松濤幼稚園松濤幼稚園(しょうとうようちえん)は、かつて日本の東京都渋谷区松濤に存在した私立幼稚園[注釈 1]。2010年(平成22年)3月をもって閉園した。開園当時の表札には「松濤幼児研究所」、閉園当時には「松涛幼稚園」とも表記されていた。 概要開園は1947年(昭和22年)で、開設者は後の学習院大学名誉教授で伯爵の林友春[1]の妻、 東京でも屈指の高級住宅街である松濤に所在するとともに、慶應義塾幼稚舎や学習院初等科をはじめとする有名小学校への進学実績、高額な学費、皇族・旧宮家・旧華族・政官財界・著名人など名家の子弟が多く通うことで知られ、東京のいわゆる「お受験」界において、当園を筆頭に若葉会幼稚園(港区西麻布)、枝光会附属幼稚園(港区三田)が『御三家幼稚園』と呼ばれていた。 教諭陣が旧皇族華族出身者や財界人の子女で構成される等の特殊性から、入園には実技試験や両親面接以外に家柄や出自の詳細・学歴の提出(いわゆる身上書)や、本園と何らかの知己のある人物の紹介(紹介者の氏名や捺印など)を必要とされていた。そのため、基本的に縁故入園の傾向が強く、一般の入園が困難だった点で教育関係者の一部では紹介制の「会員制倶楽部」と称される事もあった。 従来、日本で最も学費が高額だった幼稚園としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては青山学院幼稚園(144.5万円[3])に次いで2番目に高額であった[3][4]。毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶していたことから「花より男子」の学園を彷彿させるステータスシンボルのような存在でもあった。 また、皇室関係者が在籍する学年があるときは、複数の皇宮護衛官が配置されていた。 皇族・華族関係者や在園家庭の一部で、3年保育のみを募集する本園から、2年保育のみを募集する学習院幼稚園に移動する事例が見られた。 創立50周年には、三笠宮崇仁親王・三笠宮妃百合子夫妻、三笠宮寬仁親王妃信子ら皇族が招かれた。 麻生家との関係元総理大臣・麻生太郎の母であり麻生太賀吉の妻であった麻生和子は松濤幼稚園創設者で園長の林貞子にとって従妹にあたり(林の父・牧野伸通の妹が吉田茂に嫁いだ吉田雪子)、近い親戚であることから麻生家との関わりが深かった。 卒園生でもある麻生信子が三笠宮家寬仁親王と結婚する以前、母・麻生和子同様、姉の荒船旦子[注釈 4]らと共に英語教師として勤務していたことでも知られた[注釈 5]。 麻生太郎元首相(現・自由民主党最高顧問)本人とも所縁が深く、一時期運動会のために麻生邸の庭を貸していた。実際に、2008年9月23日のニュース記事では三宅久之(第5次吉田内閣の首相番記者、政治評論家)が「40年ぐらい前までは(麻生邸の)近くにある松濤幼稚園に運動会をやるスペースがないということで麻生邸の庭を借りてました」と発言している[6]。 三木谷浩史との関係2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。現在、跡地には楽天グループ創業者三木谷浩史の邸宅がある[7]。 著名な出身者松濤幼稚園の主な卒園生や出身者には、名誉会員として、寬仁親王妃信子、高円宮憲仁親王と3人の子(承子女王、千家典子、守谷絢子)、千容子などの皇族から旧華族関係者までがいる。寛仁親王と寛仁親王妃の2人の子(彬子女王、瑶子女王)も一時通った。 