トヨタ・スープラ
スープラ(SUPRA)は、トヨタ自動車が製造・販売している中型の中級スポーツカー(登場当初はソアラの一つ下の比較的上級に位置するスペシャルティカー)であった。 概要1970年代に北米で人気を博していたダットサン・280Zの対抗馬として、現地のトヨタディーラーから直列6気筒を搭載したクーペ型車種を求める要望を受けて開発された。当初はスペシャルティカーやグランツーリスモの位置づけであったが、代を重ねるごとにスポーティ路線へと舵を切り、トヨタブランドのフラッグシップスポーツカーにまで成長した。 初代および2代目はセリカを直列6気筒エンジンに対応させた派生車種のような存在で、北米では「セリカ・スープラ」を名乗っていた。日本国内においてはスープラを名乗らず、「セリカXX(ダブルエックス)」という名称でトヨタカローラ店から販売されていた[1]が、3代目以降は日本国内においてもスープラの名称で統一された。 →「トヨタ・セリカXX」も参照
2002年の4代目の販売終了をもってラインナップから消滅していたが、2019年にGRブランドの専用車種「GRスープラ」として復活した(通算5代目)。 3代目および4代目はソアラ、5代目はBMW・Z4とプラットフォームを共有している。エンジンは初代から一貫して直列6気筒のみが搭載されていたが、5代目では直列4気筒も設定されている。 初代 A40型/50型(1978年-1981年)→詳細は「トヨタ・セリカXX § 初代 A40/50型(1978年-1981年)」を参照
セリカXX/北米スープラの初代モデル。 当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。 2代目 A60型(1981年-1986年)→詳細は「トヨタ・セリカXX § 2代目 A60型(1981年-1986年)」を参照
セリカXX/北米スープラの2代目モデル。 3代目 A70型(1986年-1993年)
この代から日本国内でも北米仕様と同じ「スープラ」の車名に変更され、セリカから独立した。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、1960年代の名車「2000GT」をイメージしていた[1]。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用した兄弟車[2]で、当初の主なエンジンは、2Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3Lターボの7M-GTEUであった。 1986年6月にはエアロトップが発売された。1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまで輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディを持つ「3.0GTターボ リミテッド」が追加された。 1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスクおよびテールランプのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様に改良されパワーアップした。また、3Lエンジン搭載車はすべて輸出仕様車と同様のワイドボディとなった。 同時に全日本ツーリングカー選手権(グループA)のホモロゲーション取得用モデルとして、7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「3.0GTターボA」が500台限定で販売され、価格は405万1,000円であった[3]。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。吸入空気量測定方式を従来のLジェトロからDジェトロとした。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240PSから270PSにまでパワーアップされた。サスペンションはバネ定数やダンパーの減衰力を高め、前後スタビ径を拡大した専用のものに変更されている。 1989年8月に一部変更。ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。 モデル末期の1990年8月に最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンに代わり、新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEを搭載し、サスペンションにはドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用[注 1]。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。あわせてグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称された。外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。なお「2.5GTツインターボ」は、トヨタ車としては初めて280PSの5速MT設定車であり、当時の日本製市販車の280PSクラスのレシプロエンジン車では最小の排気量でもあった。2.5L仕様は日本市場専用であり、北米および欧州市場では従来の3Lターボ仕様の販売が継続された。 1991年8月にはボディカラーの見直しが行なわれ、安全装備拡充としてリア3点式シートベルトやサイドドアビームを標準装備、SRSエアバックシステムを全車メーカーオプションとした。 1993年4月[4]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1993年5月、4代目と入れ替わって販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は9万385台[5]。
