ブロードキャスター
『ブロードキャスター』は、TBS系列(JNN)で、1991年4月13日から2008年9月20日までの間、毎週土曜日の夜に生放送していた情報・報道番組である[注 1]。制作はTBSテレビ(旧・TBSライブ)。通称「ブロキャス」「ブロキャ」「ブロード」。 概要1991年4月改編で2時間ドラマ『ドラマチック22』を終了し、社会情報局(当時)担当の情報番組として放送が開始された。 当初は22:00 - 23:48の2時間番組(実質108分)であったが、1992年4月に『HEARTに聞け』の放送が始まり、放送枠が22:00 - 23:24に縮小した。 番組開始時は旧テレビ局舎Gスタジオからの生放送で、本社移転後は放送センターのAスタジオから生放送された。運用上の事情でAスタジオが使用できない場合(国政選挙の投開票日前日の放送で、Aスタジオが翌日の開票特番で使用するため等)は、Aスタジオと同規模で隣接するBスタジオが使用された。 初期1991年4月13日の番組開始当初は『情熱ワイド! ブロードキャスター』(じょうねつワイドブロードキャスター)のタイトルで、三雲孝江、山瀬まみのレギュラー2人と、長嶋茂雄、上岡龍太郎、山城新伍、加山雄三(これらの面々は福留功男の加入後暫くして降板)が週替りでメインを務めた。コメンテーターに嶌信彦、柴田秀一(TBSアナウンサー)がニュースキャスター、清原正博(TBSアナウンサー)がスポーツキャスター、他には前年に日本人で初めて宇宙を体験した秋山豊寛(当時TBS記者)がコメンテーターを務めた。7月には三雲が産休入り。 1991年10月より、この年3月に日本テレビを退職した福留功男が、三雲の復帰に合わせて出演開始。以後、山瀬は番組のワンコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」の担当となる。
福留の番組出演が放送開始から半年遅れになったのはこのためであり、本番組は打診の時点で三雲・山瀬・嶌がメインでひとまずスタートする事は決定していた。福留は退社直後から本番組に出演するまでの間、木曜19時台に新設されたクイズ番組『仰天!くらべるトラベル』に出演した。なお、番組終了決定の際に福留が番組開始時から出演していたかのように報じた記事が出たり、本人も番組最終回で17年半出演していたかのような発言をしている。 「情熱ワイド!」時代、ザ・ニュースペーパーがコントライブ(時間帯は後の「ブロードキャスター事件簿」と「お父さんのためのワイドショー講座」の間。2007年12月29日放送分で、VTR内で少しコントを披露している。) をするコーナーやアマゾンズのオールディーズの音楽コーナーがあった。 番組初期、大相撲の本場所前になると大相撲コーナーが設けられ、元関脇の蔵間龍也が出演して優勝者を予想していたが、予想が当たらないことで知られ、番組の名物となった(同コーナーは1995年の蔵間の他界と同時に自然消滅)。また、競馬のGIが翌日にある時はコンピューターを使った予想や犬のプリンちゃんを使って勝ち馬予想するコーナーも長く続いた。 「7days」「ブロードキャスター事件簿」「ワイドショー講座」などの企画が定着し、視聴率も安定した。1996年TBSビデオ問題を機にTBSは社会情報局を廃止、これに伴って制作主体を報道局に移した。その後は制作部門を分社化した「TBSエンタテインメント」、TBSエンタから分かれた「TBSライブ」、制作子会社がTBSエンタに再合流して「TBSテレビ制作局制作四部」、そして制作局から独立して「TBSテレビ情報制作局情報センター情報一部」へと制作部署が移っていった。 過渡期1999年から2001年の間、年内最後の放送では、熱血特大版!と題し、2時間スペシャルを行った(主な内容は、お父さんのためのワイドショー講座の年間ランキング等)。 2000年4月のJNNのシンボルマーク•「ジ〜ン」使用開始以降は、セットの壁の前に同マークを立体にした置きフィギュアが設置されていた。 2004年秋改編で三雲が「帯番組の『ジャスト』に専念したい」旨で降板し、この年3月にNHKを退職した久保純子に司会を交代[注 2][注 3]。