ベッツィー・ロールズ
エリザベス・アール・「ベッツィー」・ロールズ(Elizabeth Earle "Betsy" Rawls、1928年5月4日 - 2023年10月21日[1])は元 LPGA ツアーの米国人プロゴルファー。LPGA ツアーにおいてメジャー大会8勝を含む55勝をあげた。世界ゴルフ殿堂メンバーである。 幼少期と教育サウスカロライナ州スパルタンバーグでロバート・ミラー (Robert Miller) とメアリー・アール・ロールズ (Mary Earle Rawls) の間に生まれ、1940年にテキサス州アーリントンに引っ越した。ラブレディーハイスクール (Lovelady High School) を卒業後、1946年にはノーステキサス農業大学(North Texas Agricultural College、現在のテキサス大学アーリントン校)に入学し物理学を専攻した。新入生の時点で教授会及び学部長から物理学の “Who’s Who” として認められ、ファイカッパシータの名誉会員に選ばれた[2]。翌年にはテキサス大学オースチン校に移り1950年に物理学の学位を取得して卒業した。 アマチュア時代の成績17歳の時にゴルフを始めた。1949年及び1950年のテキサスアマチュアに優勝。1949年のトランスナショナル、1950年のブロードムーア招待にも優勝した。1950年の全米女子オープンではアマチュアとして出場して準優勝した(優勝はベーブ・ザハリアス)[3]。 プロでの成績1951年にはプロ転向し LPGA ツアーに参加した。参加した年のサクラメント女子招待オープン (Sacramento Women's Invitational Open) でプロ初優勝した。最終的には55勝し、うち8勝はメジャー大会での優勝だった[4]。1959年にはその年の最少平均ストローク数を記録した者に贈られるベアトロフィーを獲得した。1952年及び1959年には賞金女王となり、これを含め合計9回にわたり賞金額トップ10に入った。年間優勝回数では3度のトップを飾った(1952年に8回、1957年にパティー・バーグと並び5回、1957年には10回優勝)。 1961年から1962年にかけてLPGAの会長を務めた。1967年にLPGAツアー殿堂が設立されたときには、初めに殿堂入りした6名のうちの一人に選ばれた。LPGA ツアー殿堂と世界ゴルフ殿堂の両方に彼女が入ったのが1960年であるので、LPGA はロールズの女子ゴルフ殿堂入りが1960年であると認識している。1975年にトーナメント競技から引退し、LPGA ツアーのトーナメントディレクターに就任[5]。1987年から2004年にかけてはデュポンカントリークラブで行われるマクドナルドLPGA選手権のトーナメントディレクターを務めた[4]。1996年、全米ゴルフ協会 (USGA) によりゴルフにおけるスポーツマンシップが認められ、その最高の名誉であるボブジョーンズ賞が贈られた[3]。 プロでの勝利LPGAツアーでの勝利(55勝)
LPGA メジャー大会は太字で表示。 その他の勝利(3勝)
メジャー大会優勝(8勝)
1 18ホール プレーオフで ロールズ 70、プン 77。 関連項目
脚注
外部リンク |