ルイズルイス加部
ルイズルイス加部( - かべ、本名:加部 正義(かべ まさよし)、1948年11月5日 - 2020年9月26日)は、ベーシスト、ギタリストである。横浜市出身。 ※ザ・ゴールデン・カップスの頃は、所属事務所の意向で1歳サバを読んで1949年生まれと称していた[1][2]。その名残りで今でもたまに1949年生まれと書かれることがある。 経歴1966年、後のグループ・サウンズ(GS)ブームにおける重要なバンドの一つとなる「ザ・ゴールデン・カップス」へ参加。加部はベースを担当していたが、1969年5月にエディ藩の脱退によりギターへ転向(加部はカップス参加前はギタリストだった)[3]。なお、カップスの4thシングル『愛する君に』は、オリコン13位のヒットとなっている[4]。1969年末日を以ってマモル・マヌー、林恵文と共にカップスを脱退する。 翌1970年に林恵文、ジョン山崎らと「ルーム[5][6]」というバンドを組むが、瞬く間に解散。同年「フード・ブレイン」(陳信輝、角田ヒロ、柳田ヒロ、石川恵の4人で始まったユニットだったが石川が離脱していた)に加入し、象のジャケット写真で知られるアルバム「晩餐」をリリースするが、こちらもすぐに解散。 翌1971年に陳信輝、ジョーイ・スミスと「スピード・グルー&シンキ(Speed, Glue & Shinki)」を結成。2作目のアルバム製作途中で脱退した後は、デイヴ平尾、柳ジョージらと「ニュー・ゴールデン・カップス」として京都のサパークラブ「ママリンゴ」などで昔の曲や洋楽のカバーを演奏(1973~74年)。また、元「ザ・ダイナマイツ」〜「村八分」の山口冨士夫と「リゾート[7][8][9][10]」なるバンドを組んでいたこともあった(1976年)。 その後、ミュージシャンから足を洗いアメリカ(バークレー)に住んでいた加部が帰国したタイミングでCharが訪ね、一緒にバンドを組むため熱心に説得。1978年にジョニー吉長と共にバンド「ジョニー、ルイス&チャー」を結成。後に「ピンククラウド」に名称を変更。武道館公演をできるほどの人気バンドとなったが、1994年に活動停止した。 「ピンククラウド」活動停止後は、ソロ・アルバムのリリースや、1996年に再結成されたアラン・メリル率いる「ウォッカ・コリンズ」への参加、「ぞくぞくかぞく(ZZK)」の結成(1995年)、「布谷文夫&DEW」のサポート(1998年)など、マイペースな活動を続けていた。2003年には「ザ・ゴールデン・カップス」の再結成に参加する。また、2010年と2017年に行われたアラン・メリルの来日公演ではベーシストを務めた。 カップス時代から21世紀まで、枠にとらわれないフリーなプレースタイルを身上としていた。特にカップスでの「リードベース」とも言うべき斬新なプレーは、後進に多大な影響を与えた。 酩酊時に描いたようなシュールなイラストレーションを得意としており、ジョニー、ルイス&チャーや自身のソロ作品でのアルバムジャケットなどで、その独特な世界を味わうことができる。 2020年9月26日、多臓器不全により横浜市内の病院で死去した[11][12]。没年71歳。 ディスコグラフィソロアルバム
発掘ライブアルバム
所属しているバンド
脚注
関連項目外部リンク
|