平和堂
株式会社平和堂(へいわどう、英: HEIWADO CO.,LTD.[3])は、滋賀県を中心に近畿地方、北陸地方、東海地方で総合スーパーとスーパーマーケットを展開する企業。滋賀県と中華人民共和国湖南省が友好提携している縁で、湖南省にも進出している[4]。 愛知県にある印刷業の平和堂印刷やかつて東京都に存在した宝石・貴金属類取引会社の平和堂貿易、東京都で名刺等紙製品を企画販売している株式会社平和堂、及び新潟県妙高市にある製菓業の株式会社平和堂とは資本関係等の関係はない。 概要1953年(昭和28年)12月、夏原平次郎により滋賀県彦根市市街の土橋商店街(現在の銀座商店街)でマルビシ百貨店のテナントとして夏原商店が開店(創業)[5]。1957年(昭和32年)に「靴とカバンの店・平和堂」として平和堂を設立[6]した。 屋号である「平和堂」の由来は、創業者である夏原平次郎の長男であり、後に会長となった平和(ひらかず)に因む[要出典]。後に「おしゃれの店・平和堂」と衣料スーパーの出店を行い、1963年(昭和36年)に3店舗を統一した大型店舗であるジュニアデパート平和堂(旧本店3代目、現・彦根銀座店)を発祥地に開店[5]。1966年(昭和41年)に衣料、雑貨、食品を販売する総合スーパー(GMS)となった。以降、滋賀県を中心にドミナント戦略で店舗展開を行い、近隣府県にも進出した。現在の本部ビルは滋賀県彦根市の南彦根駅近くに所在し、隣接してビバシティ彦根がある。 ドミナント戦略を特徴とし、滋賀県に81店舗、京都府に20店舗、大阪府に21店舗、兵庫県に3店舗、福井県に6店舗、石川県に7店舗、富山県に2店舗、岐阜県に7店舗、愛知県に16店舗を構える(2020年9月末時点。子会社店舗を含む)。通常のスーパーマーケット店舗のほか、大型店を「アル・プラザ」(AP)、小型店を「フレンドマート」(FM)[注釈 1]などのブランドで展開している(簡潔な解説は業態を参照)。 新規の大型店だけでなく、商店街組合と共同出店したり(堅田店の出店時に始められ「堅田方式」と呼ばれる)、他社(書店など、スーパーマーケット以外の業種も含む)が撤退した店舗に入居して再生させたり、マンションの1階に入居したりと、出店パターンが多様なのも特徴である。 本拠地の滋賀県においては、ユニーから得た地域ドミナント戦略を参考にし、県の中心部にある琵琶湖を取り巻く「琵琶湖ネックレスチェーン構想」と称して、駅前中心街から郊外地域まできめ細かく店舗展開している。また、滋賀県内のケンタッキーフライドチキンやTSUTAYA、北陸地域のCoCo'sなどは、平和堂の子会社によってフランチャイズ運営されている。県内小売業界で圧倒的なシェアを誇り、県民生活にも大きな影響力を有する。2013年(平成25年)8月20日には、滋賀県と平和堂の間で地域密着連携協定を締結している(滋賀県と民間企業が包括的連携協定を結ぶのは7社目、県内企業では初)[7]。 企業理念企業理念については、1972年(昭和47年)、会社・客・生産者・取引先・社員の調和と地域社会への貢献を重視し、鳩(ハト)を会社の象徴として、以下に表す「五つのハトのお約束」を制定している。 こうした理念を反映し、平和堂においては売上高を「ご奉仕高」、粗利益高を「創造高」と呼称している。また、社風として、生産者への感謝の気持ちを育むため、食前・食後の合掌を社員全員に励行させている。 1974年(昭和49年)に制定された平和堂のロゴは、羽ばたく2羽の鳩を図案化したもの[注釈 2]で、「対立しながら調和を生むところに真の進歩がある」という理念を表している。1971年に制定されたイトーヨーカ堂のロゴ[注釈 3]に類似している。 HOPカード1989年(平成元年)、それまであった「平和堂ショッピングカード」および「ハトの謝恩券」に代わって、平和堂全店と提携店舗で使用できるポイントカード「HOPカード」が導入された。"HOP" は "Heiwado Original Point" の略語である。初期の頃より100円(税抜き)で1ポイント付与され、1000ポイントに達すると現金1000円(一部店舗を除く)との交換を行っている。当初は自社クレジットカードタイプと非クレジットカードタイプが存在した。2009年(平成21年)4月1日以降はクレジット事業を三井住友カードが引継ぎ、自社クレジットカードは「HOP-VISAカード」に変更され、自社クレジットのキャッシングは同年3月31日に、ショッピングは6月30日に廃止された。