ベン・ゾブリスト
ベンジャミン・トーマス・ゾブリスト(Benjamin Thomas Zobrist, 1981年5月26日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ユーレカ出身のプロ野球選手(ユーティリティープレイヤー)。右投両打。現在はフリーエージェント。ニックネームはZorilla(ゾリラ)[2]。 経歴プロ入りとアストロズ傘下時代2004年のMLBドラフト6巡目(全体184位)でヒューストン・アストロズから指名され、6月16日に契約。この年は傘下のA-級トリシティ・バレーキャッツでプロデビューし、68試合に出場して打率.339・4本塁打・45打点・15盗塁だった。 2005年はA級レキシントン・レジェンズで開幕を迎え、68試合に出場。打率.304・2本塁打・32打点・16盗塁と好成績を残し、6月にA+級セイラム・アバランチへ昇格。A+級セイラムでも好調をキープし、42試合の出場で、打率.333・3本塁打・13打点・2盗塁だった。 2006年はAA級コーパスクリスティ・フックスで83試合に出場し、打率.327・3本塁打・30打点・9盗塁だった。 レイズ時代2006年7月12日にオーブリー・ハフとのトレードで、ミッチ・タルボットと共にタンパベイ・デビルレイズへ移籍した[3]。7月31日にデビルレイズとメジャー契約を結び、8月1日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。9番・遊撃として先発起用され、4打数無安打1三振だった[4]。昇格後は正遊撃手のフリオ・ルーゴがロサンゼルス・ドジャースへ移籍したこともあり、遊撃のポジションを獲得。52試合に出場し、打率.224・2本塁打・18打点・2盗塁だった。 2007年は正遊撃手として開幕を迎えたものの、19試合の出場で打率.159と振るわず、5月11日にAAA級ダーラム・ブルズへ降格[5]。7月29日に内野手のタイ・ウィギントンがトレードでアストロズへ移籍したため、代役としてメジャーへ昇格[6]。昇格後も打率は1割台だったが、先発に固定され12試合に出場。しかし8月18日のクリーブランド・インディアンス戦で右脇腹を痛め、試合途中で交代し、8月19日に15日間の故障者リスト入りした[7]。9月10日に60日間の故障者リストへ異動し[8]、そのままシーズンを終えた。この年は31試合の出場にとどまり、打率.155・1本塁打・9打点・2盗塁だった。 2008年は序盤にマイナー落ちも経験したが、次第にメインの遊撃以外にも二塁や三塁、外野も守れる万能ぶりを発揮し、主力選手の故障の穴を埋める活躍。打撃面でもメジャーで初の二桁本塁打となる12本をマークするなど、長打力が開眼して自己最高の成績を残した。 2009年5月に左ひざを負傷した岩村明憲の代わって二塁手のレギュラーに定着。自己最多となる152試合に出場し、打率.297・本塁打27・打点91・盗塁17、OPS.948の成績を残すなど、オールスターに選出されるほど急成長した[9]。 2010年3月3日にレイズと1年契約に合意。開幕後の4月23日にレイズと総額1800万ドルの3年契約(2014年・700万ドル、2015年・750万ドルの球団オプション付き[10])を結んだ[11][12]。この年は前年と比較すると、全体的に数字が低下したシーズンとなった。打率は.297から.238に低下し、本塁打も約3分の1となる10本にとどまった。しかし、四球は2009年に記録した91を1つだけ更新し、自己記録を92とするなど、安定した選球眼は引き続き発揮した。一方、守備・走塁面では、前年よりも大幅な向上が見られた。前年比+7となる24盗塁を決めた一方、盗塁死は2009年の半分となる3つに抑え、成功率90%をマークした。また、守備面では遊撃を除く内野全ポジションと外野全てで守備に就き、トータルの失策数を7から4に減らした。 2011年は2009年ほどではなかったが、打撃において好成績を残した。本塁打は2年ぶりに20本に到達し、自己最多タイの46二塁打、91打点を記録した。この年は二塁手で138試合、右翼手で38試合、指名打者で3試合に出場した。 2012年はリーグ2位の97四球を選び、2年連続で20本塁打を放った。3年ぶりに遊撃を守り、後半戦を中心に47試合で遊撃守備についた。 2013年開幕前の2月27日に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された[13]。 シーズンでは、前年オフに遊撃手のユネル・エスコバーが加入したため、開幕後は二塁と右翼を兼任していたが、同じ二塁を守っていたライアン・ロバーツの不調もあり、6月からは二塁に固定された。