塚田正昭
塚田 正昭(つかだ まさあき、1938年12月16日[2][10][注 1] - 2014年1月27日[5][12])は、日本の俳優、声優。マウスプロモーションに所属していた[7]。神奈川県川崎市出身[3]。妻は同じく声優の野沢雅子[8][9][12]。 経歴神奈川県立川崎高等学校卒業[1]。青年演劇研究所出身[7]。劇団東芸を経て、マウスプロモーションに所属していた[7]。 2014年1月27日、神奈川県横浜市の自宅で死去[4][5]。75歳没。戒名は「嘉声院観海正覚居士(かしょういんかんかいしょうかくこじ)」[13]。通夜は2月1日に営まれ、古谷徹、三ツ矢雄二、山口勝平、水島裕、戸田恵子ら433人が参列した[14]。葬儀・告別式は2月2日に営まれ、山寺宏一、田中真弓、山口勝平、森田順平ら150人が参列し、出演作「BLEACH」の監督を務めた阿部記之が弔辞を読んだ[15]。死去するおよそ2年ほど前から体調不良を理由にレギュラー番組を降板していた[16]。死因に関しては公表されていない。森田成一は自身のツイッターでも追悼メッセージを寄せていた[17]。 人物・特色テレビ草創期から活動しており[18]、アニメや吹き替えに多数出演した[19]。貫禄のある声質で、威厳ある地位の高い役や、老人役を多く担当していた[18]。 妻の野沢によると、二人の出会いは、「ちょっと運命的じゃないか」とのこと[8]。野沢が独身時代にある夜、稽古場で劇団仲間の一人が、「海にドライブに行かないか」と言い出し、皆で車に乗り出掛けた[8]。雨が降っていた中、第二京浜国道を飛ばしていた時、仲間がいっせいに「あーっ!」と言い、急いで振り向いたところ、オートバイが転倒し、そのドライバーが道路を流れるように滑っていくのを目撃した[8]。その時は「あんなすごい倒れ方じゃ、あの人絶対死んじゃってるよ」、「そうだよな、救急車なんて来ないだろうし。こういう時はどうしたらいい?」と思うほどの事故だった[8]。数日後、野沢はNHKのテレビドラマ『浅春』のリハーサルで初めての主役だった塚田に出会った[8]。塚田はその後1、2年経ってからNHKのプロデューサーに可愛がってもらい、その人物の紹介で、野沢が当時所属していた劇団東芸[7]に入団[8]。ある時、野沢が稽古場で塚田と話していたところ、例の雨の日の話が出て「もしかして第二京浜?それいつ頃のこと?」と聞いたところ、目撃した事故と時期が合っていたという[8]。目撃談を聞き終わって「それ、俺だよ、転がっていたの」と塚田から聞き、驚いてしまったという[8]。 長男であり[9]、父は建築業を営んでいた[8]。娘がいた[8][9]。 後任・代役塚田の体調不良による降板及び死後の後任・代役は以下の通り。
出演テレビドラマ
映画
舞台
特撮
テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメ
ゲーム
ドラマCD
吹き替え担当俳優
映画
ドラマ
アニメ
人形劇
ラジオドラマ舞台
脚注注釈出典
外部リンク
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