なお、現金と平和堂商品券、HOPマネー、HOP-VISAカード、HOP-iD、HOP-Edy以外で支払いする場合はHOPポイントが付与されない。 東海地方への進出東海地方には同じ日本流通産業(ニチリウ)加盟のGMSチェーンである株式会社グランドタマコシ(愛知県一宮市。以下タマコシ)があり、相互に商圏を侵さないよう、平和堂は東海地方へ進出していなかったが[8][9]、タマコシは2004年(平成16年)2月19日に名古屋地方裁判所に民事再生法の適用を申請して経営破綻した[10]。経営再建支援にはバロー(本社:岐阜県多治見市)も名乗り出ていたが[11]、2004年(平成16年)2月23日に愛知県名古屋市で開かれた債権者集会には、スポンサーに名乗りを上げた2社のうち、平和堂社長の夏原平和のみが出席した。正式にスポンサーに決まっているわけでもないのに債権者集会に出席することは「通常では考えられない」と、同業他社から批判される異例の展開を辿った[12]。結局、2004年(平成16年)3月22日、平和堂が「正式にスポンサーとなる基本合意書を締結した」と発表して、子会社平和堂東海が10の店舗とその従業員全員等を引継ぐことになった[13][14]。 平和堂は完全子会社である株式会社平和堂東海を設立、タマコシの10店舗(岐阜県3店舗、愛知県7店舗)と関連会社2社、事業用地、人員などを引き継ぎ、図らずも東海地方へ進出することとなった。なお、旧タマコシ店舗の一部ではタマコシ時代のロゴが現在も継続しているところがある。また、平和堂引き継ぎ後の閉店が決まっていたJR尾張一宮駅前の一宮本店(タマコシ本社も所在・当初は平和堂東海本社も同居)は2004年(平成16年)6月に他店舗が平和堂に転換した後も同年9月末までタマコシ名義で営業を続けていた。現在のタマコシ一宮本店跡地にはマンションが建設されている。 2005年(平成17年)5月31日にヤナゲンと業務提携を行い[15][16]、同年7月11日に買収して事業を引継ぐことを発表し[17]、同年9月1日から100%子会社として新設された株式会社ヤナゲン2店と株式会社ヤナゲンストアー7店が営業を開始した[18]。一時期は2000年(平成12年)9月には同じ岐阜県を本拠地とするスーパーマーケットのバローとの間でヤナゲンストアの店舗の売買交渉を行っているという報道がされていた[19]。株式会社ヤナゲンストアー7店は当初はそのままの名称で営業[18]していたが、2006年(平成18年)7月に平和堂東海に吸収合併されて消滅し、平和堂の店舗となった[20]。 平和堂東海は2009年(平成21年)7月21日をもって平和堂に吸収合併され、本社直営となった。以後、東海地方にも随時出店を行っている。 沿革
日本国外への進出中国への進出滋賀県と中華人民共和国湖南省が友好協定を結んでいる縁から、平和堂は湖南省にも進出している[22]。最多時は4店を展開したが、中国沿海部からの大型ショッピングモールの進出、インターネット通販の普及、新型コロナ禍を受けて3店を閉鎖し、2023年時点では中国初の店舗でもある五一広場店のみが営業している[4]。 省長からの「省の発展のため、大型商業施設を出店してほしい」との招請に応えたもので、1998年に省都長沙市に合弁会社湖南平和堂実業有限公司を設立し、長沙市の中心繁華街・天心区五一広場に湖南平和堂五一広場店(湖南平和堂本店)を開業した。平和堂最大級となる高級百貨店店舗で、湖南省初の外資系商業施設であった。従来の中国国営百貨店にはない日本式の先進的な商業サービスが受けて湖南省でナンバー1百貨店の地位を確立することとなり[22]、「高級品を買うなら平和堂」といわれるほど圧倒的信頼を得ることに成功した[22]。なお、五一広場店の建設に際して工事現場から三国時代の呉の大量の木簡・竹簡が発見されている(走馬楼呉簡)[50]。 2007年10月1日には同市にて、中国2店舗目となる湖南平和堂東塘(トンタン)店を開業。2009年9月26日には株洲市にて、中国3店舗目となる湖南平和堂株洲(シュシュウ)店を開業した[51]。 2012年8月1日、湖南平和堂実業有限公司は社名を平和堂(中国)有限公司に変更し[32][注釈 5]、中国における第4号店となる「AUX(奥克斯)広場」を長沙市岳麓大道57号沿いに出店することも併せて発表した(2013年4月開店)[32]。 