そのほか、政官財界では麻生泰(慶應義塾三田會会長、麻生会長)と長男麻生巌、岸信夫[注釈 6]と長男岸信千世、武見敬三(厚生労働大臣)、新進では中曽根康弘の孫にあたる中曽根康隆・中曽根文子(日本交通創業家社長の川鍋一朗の妻)らの他、旧中島飛行機が前身になる富士重工(現SUBARU)創業者の孫中島洋次郎、ソニー創業家の盛田英夫・盛田昌夫、戦後岸信介と関わりがあったロッテ創業家の重光宏之・重光昭夫、日興証券(現SMBC日興証券)創業者の孫遠山正道[8]、山本貴大(山本海苔店7代社長)、竹中工務店社長を務めた竹中宏平の孫にあたる竹中祥悟(竹中土木社長)[注釈 7]、堀新太郎(ベインキャピタルジャパン会長)、正力源一郎(CS日本社長)、新倉能文(大和自動車交通創業家社長)、旧豊年製油中興家の杉山顕太郎(旧ナレッジパーク創業者)、古屋毅彦(松屋(百貨店)創業家社長、一時在籍)、細田将己(榮太樓總本鋪副社長)、石井菜穂子(財務官僚、地球環境ファシリティCEO)、阿部知之(元外務省大臣官房長)、松倉浩司(元交流協会専務理事、元東北通産局長)などがいる。 学界では吉川洋(経済学者)、遠山公一(慶應義塾大学教授)、真田幸俊(真田家16世14代当主、慶應義塾大学教授)がいる。 他諸分野では近衞忠大(映像作家、近衞家33代目、一時在籍)、三代目中村扇雀(歌舞伎俳優) 、四代目中村鴈治郎 (歌舞伎俳優)とその子中村壱太郎 (歌舞伎俳優)、千聖(ミュージシャン)、寺島しのぶ(女優)・5代目尾上菊之助(歌舞伎役者)姉弟[9]、平和相互銀行創業者の孫小宮山雄飛(ミュージシャン・タレント)、河合彩(元アイスダンス選手、一時在籍)、旧皇族 竹田宮家出身の竹田恒泰(政治評論家)、丸井創業者の孫・青井実(NHKアナウンサー)、上野隆博(ダンサー)、森勉(デザイナー)・森泉(タレント)・森星(モデル)ら森英恵の孫、加山徹(旧名山下徹大、俳優)・梓真悠子(タレント)・池端えみ(女優)ら加山雄三の子弟、Taka(ONE OK ROCK)・森内寛樹(MY FIRST STORY)兄弟、藤井サチ(モデル)、田村幸士(俳優)、松田和佳(フリーアナウンサー)[10]、濱尾ノリタカ(俳優・モデル)など芸能メディア関係者等も多い。 子や孫らを通わせた関係者創設者の親族とその関係者
皇族・旧皇族・旧華族とその関係者
政治家
実業家その他
芸能・芸術関係者
他多数の名家や著名人が子息・孫を通わせている。以上は「松濤幼稚園同窓会誌」の記載からの一部抜粋である。 創設者林貞子の親族
その他その他の関係者創立者林貞子の夫友春や、貞子の妹杉山淑子らと同様、三女楢原茂子[注釈 11](学習院桜友会副会長[16])も松濤幼稚園の運営に携わり、園長を務めた[17]。 学習院幼稚園園長(2001年ー2008年)を務め、敬宮愛子内親王付の東宮女官を歴任した小山久子も、1968年から松濤幼稚園で勤務[18]していた。 上記以外にも、実に様々な皇族・華族・創業家等の令嬢が教諭として勤務していた[注釈 12][注釈 13][注釈 14][注釈 15]。 若葉会幼稚園との関係林貞子の長女三井富美子は三井高公(三井家第11代当主)の四男三井之乘の妻[2]。はじめ富美子は松濤幼稚園に勤務する予定であった[2]が、急遽1980年(昭和55年)頃から若葉会幼稚園の運営にかかわるようになり、1986年(昭和61年)4月[2][19]から2009年(平成21年)3月[19]まで同園園長を務めた。現在、同若葉会園長は三井富美子の長女大林和子(林貞子の孫) が務める。大林和子は大林剛郎(大林組創業家4代目会長)の妻である[20]。 同二女小林絢子は小林中の長男小林喬(元フコク生命社長)の妻で、その二女に代議士の堀内詔子(富士急行社長堀内光一郎の妻)がいる(牧野伸顕#家族・親族も参照)。 楽天・三木谷氏との関係跡地は現在、楽天社長の三木谷浩史の邸宅となっている。近隣に居住し、母 麻生和子から妹 寬仁親王妃信子らが関わってきたように、同幼稚園とゆかりが深い麻生太郎は、一代で財を成したいわば「成金」の三木谷浩史が跡地に越してきたことに複雑な心境や面持ちにあったと媒体で興味本位に伝えられた[21]。なお、三木谷浩史の子息も同幼稚園の出身である。 関連項目脚注注釈
出典
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