城戸淳二
城戸 淳二(きど じゅんじ、1959年〈昭和34年〉2月11日 - )は、日本の高分子工学者。山形大学教授[1]。有機EL(有機エレクトロルミネッセンス)の開発者で、1993年に世界初となる白色有機ELを開発したことで知られる[2]。 略歴・人物大阪府東大阪市出身。東大阪市立長瀬東小学校、東大阪市立金岡中学校卒業。1977年(昭和52年)上宮高等学校を卒業し[3]、早稲田大学理工学部に入学するも競技スキーとアルバイトにかまけて卒業研究までは勉学をおろそかにしていたが、卒業研究の指導教官の土田英俊教授から「キド君は希土類をやれ」と語呂合わせで、発光材料でもある希土類金属錯体の研究を始め、材料研究の面白さに目覚めた。 1984年に早稲田大学理工学部を卒業後[1]、土田教授の勧めで米国ニューヨークポリテクニック大学(現ニューヨーク大学)大学院博士課程に留学する。ニューヨークではYoshi Okamoto教授の指導のもと、発光性の希土類錯体の研究を行うも、研究室で目にした希土類錯体分散プラスチックの明るい蛍光に感動し、電気でプラスチックを光らせたいと有機エレクトロルミネッセンス(EL)の研究に興味を持った。 1989年(平成元年)山形大学工学部高分子化学科助手となり有機ELの研究を始め、まずは希土類錯体を用いて緑色、赤色のEL発光を実現し、1993年に世界初の白色有機ELの開発に成功した。これは赤色有機ELの作製実験を学生に行わせたところ、学生が赤色色素の濃度を薄くしてしまい、その結果出来た物が白味掛かった淡いピンク色だったのが発端だった[4]。 その後、白色有機ELをタンデム化など高性能化して実用化まで導き、三菱重工業、ローム、凸版印刷、三井物産などと合弁会社ルミオテック を設立し、2011年に照明用有機ELパネルの生産を開始した。このように、白色有機EL技術で有機EL照明の分野を切り拓いたばかりでなく、白色とカラーフィルターを用いた大型有機ELテレビの基盤技術も開発した。 年譜
受賞
著書
共著
編著
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |