村松久義村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日[1][注 1] - 1972年5月12日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 経歴宮城県仙台市出身[2]。1923年東京帝国大学独法科、1925年同大学経済科卒[3]。司法官試補、検事代理、名古屋地方裁判所判事を経て[3]、弁護士となる。1932年の第18回衆議院議員総選挙で宮城2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選する[1]。民政党解党後は大政翼賛会国民生活動員本部長に就任、翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選。当選後は翼政会政調厚生委員となった[2]。 戦後、公職追放となり[4]、1951年に追放解除[5]。翌年の第25回衆議院議員総選挙で自由党公認で立候補して当選し、政界に復帰した。1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選。1955年の第27回衆議院議員総選挙で当選した。1958年の第28回衆議院議員総選挙で落選。翌1959年の第5回参議院議員通常選挙で宮城地方区から立候補して当選した。1965年の第7回参議院議員通常選挙で落選。1971年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲三等からの昇叙)[6]。1972年5月12日死去、76歳。死没日をもって従七位から従三位に叙され、銀杯一組を賜った[7]。 親族脚注注釈
出典参考文献
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