ミヒャエル・ハネケ
ミヒャエル・ハネケ (Michael Haneke, 1942年3月23日 - ) は、オーストリアの映画監督・脚本家。ウィーン在住。カンヌ国際映画祭に作品が6度出品され、パルム・ドール2回、グランプリ1回、監督賞1回を受賞している。 経歴1942年3月23日、ドイツ・ミュンヘンで生まれ、オーストリア・ウィーナー・ノイシュタットで育った。父親は俳優兼映画監督のフリッツ・ハネケ、母親は女優のベアトリクス・フォン・デーゲンシルト。 ウィーン大学で哲学、心理学、演劇を学び、卒業後は映画批評家として数年働いたのちドイツのテレビ局で編集者・脚本家となった。また、舞台演出家としても活動するようになった。1974年からは数本のテレビ映画を手がけた。 1989年、初の長編映画となった『セブンス・コンチネント』を発表。同年のロカルノ国際映画祭でブロンズレパード賞を受賞した。1992年には2作目の『ベニーズ・ビデオ』を発表。ヨーロッパ映画賞作品賞にノミネートされた。1994年の『71フラグメンツ』はシッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリと脚本賞を受賞した。これらの作品は「感情の氷河化三部作」と言われている。 1997年の『ファニーゲーム』は第50回カンヌ国際映画祭に出品され、物議を醸した。同作はシカゴ国際映画祭で監督賞を受賞した。また、同年にはテレビ映画『カフカの「城」』を製作した。 2000年、ジュリエット・ビノシュを起用した群像劇『コード・アンノウン』を発表。2001年の『ピアニスト』は第54回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、主演のブノワ・マジメルとイザベル・ユペールにもそれぞれ同映画祭男優賞、女優賞をもたらした。 その後、再びユペールを起用した『タイム・オブ・ザ・ウルフ』(2003年)を経て、2005年に『隠された記憶』を発表。第58回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。第18回ヨーロッパ映画賞では作品賞、監督賞など5つの賞を受賞した。2008年には『ファニーゲーム』のセルフリメイクとなる『ファニーゲーム U.S.A.』を製作した。 2009年、第一次世界大戦前夜のドイツの田舎町を舞台にした『白いリボン』を発表。イザベル・ユペールが審査員長を務めた第62回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。ドイツ映画賞では作品賞、監督賞など10部門で賞を受けた。その他には第67回ゴールデングローブ賞外国語映画賞なども受賞した。 2012年、ジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァを迎えた『愛、アムール』を発表。第65回カンヌ国際映画祭で2作連続となるパルム・ドールを受賞[1]。その他にも第85回アカデミー賞外国語映画賞、第38回セザール賞作品賞・監督賞など多数の賞を受賞した。2013年にはアストゥリアス皇太子賞を受賞[2]。 監督作品長編劇映画
その他
受賞歴
脚注
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