搭載エンジンについて詳細は以下。
(※1)最高出力270PS/5,600rpm/最大トルク36.5kgf·m/4,400rpmのターボA仕様有り 4代目 A80型(1993年-2002年)
「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月24日に販売開始された[6]。日本では2代目にあたる。エクステリアデザインは先代まで続いた直線基調のデザインから一転し、曲線を多用したグラマラスで筋肉質なスタイルに生まれ変わった。またヘッドライトがリトラクタブルライトから固定式ライトに変更された。 シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。 エンジンは直6 3L 2JZ系に変更され、新開発の電子制御サブスロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)[6]。 NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225PS、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボ(トヨタは「2ウェイツインターボ」と呼称)で、最高出力が280PS、最大トルクは44kgf·m(1993年 - 1996年)を発生した[6]。 またRZグレードには、当時の日本産国内向け乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同開発、型式はV160型)を搭載した[6]。ATについてはインテリジェントスポーツ オートマチックトランスミッション(ECT-iS)をターボ仕様車に設定した[6]。なお上級モデルには17インチタイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポット 後・対向2ポット)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。 1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール&大径ブレーキ(ABSも専用のスポーツABSとなる)装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-RはATの設定は無く、前期がアイシン製5速MTのみで後期よりSZ-R専用ギア比のゲトラグ製6速MTが標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。 1995年5月、一部改良。ボディカラーの見直し。 1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された(型式はV161型、RZとRZ-SはV160型で変更なし)。RZのフロントシートにレカロ社製SR-2が標準装着(SZ-Rにオプション)となり、また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。 1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。同時に電子制御スロットルも「ETCS-i」へと変更されている。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス、相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ、左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフやクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。他にはRZとRZ-Sのマニュアルトランスミッションが、V160型から先立ってSZ-Rに搭載されたV161型に変更された。これ以外にも運転席エアバッグのインフレーターが小型化され3本スポークステアリングとなり、RZおよびSZ-Rはドライカーボン製ステアリングが装備された他、ボディ補強などの小変更が行われた。 1998年8月、外板色 スーパーブライトイエローを追加。 1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)[7]。 2002年7月[8]、「平成12年度自動車排出ガス規制」に対応できなかったため(ターボは同一型式でNAにも可変バルタイが装備されたエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 2002年8月、在庫対応分が完売し販売終了。販売期間中の新車登録台数の累計は3万1372台[9]。 高剛性のボディや頑丈で強力なエンジンに加え、トヨタ車におけるスポーツフラッグシップ車であったことから、TRD等のメーカー直系だけでなく、他社からも多くのアフターパーツが発売された。チューニングの度合いによっては1000馬力を超えるほどのパワーを出すことすら可能であるため、2017年現在でもチューニングベースとして使用されることが多い。 また映画ワイルド・スピードシリーズでは主役・サブキャラ級のマシンとして度々登場した(特に第一作では主人公のブライアン・オコナ―がタルガトップ車をメインに使っており、第7作エンディングでのブライアンがドミニクと別れるシーンでも別の80スープラに乗っていた)ことから、北米ではカルト的な人気がある[10]。
