二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日[出典 1] - 2021年〈令和3年〉8月21日[9][10])は、日本の俳優。本名および旧芸名、二瓶 正典()[出典 2]。
東京府東京市[6]麹町区永田町[注釈 1]出身[4][11]。麹町中学校、専修大学附属高等学校卒業[4][11]。二瓶事務所を経て[2]、メセナに所属していた[5]。
来歴
実父はドイツ人[9][10]。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る[12]。
1960年に東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く[4]。1961年、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演[13]。宇宙パイロット役を演じるが、本格的な東宝特撮映画出演はこの1本に留まった。1963年には若大将シリーズ『ハワイの若大将』で運動部のマネージャー江口役に抜擢()された。この役はシリーズを通して江原達怡が演じていたが、泳げないため海に落ちるシーンを嫌って降板した。そのため、この作品のみ二瓶が演じた。
1966年、『ウルトラマン』(TBSテレビ / 円谷プロダクション)で科学特捜隊のイデ隊員役に起用された[3]。コミカルで人間味豊かなキャラクターは高い人気を得て二瓶自身の代表作となった[6]。その後も『マイティジャック』(1968年)、アニメ『ザ☆ウルトラマン』(1979年)では前述のイデ隊員を意識したトベ隊員の声を担当するなど、円谷プロダクション作品に出演することとなる。
テレビドラマと並行して、引き続きクレージー映画などに出演していたが、1969年に東宝を退社[11]。フリーとなり、大きな身体とにぎやかな声を活かして『ぎんざナイトナイト』などのテレビ番組の司会やCMなどで幅広く活躍[4]。
1980年代後半に鎌倉市に引っ越し、1990年代には不動産業などの実業家としての活動が中心となり、芸能活動は控えるようになった[9][10]。しかし、1990年代半ばにはウルトラシリーズブームの再燃もあり、再び円谷プロダクション作品に顔を出すようになる。1997年に『総理と呼ばないで』(フジテレビ)で久々のドラマレギュラー出演を果たした。2005年には『ウルトラマンマックス』にダテ博士役でセミレギュラー出演した。近年はビルオーナーをしており、芸能関連の仕事はウルトラマン関係のイベントが多かった。
2021年8月21日、誤嚥性肺炎のため死去[出典 3]。80歳没。
人物
エピソード
- 『ウルトラマン』の前作『ウルトラQ』にも3度出演している。第9話「クモ男爵」で使われた車は二瓶自身の愛車で、本人も出番があるものと思っていたところ、車のシーンの撮影が終わり、「ありがとう」の一言で片づけられたという[16]。
- 当初イデ隊員役は石川進が務めていて撮影も始めていたが、スケジュールもしくは出演料が折り合わずにクランクイン2日のみで降板したため[17][18]、前作『ウルトラQ』に3度出演していた二瓶が急遽配役された。
- 『ウルトラマン』撮影時、台本のセリフの「兎に角(とにかく)」が読めず、アラシ隊員役の毒蝮三太夫に冗談で「ウサギにツノ」だと教えられたのを真に受けてNGを連発し、ふざけているのだと思われて飯島敏宏監督を怒らせたことがあった[19][20]。
- ザ・ランチャーズでドラムスを担当しており[6]、腕前は映画『エレキの若大将』やテレビドラマ『青春とはなんだ』などで披露している。
- 『マイティジャック』で共演した二谷英明は元々ファンであり、共演が決まったときは緊張しながら撮影に臨んでいた。その一方で作品のイメージが固くなってしまったことは残念だという[13]。その後、『特捜最前線』で2度共演した。
- 巨人ファンである毒蝮三太夫とは、自身がアンチ巨人であるためにアニメ『巨人の星』の裏番組で視聴率が低迷した『戦え! マイティジャック』について討論になることもあるという[13]。
- アニメ『ザ☆ウルトラマン』では声優に挑戦したが、後年のインタビューでは「ただでさえアフレコが苦手だったので、声優は難しいですね。やっぱり特撮の方が良いな」と述べている[21]。
- 元フジテレビアナウンサーの露木茂は中学校時代の同級生。『ウルトラマン』でウルトラマンのスーツアクターを担当した古谷敏とは東宝芸能学校および東宝ニューフェースの同期である[12]。
出演
映画
テレビドラマ
テレビアニメ
DVD
その他のテレビ番組
ラジオ
CM
その他
- 『ウルトラマン』ソノシート(1966年 - 1967年) - イデ隊員
音楽
二瓶正也(に該当する役)を演じた俳優
- テレビドラマ
脚注
注釈
出典
- ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年、582頁。ISBN 4-415-00878-X。