前半戦91試合で、打率.260・6本塁打・48打点・6盗塁を記録し、4年ぶり2回目となるオールスターに選出された。この年は157試合に出場し、打率.275・12本塁打・71打点・11盗塁だった。オフの11月2日にレイズが700万ドルの球団オプションを行使した[14]。 2014年は開幕から正二塁手として起用されていたが、5月14日のシカゴ・ホワイトソックス戦で二塁へ盗塁した際、ヘッドスライディングで左手親指を地面に引っかけ負傷し、5月15日に15日間の故障者リスト入りした[15]。5月30日に復帰[16]。6月下旬からはエスコバーが故障で離脱したため遊撃に復帰。7月中旬にエスコバーが復帰したが、右翼手であるウィル・マイヤーズや左翼手のジェリー・サンズとデビッド・デヘスースが故障で離脱したため、二塁と外野を兼任することとなった。この年は146試合に出場し、打率.272・10本塁打・52打点・10盗塁だった。オフの10月31日にレイズが750万ドルの球団オプションを行使した[17]。また11月7日に日米野球2014のMLB選抜に選出された[18]。 アスレチックス時代2015年1月10日にジョン・ジェイソ、ダニエル・ロバートソン、ブーグ・パウエルとのトレードで、ユネル・エスコバーと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[19]。アスレチックスでは67試合に出場し、打率.268・6本塁打・33打点・1盗塁という成績を残した。 ロイヤルズ時代2015年7月28日にアーロン・ブルックス、ショーン・マネイアとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[20][21]。ロイヤルズ加入後はやや調子を上げ、59試合の出場で打率.284・7本塁打・23打点という成績を残した。2チーム計では126試合に出場して規定打席に到達し、打率.276・13本塁打・56打点という成績を記録。本塁打は8年連続で二桁以上となったが、盗塁は3に終わり、連続2ケタ記録は6年で途切れた。またセカンドの守備は自己ワーストのDRS - 7、次に守る機会の多かったレフトでも同じくワーストのDRS - 5と守備力に陰りが見られた。同年11月2日にFAとなった[22]。 カブス時代2015年12月8日、シカゴ・カブスと4年総額5,600万ドルの契約を結んだ[23]。 2016年も開幕から安定した成績を残した。オールスターファン投票では好調のチームの人気もあって、前半戦首位打者のダニエル・マーフィーをかわして3回目の選出となった。シーズン後半は4番に定着し、最終的に147試合に出場して打率.272・18本塁打・76打点・OPS.831を記録。96四球に対して82三振に留めるなど、卓越した選球眼は今季も健在だった。 108年ぶりの優勝となったワールドシリーズでは最終戦の決勝タイムリーを放ったこともあり、シリーズMVPとなった。 2017年は開幕から調子が上がらず、特に6月は怪我の影響もあって月間打率が.132に沈むなど前半戦は打率.219と不振に陥った。後半戦はやや調子を戻したものの、トータルでは打率、出塁率、長打率はレギュラー定着後ワーストの成績だった。特に、元々得意としている対左投手の対戦成績が打率.179と苦しんだ。 2018年は不振だった前年から巻き返し打率.305と自身初の3割を記録した。また、8月14日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で初の退場処分を受けた[24]。 2019年5月7日、家庭の事情により制限リスト(Restricted List)に入った[25]。9月1日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で復帰。同29日のセントルイス・カージナルス戦、0-9の9回表にキャリア初登板を経験した。1回無失点に抑え、ヤディアー・モリーナから三振を奪った[26]。オフにFAとなった。 2020年2月15日、今シーズンはプレーしない意向を表明した[27]。 プレースタイル「史上最高の万能選手」ともいわれる[28]。2009年から2012年にかけての4年間の総合指標WARは「Baseball Reference」版では26.6で全野手中トップ、「Fangraphs Baseball」版では25.1でミゲル・カブレラ、アルバート・プホルスに次ぐ3位だった[29][30]。 詳細情報年度別打撃成績
表彰
記録背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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