中川俊思
中川 俊思(ながかわ しゅんじ、1903年(明治36年)1月20日[1] - 1973年(昭和48年)11月30日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。元衆議院議員中川秀直の義父[1]、前衆議院議員中川俊直の祖父。 来歴・人物広島県賀茂郡荘野村(現竹原市[1])出身。堀川市助の三男に生まれ、禎助の養子となる[2]。 1923年(大正12年)中央大学法学部中退[1]。中国新聞や國民新聞の記者を経て[1]1949年の第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で広島2区から立候補し初当選[1]、通算8回当選[1](当選同期に池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。保守合同後は自民党に参加する。この間衆院商工、農林水産、決算各委員長、衆院海外同胞引揚および遺家族援護に関する特別委員長、厚生、通産各政務次官などを歴任した[1]。 趣味は読書、碁、ゴルフ。宗教は仏教。住所は東京都新宿区東五軒町、広島県豊田郡豊栄町[2]。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退。1973年11月30日死去。享年70。地盤は娘婿の中川秀直が引き継いだ。 1959年3月6日第31回国会商工委員会において、当時通商産業政務次官であった中川俊思は、突然歯痛のために国会に連絡をせずに銀座の歯科医院に行き、委員会を流会させたというエピソードを持つ[3]。 系譜
→詳細は「中川秀直」を参照
(佐藤) 佐藤胖━━━中川秀直 ┃ ┣━━━━━中川俊直 ┃ ┏佳津子 ┃ 中川俊思━╋女 ┃ ┗男 脚注参考文献
関連項目
|