5代目 DB型(2019年-)
開発コード「J29」[11]。2002年に生産を終了してから17年後に復活した5代目は、トヨタが2011年から技術提携を結んでいるBMWとの共同開発となる。開発責任者は多田哲哉が担当した。車両のチューニングは成瀬弘の最後の(日本人以外の)直弟子であるベルギー人テストドライバーのヘルフィ・ダーネンスに一任されている[12]。 BMWとの協業は、歴代モデルからの伝統となる「直列6気筒エンジン+後輪駆動(FR方式)」というパッケージングを実現するためであった。また、開発が始まった2012年当時に直列6気筒エンジンを世界で唯一製造していた自動車メーカーがBMWであったことも大きな要因となった。 開発コストの低減を考慮した結果、車両構成の基礎となるエンジンやシャシーなどのプラットフォームをBMW・Z4の第3世代モデル(G29型)と共有し、車両の製造に関してもZ4と同じくオーストリアの自動車製造会社であるマグナ・シュタイアが担当する[13]。このため製造事業者はBMW(Bayerische Motoren Werke AG)名義で、トヨタは輸入販売元として位置付けられている。 開発経緯から「Z4の姉妹車」と見なされることが多いが、実際は開発の初期段階でエンジンやプラットフォームを共通にすることを決めた後は、両車とも完全に別々に開発を行っている[14]。 トヨタのスポーツモデル専用ブランド「GR」初の専売車種であり、『TOYOTA GR SUPRA』(トヨタ・ジーアール スープラ)の別名が与えられている。ただし国土交通省へ届け出た車種名はこれまで通りの『トヨタ・スープラ』であり、『GR SUPRA』はあくまで商品名となっている[15]ため、カタログにも車両名称ではないことが明記されている。他のGRブランドの車種は「車名+GR」というネーミングであるが、本車はGRブランドでの専売車種となるため、「GR+車名」のネーミングが用いられ差別化されている。またGRスープラは、GRシリーズ初のグローバルモデルでもある。 正式な車両型式は「DB」であるが、開発当時から先代の続番である「A90」とも呼ばれており、トヨタ側も後述するモータースポーツのエントリーやカタログ等でその呼称を用いている。日本市場での販売はトヨタディーラーの4チャネル(トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、ネッツ店)すべてで展開される。なお2021年モデルの呼称は「A91」となっている。 メカニズムBMWの「CLAR」プラットフォームを基礎としてBMWが設計を行い、各々の区切りごとにトヨタが目標値に照らし合わせながら設計を確認し技術的な提案を行うという手法で開発が進められた。シャシは「走りの黄金比」とも呼ばれるホイールベースとトレッドの比率を1.6以下にすることを目標に開発が行われた結果、目標値を大きく下回る1.55を実現した。そして4代目よりも旋回性能を向上させるべく、歴代モデルとしては初となる純2シーター化に踏み切った。これによってホイールベースは86(2+2シーター)よりも100mm短い2,470mmとなり、直列4気筒エンジン搭載車では車両の前後重量配分比率が50:50となった。さらに、水平対向エンジンによって低重心化を実現した86よりも一層の低重心化が図られている。これらに加え86と比較して約2.5倍に向上させた車体剛性は、高価なCFRP(カーボンファイバー)素材を用いたレクサス・LFAをも凌駕する[16]。また、車両の乾燥重量は1,410 - 1,530kgと、先代(A80型)とほぼ同数値となっている。 エンジンはBMW製を採用することになり、歴代モデルからの伝統となる直列6気筒エンジンに加えて(市販モデルとしては)初の直列4気筒エンジンも設定される。6気筒エンジンは排気量2,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジンの「B58」シリーズで、日本仕様車の2019年型と北米仕様車の2020年モデル、そしてヨーロッパ仕様車では最高出力250kW(340PS)で最大トルクが500N·m(51Kgf·m)となる「B58B30-M1」型が採用された。その後の年次改良で、排出ガス基準の厳しいヨーロッパ市場向け以外は最高出力が280kW(387PS)へ向上した「B58B30-O1」が搭載されている。 4気筒エンジンは、排気量が1,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジン「B48B20」型で標準型145kW(197PS)・320N·mと高出力型190kW(258PS)・400N·mの2種類の仕様が用意されている[17]。なお4気筒エンジン搭載車は、日本のように排気量で自動車税の税額が決定される地域に仕向けたものであり、そのような制度が存在しない北米においては展開されない[18]。