久保は民放で初のレギュラー番組担当となった。この頃から視聴率が徐々に下がり始める。2005年春改編でスポーツキャスターが小笠原亘(TBSアナウンサー)から土井敏之(TBSアナウンサー…『ウォッチ!』終了により2年ぶり本番組復帰)に交代した辺りから視聴率は持ち直すが、20%を超えることはなくなった。 番組開始当初、オープニングで「ブロードキャスター」とタイトルの出た後、気象災害や重大な事件・事故などを除いてお天気カメラ(場所は横浜、苗場、新宿、渋谷など)による夜景から始まっていた。その後、ダイレクトにスタジオの福留・久保の2ショットから始まったりその日のニュースやスポーツのヘッドライン的な映像で始まるようになったが、2006年1月21日の放送では皇居前からの映像でスタート、2006年4月8日からはオープニングアニメーションが変更され、ラストのタイトルロゴ表示時に日によって夜景のライブ映像が少し取り入れられている。また、同年6月17日の放送から天気予報の背景にも、このライブ映像が用いられていた。 2006年4月8日からはオープニングイラストの変更と同時にこれまで30秒のカウキャッチャーの後に番組スタートという形が、カウキャッチャーがなくなり22時ちょうどからのスタートになる。 晩期2008年1月12日の放送分からセットが変更され、山瀬以外の席順や福留・久保の座り位置(2007年までは画面左が福留、画面右が久保)が入れ替わる。 同年7月26日の放送より、その前々日に第2子(次女)を出産した久保が産休に入る。久保は3月にフジテレビ系列(一部地域を除く)『ウチくる!?』(2011年8月で久保は降板)にて「出産ギリギリまで仕事をしたい」と語っており、その希望通り本番組にも出産ギリギリの7月19日放送分まで通常通り出演していた(次週の欠席予告も特になし)。久保の役割はニュースキャスターの竹内由布子(TBSテレビ情報制作局キャスター)が担うようになったが、あくまで竹内はメインキャスター代行ではなく福留の補佐担当という位置付けであり、オープニングの挨拶は福留・竹内ではなく福留・山瀬・土井で行うように。そして久保は8月23日放送分より産後1ヶ月でのスピード復帰を果たした。 2008年夏頃より、『週刊朝日』2008年7月4日号(2008年6月23日発売)や『日刊スポーツ』などのメディアにおいて、本番組の近々の打ち切りが報じられるようになった。このうち後者では終了の時期が9月末であることが明示され、また10%以上こそキープしているものの、福留の高額な出演料がネックとなっていることが打ち切りの背景にあると位置付けている[1]。 当初、後継番組にはバラエティ番組を配置することも検討されたが、結局は本番組の内容をほぼ引き継ぐ形で、いずれも福留の明治大学の後輩であるビートたけしと安住紳一郎(TBSアナウンサー)がメインキャスターを務める報道・情報系番組『情報7daysニュースキャスター』(以下、Nキャス)[注 4] が10月4日より開始されることが決定。本番組終了および後継番組に安住起用の件は7月9日に、たけし起用の件は9月に行われた当時TBS社長(現:会長)の井上弘による定例会見でそれぞれ正式に発表された。 なお、福留の高額な出演料が本番組終了の一因となったとされる一方、『Nキャス』に起用されたたけしの出演料は福留以上と言われている[2]。 2008年9月20日放送分を最後に『情熱ワイド!-』時代から17年半、計821回が放送された本番組は放送を終了した。最終回では「お父さんのためのワイドショー講座」の時間を延ばし、オウム騒動など17年半の放送期間中に起きた事件や騒動を振り返った。なお、三雲などかつてのレギュラーの出演はなかった(三雲は過去VTRには映った)。 三雲は後に『Nキャス』にコメンテーターとして出演開始し、同枠再登板を果たしている。 出演者歴代キャスター
コーナーキャスター
リポーター
