバム『RAINY WOOD AVENUE』はオリコンアルバムチャートで初登場1位を獲得するなど高い人気を獲得し、このアルバムから「微笑の法則 〜スマイル・オン・ミー〜」がシングルカットされた。1980年12月、日本武道館で初のコンサート。
1981年末に日本武道館にて「柳ジョージ&レイニーウッド」を解散[2]。以後はソロアーティストとして活動を継続。
1982年12月、全国5か所でレイ・チャールズとジョイント・コンサートを行った。1984年7月、東京・NYフレンドシップのイベント「ハーレム少年聖歌隊 With 柳ジョージ」を全国5大都市にてコンサートを開催。同年に女優の浅野真弓と結婚。
2005年4月、「24年目の祭り」と題して、「柳ジョージ&レイニーウッド」を再結成[8]。2008年7月、「柳ジョージ&レイニーウッド」としてフジロックフェスティバルに出演。
2011年10月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去[2]。63歳没。
人物
- ブルースを基調とし「和製クラプトン」とも称された味わいのあるギター・プレイが特徴的だが[2]、柳自身はクラプトンは好きではなかったらしく「好きなのはデイヴ・メイスン(英語版)だ」と30歳のころからよく言っていたのだという[9]。そのデイヴ・メイスンとは、1977年頃の初来日の折、雑誌で対談した。メイスンはそれを覚えていたそうで、その20年後の1997年に大阪ブルーノート、九州、沖縄の3か所で共演している。その際、柳の印象についてメイスンは「リハーサルが1日しかなかったんだけど、とても楽しかった。いいおっちゃんですよ」と話している[9]。
- 使用ギターは主にフェンダー・ストラトキャスター。但しレコーディングにおいては殆どギブソン・レスポールを使用していた。
- ザ・ドリフターズの志村けんと仲が良く、志村がレギュラー出演を務めたバラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』内のワンコーナーである『THE DETECTIVE STORY』のオープニングテーマを担当した。その際、志村が柳に直接オファーし、その時の印象をブログ内で「気持ちよく引き受けてくれた」と綴られている[10]。
- かなりの飛行機恐怖症。生前「あんな大きな鉄のかたまりが、空中に浮かぶことが信じられない」と発言したほどで[11]、東北あたりのコンサートだと、メンバーが全員飛行機で帰るのに1人だけ新幹線で帰ることもあった。仕事などでどうしても乗らねばならない時は、酒をしこたま飲んで寝てしまうことにしていたという。
- 生涯嗜んでいたタバコはハイライトだが、イギリスやアメリカでレコーディングが行われる時、イギリスではロスマンズ、アメリカではウィンストンをハイライト代わりに嗜んでいたという。
趣味
- 大変な読書家であった。1990年のツアーパンフレットには膨大な蔵書リストの一部が掲載されているが、「9割近くを歴史・時代小説が占める」。
- イラストを描くのが好き。独特のひょうひょうとした線で、とぼけた味わいの似顔絵を好むらしく、スタッフの似顔絵をよくいたずら描きしている。1989年のツアーでは、自分も含めたバンドメンバー全員の似顔絵をTシャツにして販売した。アルバム『全ての夏をこの一日に…』ジャケットの、マリリン・モンローのポスターとそれを見上げている少年の絵は、本人が描いている。
ディスコグラフィ
シングル
アルバム
オリジナルアルバム
カヴァーアルバム
ベストアルバム
リミックスアルバム
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発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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e-smart Recordings
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1st
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2003年3月20日
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CROSS OVER REMIX
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CD
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ESMT-1001
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ライヴアルバム
コラボレーションアルバム
映像作品
BOXセット
参加楽曲
タイアップ
出演
ラジオ
CM
映画
- ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年、アルタミラピクチャーズ)
- 『不滅の男 エンケン対日本武道館』などの音楽映画を多く作っているアルタミラが製作した、関係者の証言を集めたドキュメンタリー。
著書
- 『敗者復活戦』小学館、1979年11月。
- 取材・構成は「江夏の21球」で注目され始めたばかりの頃の山際淳司。横浜のホテルにこもりっきりでインタビューされた。この時の様子はCD『柳ジョージ 30th 1969-1999』(日本クラウン)の解説書に詳しい。
- 『ランナウェイ : 敗者復活戦』〈集英社文庫〉、集英社、1983年6月25日。
- 上述書に加筆された文庫版。憧れの存在だったレイ・チャールズと日本武道館で共演を果たした時のインタビューや、子ども時代の写真などが新たに掲載されている。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連人物