トランスミッションは6気筒、4気筒エンジン搭載車ともにZF製の8段変速ATである「8HP」型が組み合わされる。当初、MTはトルク容量増大に伴うシフトフィールの悪化を懸念した多田の意向により設定されず[19]、MTの需要は既存の86で吸収する形としていた[20]が、2022年モデルからは一部グレードにおいてMTが設定されている。 マフラーは騒音規制に合わせて仕向地ごとに合わせて開発されており、BMWからも評判が良かったことから兄弟車のZ4にもトヨタがスープラ向けに開発したマフラーが採用されている[20]。また、トヨタは低燃費車を多くラインナップに持つため、CAFE(メーカー別平均燃費)規制を余裕でクリアしているため、販売台数がトヨタ全体のそれから見て僅少となるGRスープラでは燃費目標は設定されず自由に設計でき、その点はBMWの開発チームからうらやましがられたという。ガソリンを無駄に噴く過激なアフターファイアーも燃費を気にする必要がないため実現している[21]。 正式に開発が始まってから最初の2年間は、車体の構成に不可欠な主要部品をBMWと共同開発した上で、トヨタ側は5代目スープラ、BMW側では3代目Z4を開発するチームが別個に立ち上げられ、互いの車両の構想を練った後に共有できるものは両車種で共有するという、通常の自動車開発における手順とは異なる手法が執られた[22]。そのため、外装デザインやサスペンションのセッティング等がわずかに異なる程度の差異であった86とスバル・BRZに対して、各々で開発目標が異なるGRスープラとZ4(G29型)では車体形状(GRスープラはクーペ、Z4はオープンカー)からして異なっている。 制御ソフトはBMW社のものが使用されているため、「Toyota Safety Sense」や「T-Connectサービス」は搭載されていない。その代わりのドライバー支援機能が「Toyota Supra Safety」および「Toyota Supra Connect」という名称で搭載されている。BMW車用のコーディングソフトのBimmerCodeなども、そのままスープラに使用できる。 デザイン・パッケージング初代(A40/50型)より続く「ロングノーズ・ショートデッキ」と呼ばれるパッケージングを踏襲した。これは車体前方部を長く車室内部分を短く構成するというFRの2ドアクーペ特有のもので、トヨタ車では1967年に発売された2000GTから伝統的にFRの2ドアクーペ車で採用されてきたものである。また、キャビンの窓、ダブルバブルルーフ等の意匠は2000GTを彷彿とさせるものになっている。全長は2シーター化によって先代(A80型)から140mm短縮され、それに伴いホイールベースも80mm短縮された。しかし全幅は55mm広くなり、全高は15mm - 20mm高くなっている。 装備安全性能においてはミリ波レーダー+単眼カメラ方式のプリクラッシュセーフティ、ブラインドスポットモニター、レーダークルーズコントロール(全車速追従機能付)、レーンディパーチャーアラート、リアフォグランプが全車に標準装備されている。 またBMW純正の車載通信機が全車に標準搭載されており、iPhone専用アプリや専用ユーザーサイトを利用して車両の遠隔操作や確認が可能な「リモートサービス」、バッテリーの電圧低下を自動的にメールで通知する「バッテリーガード」といった専用コネクティッドサービス「Toyota Supra Connect」[注 9]が提供されるほか、CarPlayに対応している。 さらに販売店装着オプションとして、車両情報記録装置「Toyota GAZOO Racing Recorder」が用意されている。この装置はドライバーの操作情報(アクセル・ブレーキ・ステアリング・シフトポジションなど)、車速、エンジン回転数、加速度など各種センサーの値、および車両の位置と方位情報をSDメモリーカードに記録するデータロガーとなっており、SDメモリーカードに記録された情報は専用アプリを用いて表示することが可能なほか、トヨタが推奨する別売りのソニー製アクションカメラもしくはカーメイト製ドライブレコーダー(一部の同社製トヨタモビリティパーツ扱いTZブランド品含む)で撮影した動画の場合は記録した情報と自動で時間同期して再生される[注 10]ほか、Bing Maps上に走行軌跡を表示・再生することも可能である[23]。 純正ホーンは渦巻き型が装着されているが、500Hzの高音側のみとなっている。 ウインカーレバーは一般的な欧州車と同じくステアリングコラムの左側についている[24]。 グレードグレード体系は上から、3.0L・B58エンジン搭載車の「RZ」、2.0L・B48型エンジン搭載車の「SZ-R」と「SZ」の3グレードである。後述するとおり、2023年モデル以降は「RZ」のみ6速マニュアルトランスミッションが選択可能である[25]。 外観の違いは、次の部分である。
また、内装の仕上げもそれぞれ異なる。
年表