コメンテーターについて初めて出演する際には経歴等文字テロップが流されていたが、2008年1月26日よりアンカーマンも含め、出演回数に関係なく表示されている(ただ、当時宮崎県知事の東国原英夫はレギュラー出演者と同じテロップで表示)。なお『みのもんたの朝ズバッ!』『みのもんたのサタデーずばッと』『情報7days ニュースキャスター』とは異なり、現職国会議員が出演することは基本的になかった(1996年秋の衆議院議員選挙当選直後の旭道山和泰が出演した回や、かつて一度コメンテーターを招かず各党から1人ずつ政治家が招かれ、途中まで出演しエンディングではレギュラーメンバーだけが残った回もある。また過去に、新進党からの衆院選出馬が取りざたされていた岩國哲人をコメンテーターで出演させて自民党の抗議を受けたことがある)。 区別の付け方としては氏名クレジットに敬称がつかず(嶌信彦、ジョージ・フィールズ時代は肩書表記もなし)、オープニングではゲストコメンテーターの後に紹介され(嶌、フィールズ時代は紹介なし)、特集や「7days」のVTR後は最後にまとめのコメントを求められるのがアンカーマンで、そうでない人がゲストコメンテーターであるが、2008年1月26日よりアンカーマンにも「○○さん」と敬称が付けられている。 アンカーマンレギュラーコメンテーター的存在で初代の嶌信彦(1991年春 - 1997年)、2代目のジョージ・フィールズ(1997年 - 2004年9月25日)、3代目の榊原英資、ビル・トッテン、北川正恭(2004年10月9日~、週替わりで出演)に続き、2006年7月下旬以降は岡本行夫、末吉竹二郎、藤巻健史も加入(トッテンは2006年春以降出演がなく、自然降板した)。北川はアンカーマン起用以前、ゲストコメンテーターとして出演していた。また藤巻はゲストコメンテーター扱い(ゲストということで氏名クレジットには敬称あり)で出演することがある。2007年12月29日放送分では前週に出演した岡本を除く現行メンバー4人が勢揃いし、後述ゲストコメンテーターの出演はなかった。 役職・肩書きは出演当時。
ゲストコメンテーター基本的に毎週、以下の男性と女性のゲストコメンテーターが1人ずつ出演をしていた。 ゲストコメンテーター(男性)
ゲストコメンテーター(女性)その他途中降板したゲストコメンテーター
ナレーター
主なコーナー→詳細は「ブロードキャスターのコーナー一覧」および「お父さんのためのワイドショー講座」を参照
主なトラブル盗作事件1995年前後にスポーツニッポン(スポニチ)の明日の1面を紹介するコーナーを東京のスポニチ本社から中継で放送、運動部記者の大隅潔が出演していた[注 5]。1996年10月から1997年3月にかけ、スポニチの競馬記事(調教師のコメント、短評)が競馬新聞『競馬エイト』に掲載されていたものをそのまま引用していたことが発覚。コーナーは打ち切りとなった。 →詳細は「スポーツニッポン#物議となった報道」を参照
出演者番組降板におけるエピソード司会の三雲、アンカーマンのフィールズ、ニュース担当の長岡杏子の出演最終日となった2004年9月25日のエンディングで、フィールズが残り放送時間を考慮せずに話し続けたため、三雲がほとんど話せないまま番組終了となった。 番組オープニング曲・エンディング曲
番組開始初期を除き、オープニング・エンディングではポップスやジャズ、ミュージカル音楽などの洋楽をカバーした曲を使用している。番組終了時点の曲は2007年7月7日より使用され、オープニングもエンディングも同一の曲が使われる(以下参照)。曲が変更される際にはCD発売日に近い放送日(そうでない場合は、発売後の最初の土曜日)に必ずプレゼントされていたが、山下達郎の『バラ色の人生〜ラヴィアンローズ』はプレゼントされていない。それに替わって、CD発売された最初の土曜日の「ワイドショー講座」内で山下のコメントが紹介された。 なお、過去の曲リストについては2008年9月20日現在のものを示している。 オープニング曲以下の曲は、全て番組のテーマ曲も兼ねていた。『君住む街角』と『バラ色の人生〜ラヴィアンローズ』はエンディングでも使用された。
エンディング曲
スタッフ
途中降板したスタッフ
番組ネット局JNN協定発動対象であった。
関連項目
脚注注釈
出典
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