越田 佐一郎(こしだ さいちろう、1884年(明治17年)10月31日[1] - 1963年(昭和38年)2月2日[2])は、日本の外交官。駐メキシコ公使。日本メキシコ協会会長[2]。
経歴
石川県金沢市出身[1]。1902年(明治35年)、東京郵便電信学校行政科を卒業し、通信書記、通信属となる。1907年(明治40年)、外務書記生試験に合格し、外務書記生に転じた。1915年(大正4年)、外交官及領事官試験に合格し、外交官補になった。以後、大使館公使館書記官を歴任。駐メキシコ代理公使、駐アルゼンチン代理公使・駐ウルグアイ代理公使、駐パラグアイ代理公使、マニラ総領事、スペイン公使館一等書記官、バタヴィア総領事などを務めた。1936年(昭和11年)、駐メキシコ公使に就任し、エルサルバドル・グアテマラ・ホンジュラス・ニカラグア・コスタリカ各国の公使を兼ねた。
1940年(昭和15年)に退官した後は、南洋倉庫株式会社副社長を務めた。
栄典
脚注
- ^ a b 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- ^ a b 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
|
---|
全権公使(ワシントンD.C.駐在) | |
---|
全権公使(メキシコシティ駐在) | |
---|
全権大使(メキシコシティ駐在) | |
---|
カテゴリ |
|
---|
全権公使(メキシコシティ駐在) |
- 在メキシコ公使が兼轄1935-1941
- 堀義貴1935-1936
- 越田佐一郎1937-1940
- 三浦義秋1940-1941
- 国交断絶1941
- 国交再開1954
- 在メキシコ大使が兼轄1955-1964
- 久保田貫一郎1955-1958
- 千葉皓1958-1960
- 林馨1960-1964
- 大使館昇格1964
|
---|
全権大使(メキシコシティ駐在) |
- 在メキシコ大使が兼轄1964-1967
- 林馨1964-1965
- 石黒四郎1965-1967(在メキシコ大使としては引き続き1968年まで駐箚)
|
---|
名誉領事(グアテマラシティ駐在) | |
---|
全権大使(グアテマラシティ駐在) | |
---|
カテゴリ |
|
---|
全権公使(メキシコシティ駐在) | |
---|
全権公使(サンサルバドル駐在) |
- 在エルサルバドル公使/大使が兼轄
- 林不二雄1960-1965
- 鈴木耕一1965-1967
- 昇格1967
|
---|
全権大使(サンサルバドル駐在) |
- 在エルサルバドル大使が兼轄
- 鈴木耕一1967-1970
|
---|
名誉総領事(テグシガルパ駐在) | |
---|
全権大使(テグシガルパ駐在) | |
---|
カテゴリ |
在マニラ日本総領事 |
---|
領事 | |
---|
総領事 | |
---|
大使 |
- 大使館に格上げ1943
- 村田省蔵1943-1945
- 閉鎖1945
|
---|
総領事 | |
---|