モータースポーツ活動A70系世界ラリー選手権(WRC)でグループB規定およびグループS構想が急遽廃止された際、グループA規定のST165型セリカGT-FOURが登場するまでのつなぎとして、1987年と1988年にスープラが参戦した。FRレイアウトであることから元来ラリー向きの車両ではなく、マシン熟成の時間も取れないという苦境の中、サファリラリーでは3位の表彰台を獲得した。 WRC以外のラリーイベントも参戦し、1987年にビョルン・ワルデガルドが香港ー北京ラリーで総合優勝を飾っている[51]。 全日本ツーリングカー選手権(JTC)には1987年から参戦を開始した。デビュー戦では優勝を飾ったが、その後はレギュレーション変更によって重量増加がなされたため、フォード・シエラや日産・スカイラインに対抗できず、1990年限りで撤退した。 北米のIMSAではトヨタのセミワークスであったオール・アメリカン・レーサーズ(AAR)が採用し、GTUクラスで10勝を挙げている[52]。1991年にはオーストラリアで初開催されたバサースト12時間耐久レースに参戦し、フォード・レーザーや三菱・ギャランなどを破って初代優勝車となった。 A80系全日本GT選手権およびSUPER GTのGT500クラスで、日産・スカイラインGT-Rやホンダ・NSXと長きにわたる戦いを繰り広げた。2002年に市販車が生産を終了した後も、2006年にレクサス・SCに交代するまで活躍し、1997年トムスのミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ組、2001年セルモの竹内浩典/立川祐路組、2002年チームルマンの飯田章/脇阪寿一組、2005年セルモの立川祐路/高木虎之介組と4度チャンピオンに輝いている。エンジンは1994年のデビュー2戦のみ市販車と同様の2JZ-GTE型であったが、翌1995年からは直列4気筒ターボの3S-GTE型に、2003年からはV型8気筒自然吸気エンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またサスペンションなどは参戦当初において、トヨタ・TS010のパーツを流用したものに変更された。 耐久レースでは1995年と1996年に、SARDがスープラLM-GTでル・マン24時間レースに参戦した。2000年にはタイヤメーカーのFALKENがニュルブルクリンク24時間に参戦し、一時は総合3位を走行したがクラッシュによりリタイアを喫した。2007年のスーパー耐久第3戦・十勝24時間レースでは、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rが参戦し、総合優勝を果たした。これはトヨタ史上初のハイブリッドレーシングカーによるレース優勝でもあった。 また、本来はフロントヘビーでドリフト走行には向かない車両であるが、A80系スープラの愛好家として知られる織戸学のRS☆Rスープラが2005年から2011年にかけて全日本プロドリフト選手権(D1GP)に参戦し、2011年には唯一となる勝利を挙げた。2020年現在も玉川艶哉がA80系スープラで参戦している。変わったところでは、2008年のD1ストリートリーガルにセリカのフロント部を移植したA80系スープラが、松井有紀夫のドライブで参戦している。 DB型GRスープラ市販車の発表前からモータースポーツに絡めたプロモーションが積極的に行われており、2018年にはTMGがデザインしたLM-GTE仕様[53]やNASCARエクスフィニティ・シリーズ仕様、2019年初頭にはGT500仕様、グループGT4仕様、D1グランプリ仕様と、市販車の発売前に5種類のレーシングカー仕様やそのコンセプトカーが公式発表された。また市販車のプロトタイプも、2018年10月のVLN(ニュル耐久シリーズ)に「スープラA90」としてエントリーし、モリゾウ(豊田章男)を含む3人のテストドライバーがドライブしクラス2位で完走した[54]。 市販直後の2019年6月には、TOYOTA GAZOO Racingがニュルブルクリンク24時間のSP8Tクラスに投入した。ドライバーはモリゾウを含むテストドライバー中心の顔ぶれだったが、総合41位、クラス3位で完走を果たしている[55]。この年、フォーミュラ・ドリフトにも参戦している。 また近年発展を遂げているe-Motorsportにも公式に参入し、グランツーリスモシリーズとの提携で『GR Supra GT Cup』を開催している。 2020年からはSUPER GTやスーパー耐久への参戦を開始し、韓国SUPERRACE CHAMPIONSHIPの最上位クラスであるSAMSUNG FIRE & MARINE INSUREANCE 6000(SUPER6000)のカウルモチーフに指定された。さらにTMG製グループGT4仕様の販売が開始されるなど、本格的にTOYOTA GAZOO Racingのアイコンとしての活動を開始した。 GT500仕様ではレギュレーションの都合上、2019年までレクサス・LC500に搭載されていたRI4AG型エンジンを引き継いで搭載していたが(2023年まで)、同規定で指定されているFR+直列4気筒ターボというレイアウトを市販車でも用いているのは3車中GRスープラのみである。トムスにより2023年までに2度王座を獲得している。なお2024年からは改良型のRI4BGに切り替わっている。 GT300クラスではaprがJAF-GT規定の下に各チームと共同開発した、V型8気筒自然吸気の2UR-G型エンジンを搭載するGRスープラが複数参戦し、2023年に埼玉トヨペット Green Braveがタイトルを獲得している。 ギャラリーA80型まで
DB型
車名の由来脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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