- ^ a b c d e 『日本タレント名鑑』 '90、VIPタイムズ社、1990年、196頁。
- ^ a b c d e f g ゴジラ大百科 1993, p. 126, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
- ^ a b c d e f g 『日本映画人名事典』 男優篇 下巻、キネマ旬報社、1996年、383頁。ISBN 4-87376-189-1。
- ^ a b c 『テレビ・タレント人名事典』(第5版)日外アソシエーツ、2001年、808-809頁。ISBN 4-8169-1677-6。
- ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 533, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c d e モスラ映画大全 2011, p. 123, 「脇役俳優辞典34」
- ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「12月4日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、350頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ a b c d “「ウルトラマン」イデ隊員、二瓶正也さん死去 80歳”. スポーツ報知. (2021年8月24日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210824131455/https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51162.html
- ^ a b c d “「ウルトラマン」の科学特捜隊イデ隊員役、二瓶正也さんが死去”. サンスポ. (2021年8月24日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210824132157/https://www.sanspo.com/article/20210824-XQ2DQQMVYNOZRJVCFJR3YLAO4I/
- ^ a b c 『日本映画俳優全集 男優編』キネマ旬報社、1980年、440頁。
- ^ a b c 「Pickup Interview 二瓶正也」『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、52-53頁。ISBN 978-4-8003-0209-0。
- ^ a b c 『テレビマガジン特別編集 特撮ヒーロー大全集』講談社、1988年12月30日、181頁。ISBN 4-06-178411-0。
- ^ “俳優の二瓶正也さん死去 「ウルトラマン」のイデ隊員”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2021年8月24日). https://www.asahi.com/articles/ASP8S5F5NP8SUCLV00F.html 2021年8月24日閲覧。
- ^ スポーツ報知 二瓶正典(本名)死去の記事「妻で写真家の福島晶子さんが喪主となり、2人の娘と2人の孫娘ら近親者で葬儀を執り行った。」
- ^ 『ウルトラマン99の謎』二見書房[要文献特定詳細情報]
- ^ 白石雅彦『飯島敏宏 「ウルトラマン」から「金曜日の妻たちへ」』双葉社、2011年、147-148頁。ISBN 978-4-575-30298-1。
- ^ 黒部進『ハヤタとして、父として』扶桑社、1998年、92頁。ISBN 4-594-02556-0。
- ^ 桜井浩子『ウルトラマン青春記 〜フジ隊員の929日〜』小学館、1994年、108-116頁。ISBN 4-09-387128-0。
- ^ 「インタビュー二瓶正也」『別冊映画秘宝 ウルトラマン研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、31頁。ISBN 978-4-8003-0262-5。
- ^ 『素晴らしきTVヒーローたち』学習研究社〈GAKKEN MOOK アニメディア〉、1986年、89頁。
- ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–537, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 99, 「『大冒険』作品解説/俳優名鑑」
- ^ “会社概要”. ワンド株式会社(旧マイセット) (2023年4月13日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ “ワンドについて”. ワンド株式会社(旧マイセット) (2023年4月12日). 2023年5月29日閲覧。
出典(リンク)
参考文献
外部リンク