2012年中国の反日活動による影響日本国による尖閣諸島国有化を機に中国各地で発生した反日活動が暴動に発展した2012年9月15日には、他の日系企業と同様、湖南平和堂五一広場および東塘店にも中国当局の許可(旗など反日スローガン用具の配布を含む)の下でデモ活動参加者が大挙して押し寄せ、やがて暴徒化して店内にも侵入し、本店は外装1階および内装6階までが破壊され、貴金属を始めとする商品のほとんどを略奪された[52][53]。東塘店でも同様の破壊と略奪があり、両店合わせた被害額は日本円で10億円以上に及び、数か月間は営業ができない見通しとなった[52](※当時の湖南平和堂本店の売上高は1日あたり4000万円前後)。店内にいた日本人社員および現地社員に被害は無かった[52][54]。株洲店も同様に襲撃され、被害を受けた[55]。なお、平和堂での暴動の様子は映像が豊富なこともあって、係る事件で多大な損害を受けた日系企業の代表例として日本の国内ニュースで大きく取り上げられた。中国当局はこのたびの日系企業の被害に対して謝罪の意を示すことはなく、日本国側に全面的責任があるとして、反対に自制と謝罪を要求し、反日デモには後押しする姿勢さえ見せた[56]。中国や湖南省が日系企業の損害を賠償する見込みは無い。 五一広場と東塘店は暴動発生から約1か月半後の10月27日、インターネットを通じて「再び襲撃する」との脅迫を受けるなか、厳重な警戒態勢を敷きつつ営業を再開した[57]。株洲店の営業再開は遅れている[57]。先の事件での中国3店舗合わせての直営部分の被害額は約5億円と算出され、うち4億円は保険の補償対象になる見通しとなった[57]。3店舗の営業機会損失額は、再開時期が約1か月早まったことから13億円との当初の予想を下回り、10億円以下に抑えられる見込みが立った[58]。一方、直営部分と入居テナント部分を合わせて被害総額は約35億円に上ることが明らかとなった[59]。なお、暴動から再開に至る経緯およびその後の動向は2012年10月30日と同年12月18日の日経スペシャル ガイアの夜明けでも報道された[60]。 9月18日、各社報道番組が反日暴動事件を伝えるなか、『朝ズバッ!』(TBSテレビ)と『とくダネ!』(フジテレビ)が平和堂創業者一族を「在日中国人の華僑」と誤報し、抗議の結果、訂正・謝罪した[54]。 韓国への進出構想かつては大韓民国への進出構想もあった。韓国の経済発展が目覚ましかった1980年代、韓国財閥のヘテがGMS事業を学ぶために日本の流通業を視察し、平和堂に技術援助を申し出たことに始まる。申し出を受けて平和堂は1989年にヘテと援助契約を締結し、韓国人研修生の受け入れや指導を行った。その成果として翌年にはヘテ高徳店(ソウル特別市江東区)が開店した。合弁会社の設立も計画されたが、韓国の流通業資本自由化が遅れたために頓挫した。 その他イメージソング創業20周年記念に作られた歌[61]。題名は「かけっこ とびっこ」で、全店舗で毎時23分と51分に流れている[61]。彦根市の広告会社社員鈴木和彦を中心に、平和堂社員を交えて作詞された[61]。作曲者は記録がないため不明[61]。歌は葉村エツコだった[61]。滋賀県出身のシンガーソングライターである西川貴教(T.M.Revolution)がラジオ番組で紹介したのをきっかけに注目され、それを機に歌詞の「いじめっこ」を「げんきっこ」に、「なきむしも」を「なかよしも」に、「ママのおともで」を「ママのあとから」に変更し、歌い手も大倉詩乃美に一新され、店内で頻繁に流されるようになった[61]。2009年7月30日からはネット配信も行われている[62]。2022年には、創業65周年を記念して前述の西川貴教が同曲を歌唱し、2022年3月1日から同年12月31日までの期間限定で各店舗で放送(時間が異なり、西川にちなんだ毎時24分と「ゴーゴー」をもじった毎時55分になる)[63]。その後2022年12月で西川貴教バージョンの放送は一旦終了したが、好評だったことから2023年2月24日から再び放送することが決定した[64]。 電子マネーの導入生鮮食品を主力商品とするスーパーマーケットグループとしては電子マネーへの取り組みを早くから行っており、国内全店舗の直営売場で2007年(平成19年)9月20日までにiDおよびEdy(携帯電話のみTポイントなど貯まることになる)の導入を完了し、同年10月10日までにQUICPayの導入を完了した。また、一部店舗では専門店街のレジが更新され、iD・Edy・QUICPayが使用できるようになった。2009年(平成21年)4月からはHOP-EdyカードとHOP-VISAカードの導入により、他の電子マネー(携帯電話方式含む)での支払いはポイントの対象外になった。2016年には、平和堂独自の電子マネー「HOPマネー」を導入し、会員カード「HOPカード」に紐付けしている[65][66]。 イメージキャラクター頭にハトの被り物をつけ、平和堂のマークが入った服(販促によってデザインが変わる)を着た「はとっぴー」というイメージキャラクターがいる。2013年7月から9月にかけて一般公募が行われ、社内選考とインターネット上での人気投票を経て、3033件の応募のなかから大阪府の女性によるデザインが最優秀作品に選ばれ、12月11日に公式発表された[67]。 バーチャルYouTuber2018年12月1日からバーチャルの平和堂従業員「鳩乃 幸(はとの さち)」がバーチャルYouTuberとしてデビューした[68]。インターネットを通じて認知度を高め、身近に感じてもらうことが目的である。 展開する店舗
業態当項では主な業態を簡潔に解説する。
店舗画像ギャラリーアル・プラザ滋賀大学経済学部の元教授小倉栄一郎がALL PLAZA(すべてのものが寄り集まる広場)からAL・PLAZAと命名[6]。直訳すると「すべて集まる場所」という意となる[70]。平和堂を核店舗とし、専門店・レストラン・レジャー施設などで構成される複合型ショッピングセンターである[70]。 →「アル・プラザ § 店舗」を参照
平和堂総合スーパー(GMS業態)の愛称であり、運営企業の名称と同一である。東海地方にはフレンドマートの店舗が無いため、食料品のみを取り扱う店舗であってもこの愛称を用いている。なお、アル・プラザも総合スーパーを展開しているが、あくまでブランドであり、(専門店などの)テナントも多数あるため区別されている。 近畿滋賀県
その他東海
フレンドマート食料品を中心としたスーパーマーケット(SM業態[89])の愛称[70]。同店舗を核とした専門店街併設店(NSC業態[90])の総称は「フレンドタウン」と呼ばれる(例:フレンドタウンコウカ)[70]。1980年代に「スーパーフレンド」(500平方メートル未満のミニスーパーの愛称)を滋賀県内で展開したことがその前身であり、同店舗は大石店を除く全店(※改称前に閉店した店舗を除く)が「フレンドマート」に改称している[71]。ちなみに、「フレンドマート」の第1号店は1986年12月に開店した原店である[6][71]。派生店舗として、「フレンドマート・D」(ディスカウント業態の実験店)[73]と「フレンドマート・G」(「フレンドマート」(SM業態[89])の上位互換[注釈 7]と「フレンドマートスマート」(基本売り場面積を150坪〈約500平方メートル〉とし、すべてのレジをセルフレジに変えた小型店舗の業態[74][75])がある。 店舗の例
子会社店舗エール→詳細は「エール (京都府)」を参照
1921年創業の京都府舞鶴市のスーパーマーケット。1978年に平和堂子会社化。
マルゼン→詳細は「丸善 (チェーンストア)」を参照
1947年創業のスーパーマーケット。2023年9月28日に平和堂との吸収合併が報じられた[44]。丸善として運営した店舗(吸収合併前)は下記のとおりであるが、平和堂との吸収合併後は屋号(「フレンドマート」・「フレンドマートスマート」・「丸善」の3つ)を使い分けて営業することが2024年8月19日に発表された[31]。なお、同社は平和堂と吸収合併したため、2024年8月21日に解散している[48][49]。
かつて存在した店舗平和堂 他近畿滋賀県
京都府
東海
北陸
タマコシ
ヤナゲン1910年創業の岐阜県大垣市の百貨店。日本百貨店協会、ハイランドグループに加盟。2005年に食品部門の子会社・ヤナゲンストアーと共に平和堂子会社化。
マルゼン
参考/出店を断念した店舗
その他事業レストラン事業として「レストランはと」(ファミリーレストラン)を運営し、アル・プラザや平和堂の一部店舗内に併設していたが、2019年12月20日に木之本店(滋賀県長浜市木之本町〈旧・伊香郡木之本町〉木之本)が閉店した後は、和邇店[注釈 8](大津市〈旧・滋賀郡志賀町〉和迩中浜)が唯一の店舗となった[123]。なお、レストランなどの外食事業はフランチャイズ運営も行っている(詳細は関連会社を参照)。 提供番組下記の各番組のスポンサーを務めている。なお、平和堂は「平和堂ママさんバレーボール大会[124]」の特別協賛も務めている[125]。 テレビラジオ関連会社
不祥事・事件脚注注釈
出典
参考文献関連項目
外部リンク
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