三浦 義秋(みうら よしあき、1890年(明治23年)9月8日[1] - 1953年(昭和28年)12月23日[1])は、日本の外交官。駐メキシコ公使。
経歴
滋賀県出身。1916年(大正5年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、1919年(大正8年)、高等試験外交科に合格した。外務事務官、対支文化事務局事務官、アメリカ合衆国大使館三等書記官、中華民国公使館三等書記官、関東庁事務官・長官官房外事課長、上海領事、中華民国公使館二等書記官、廈門領事・台湾総督府事務官、中華民国公使館一等書記官、漢口総領事、ロンドン総領事、上海総領事、中華民国大使館参事官を歴任。1940年(昭和15年)、駐メキシコ公使に任命され、1943年(昭和18年)に退官した。
栄典
脚注
- ^ a b 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、p.222。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。
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全権公使(ワシントンD.C.駐在) | |
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全権公使(メキシコシティ駐在) |
- 在メキシコ公使が兼轄1935-1941
- 堀義貴1935-1936
- 越田佐一郎1937-1940
- 三浦義秋1940-1941
- 国交断絶1941
- 国交再開1954
- 在メキシコ大使が兼轄1955-1964
- 久保田貫一郎1955-1958
- 千葉皓1958-1960
- 林馨1960-1964
- 大使館昇格1964
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全権大使(メキシコシティ駐在) |
- 在メキシコ大使が兼轄1964-1967
- 林馨1964-1965
- 石黒四郎1965-1967(在メキシコ大使としては引き続き1968年まで駐箚)
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名誉領事(グアテマラシティ駐在) | |
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- 在エルサルバドル公使/大使が兼轄
- 林不二雄1960-1965
- 鈴木耕一1965-1967
- 昇格1967
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全権大使(サンサルバドル駐在) |
- 在エルサルバドル大使が兼轄
- 鈴木耕一1967-1970
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領事 |
- 上海出張所開設1872
- 品川忠道代理領事1872-1873
- 領事館に昇格1873
- 品川忠道1873-1876
- 館長の肩書が総領事に昇格(在外公館の格式は領事館のまま)1876
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