マイク・フィギス
マイク・フィギス (Mike Figgis, 1948年2月28日 - ) は、イングランドの映画監督・脚本家・作曲家。 略歴生い立ち1948年、イングランドのカーライル生まれ。生後間もなく家族に連れられてケニアのナイロビに移住して、幼年期を過ごした後、8歳からはイングランド北部のニューカッスル・アポン・タインで育った。 大学時代ニューカッスル大学の芸術学部に進学。在学中は音楽活動に没頭して様々なバンドで演奏。学友だったブライアン・フェリーが結成した<The Gas Board>[1][注釈 1]にも参加して、トランペットやギターを担当した。67年にロンドンで3年間、本格的な音楽活動を行い、<The People Band>[2]を結成し、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツのプロデュースでトランスアトランティック・レコードからアルバムをリリースした[3]。後に、同バンドは映画『ストーミー・マンディ』にカメオ出演することとなる。 音楽から映画の世界へ70年代には、前衛演劇グループ<The People Show>にミュージシャンとして参加したのをきっかけに、演技に興味を持ち、その後10年間は同演劇グループの一員となり世界中で公演を行い、成功を収め、批評家からも絶賛された。 80年に同グループから脱退し、王立演劇学校で映画を学びながら、自身の劇団<The Mike Figgis Group>を立ち上げ、映像も組み込んだマルチメディア製作法を考案する。音楽、アニメーション、映画を融合した表現を試みた『ショートストーリーズ』を製作、マルチクリエイターとして活躍し、『Redhugh』(1980)、『Slow Fade』(1984)、『Animals of the City』(1985)をヨーロッパで上映し、ライヴアクションと音楽と映像の革新的な融合を試み、数々の賞を受賞した。 映画監督として『Redhugh』が英国のチャンネル4の目に留まり、『Slow Fade』はスティーヴン・レイ主演で『The House』というタイトルで84年にTV放映化され、高い評価を受けたことにより、映画界から注目を浴び、『ストーミー・マンディ』製作のための映画資金調達が可能となった。 そして87年、メラニー・グリフィス主演によるメジャーデビュー作品『ストーミー・マンディ』を監督し、スティングも出演した。同作品は英国よりもアメリカで評価され、89年にはリチャード・ギア主演の「背徳の囁き」を監督し、ハリウッドデビューを飾った。 91年には、引退していたキム・ノヴァクを起用し、スリラー作品『オブセッション/愛欲の幻』の監督と音楽を手掛け、カルト的支持を集めた。HBO局のオムニバスTV番組『男が女を愛する時』3部構成の1編を任せられ、ヘンリー・ミラーの短編「Mara」をジュリエット・ビノシュ主演で監督し、パリで撮影した。 93年にはリチャード・ギア、レナ・オリン共演の『心のままに』、翌94年にはテレンス・ラティガンの戯曲「The Browning Version」をアルバート・フィニー、グレタ・スカッキ、ジュリアン・サンズ主演でリメイクした『明日に向かって・・・』等々、魅力的なキャストを起用した作品を次々と発表し、アメリカでの知名度を確実なものにしていった後、ハリウッドのメジャー製作からインディペンデント作家に戻った。 翌94年、英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドについてのドキュメンタリー短編映画『Vivienne Westwood on Liberty 』を監督した。 95年には、ジョン・オブライエンが91年に書いた半自伝小説を基に脚色し、ニコラス・ケイジとエリザベス・シューを主演で、ラスベガスを舞台に、自暴自棄なアルコール依存症の男と高級娼婦との絶望的で儚い恋を感動的に描いた『リービング・ラスベガス』を監督し、音楽も自ら担当した。同作品は、ニコラス・ケイジにアカデミー賞主演男優賞をもたらし、その他にも計4つの主要な賞にノミネートされ、世界中の注目を浴びた。劇中使用される音楽には、スティングがジャズのスタンダード・ナンバーを3曲提供した。なお、マイク・フィギスとは『ストーミー・マンディ』以来の友人であるスティングは製作費がぎりぎりだと知り、ノーギャラで承諾した。 同年、フランクフルト・バレエのアヴァンギャルドなアーティスト、ウィリアム・フォーサイス (バレエダンサー)についてのドキュメンタリー映画『Just Dancing Around』をチャンネル4の出資で撮影し、ヨーロッパで放映された。 97年、ウェズリー・スナイプス、ナスターシャ・キンスキー、ロバート・ダウニー・Jrが共演した『ワン・ナイト・スタンド』では、監督、脚本、音楽の三役をこなした。同作品で、ウェズリー・スナイプスはヴェネツィア国際映画祭主演男優賞を獲得した。 同年、女性のフラメンコ・ダンスについてのドキュメンタリー長編映画『Flamenco Women』も監督した。 99年には、構想に17年(マイク・フィギスが第一稿を書き上げたのが82年)をかけた映画『セクシュアル・イノセンス(原題: The Loss of Sexual Innocence)』を、ジュリアン・サンズ、サフロン・バロウズ、ジョナサン・リース=マイヤーズ、ケリー・マクドナルド等々の魅力的なキャストで完成させた。製作段階でのタイトルは、“Death and The Loss of Sexual Innocence(死と性的無垢の喪失)”だったが、映画公開時には“Death”が省略された。なお、映画の中で重要な役割を果たすアダムとイヴ役には、一般オーディションを行い、演技未経験の黒人の男性と白人の女性が選ばれた。 同年、カンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」受賞作品『令嬢ジュリー』(1951年)をリメイクし、サフロン・バロウズ主演による心理劇「仮面令嬢(原題: Miss Julie)」も監督した。 2000年以降もなお、実験的な作品「タイムコード(Timecode)」や『HOTEL ホテル』を監督するなど、常に新しいジャンルへと挑戦し続けているが、2003年にはブルース音楽をテーマにしたドキュメンタリー映画『レッド・ホワイト&ブルース』を撮影した。 2007年には、英国の過激でセクシーなランジェリーブランド「Agent Provocateur(エージェントプロヴォケイター)」のキャンペーンに、スーパーモデルのケイト・モスを起用し、4編の短編映画『The 4 Dreams of Miss X 』を撮影した。 監督作品長編
短編
著作
脚注注釈
出典外部リンク
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