- 萩原健一 - ドラマ『死人狩り』がテーマ曲「雨に泣いてる…」の爆発的ヒットにつながった。これ以前にも『祭りばやしが聞こえる』のテーマを柳が唄っている。1978年 - 1979年の萩原のコンサートツアーのバックは、柳とレイニーウッドが務めている(ライブLP『熱狂雷舞』徳間ジャパン)。1979年に萩原が『夜のヒットスタジオ』に出演して「大阪で生まれた女」を歌ったときのバックも、彼らである。間奏で柳がギターソロを弾いている。
- デイヴ平尾 - ゴールデン・カップス時代の同僚
- エディ藩 - ゴールデン・カップス時代の同僚
- 高倉健 - 1989年 - 1990年ごろ、柳のディナーショーの開演前に突然訪ねてきて、以前から聴いていましたと言って上等なシャンパンをプレゼントしたのだという(1991年、ツアーパンフレットより)。柳は非常に驚いたが「チャラチャラしたくないので、あまり話はしなかった」とのこと。ただし、かなり足は地についていなかった様子。ちなみに柳のカラオケの十八番は「網走番外地」(1992年、ファンクラブ会報)。
- レイ・チャールズ - 1982年に日本武道館で共演。食事の際、何が食べたいかと聞くと「何でもいいけど、肉がいい」と言って、それから「天ぷらが好きだ」とも言っていたという。当時、日本で発売されたばかりのウォークマンをプレゼントしたら、とても喜んでいたそうである。『ランナウェイ』(集英社文庫)には、レイをピアノまでエスコートする柳の写真が載っている。柳自身はレイの金銭面にシビアな面も垣間見ている。
- 司馬遼太郎 - カップス解散後、暇で本ばかり読んでいた頃、『竜馬がゆく』に感銘を受けて大ファンになった。山内容堂を主人公にした『酔って候』から曲が生まれ、発売の承諾を得るため東大阪の司馬宅まで訪れ、直接会い許可を得ている。柳はサインを貰って、子どものようにはしゃいでいた、と同行したスタッフが述懐している。最初の子どもが生まれた時、「本当は『竜馬』って名づけたかったけど、思いとどまってやめたんです(笑)」と当時のインタビューで話している。
- 北方謙三 - 北方原作の映画『逃がれの街』の音楽を柳が担当したことで出会い、もともと読書家で北方を愛読していた柳いわく「お友達になって戴いた」。北方はアルバム『GOOD TIMES III』(1989年、ワーナー)のライナーノーツに寄稿しており、雑誌『SAPIO』(1990年、小学館)でも対談している。北方は「音楽が原作の雰囲気にとても合っていた」と話し、柳は当時のラジオで、「『檻』なんか読むと、もう全部入ってるんですよ。男ってものが」と興奮気味に語っている。
- 所ジョージ - 芸名は「所沢の柳ジョージ」から来ている。
関連項目
外部リンク
- 所属レーベル
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シングル | |
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アルバム |
オリジナル | |
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カヴァー |
- GOOD TIMES
- GOOD TIMES Part 2
- GOOD TIMES 3
- KING BEE BLUES
- Lovin' Cup
- scent of dreams〜夢の香り〜
- Still Crazy
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ベスト | |
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リミックス | |
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ライヴ |
- WILLOW'S GATE TOUR
- Live “CLASSICS”
- 柳ジョージ Last Live 2011 NCV 10th anniversary Premium Night official bootleg
- LIVE IN TOKYO
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コラボレーション |
TAKE ONE(柳ジョージ WITH アルバトロス)
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映像作品 |
- TOBACCO ROAD
- GEORGE YANAGI WILLOW'S GATE TOUR
- GOOD TIMES A COLLECTION OF AMERICAN STANDARDS
- Bluestorm Rambling
- Concert Tour'99 -Sunset Hills
- LIFE GOES ON LIVE #3 柳ジョージ
- LIVE'05〜Premium Nights
- GOOD TIMES & BLUESTORM RAMBLING
- LIVE at 東京厚生年金会館 1995.6.26 -完全版-
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BOX |
- ATLANTIC SOLO WORKS 1982-1993
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関連人物 | |
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その他 | |
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旧メンバー | |
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