チアゴ・キリノ・ダ・シルバ
チアゴ・キリノ・ダ・シルバ[4][5](Thiago Quirino da Silva, 1985年1月4日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはフォワード。 Jリーグ、Kリーグ時代の登録名はキリノ(ハングル: 끼리노)[6][7]。 特徴・評価スピードを活かした裏への突破が持ち味。2006年にブラジルのアトレチコ・ミネイロからスウェーデンのユールゴーデンIFに移籍した際、移籍先のユールゴーデンIFはキリノについて「エキサイティングで、チームに刺激を与える選手」と言及した[8][9]。また2009年にスウェーデンのユールゴーデンIFから日本のコンサドーレ札幌に移籍した際、移籍先のコンサドーレ札幌はキリノについて「圧倒的なスピード」と「高い打点のヘディング」が武器であると紹介した[2]。コンサドーレ札幌の地元スポーツ紙である道新スポーツも、同じく「スピードが武器」と言及した[10]。 生涯アトレチコ・ミネイロ時代1998年にブラジルのサッカークラブ、アトレチコ・ミネイロの下部組織に加入した[11][10]。2001年にアトレチコ・ミネイロとプロ契約を結び、2005年のシーズン終了まで所属した[2]。 2005年南米ユース選手権2005年、ブラジルU-20代表に選出された。2005年1月から2月にかけて開催された南米ユース選手権に出場。グループリーグと決勝リーグで合わせて8試合に出場し、3得点を挙げた。 グループリーグ初戦のエクアドル戦で後半開始から出場し、後半1分と後半11分に2ゴールを挙げた[12]。第2戦のパラグアイ戦は後半22分から出場したがノーゴール[13]。第3戦のチリ戦は後半15分から出場し、後半21分に1ゴールを挙げた[14]。グループリーグ最終戦のウルグアイ戦は、累積警告により出場できなかった[15]。 ブラジル代表はグループリーグを勝ち抜け、決勝リーグへ進出した。キリーノは第1戦のウルグアイ戦で後半27分まで出場[16]、第2戦のベネズエラ戦で後半14分まで出場[17]、第3戦のコロンビア戦で後半16分まで出場した[18]。第4戦のチリ戦は後半23分から出場[19]、第5戦のアルゼンチン戦は後半32分から出場した[20]。キリーノは決勝リーグ全5試合に出場したが、無得点に終わった。 ブラジル代表はこの大会で準優勝し、同年のワールドユース選手権への出場権を獲得した。 2005年ワールドユース選手権南米ユース選手権に続き、ワールドユース選手権でも代表に選ばれた。グループリーグ1試合と決勝トーナメント3試合に出場したが、無得点に終わった。 キリーノはグループリーグ第1戦のナイジェリア戦に後半29分から出場した[21]。第2戦のスイス戦[22]と第3戦の韓国戦[23]では控えのメンバーとなり、出場の機会はなかった。 ブラジル代表はグループリーグを勝ち抜け、決勝トーナメントへ進出した。キリーノはラウンド16のシリア戦は控えとなったが[24]、その後の試合にはすべて途中出場した。キリーノは準々決勝のドイツ戦で後半11分から途中出場[25]、準決勝のアルゼンチン戦で後半11分から途中出場[26]、3位決定戦のモロッコ戦で後半14分から途中出場した[27]。 ユールゴーデンIF時代2006年シーズン![]() 2006年、スウェーデンのサッカークラブ、ユールゴーデンIFに移籍した。移籍金は1400万クローナと報じられた[29]。クラブと2009年シーズン末までの4年契約を結んだ[30]。キリーノが入団する際、クラブはメディアや他のクラブに対して、「彼はゴールデンボーイだ」と言及した。プレシーズンマッチのゲフレIF戦で1ゴール[31]、IFブロンマポイカルナ戦で2得点[32]を挙げた。 だが周囲の期待とは裏腹に、2006年シーズンは不本意な結果に終わった。リーグ戦全26試合のうち18試合に出場したが、わずか1得点を挙げるに留まった。シーズン開幕から最初の7試合はスターティングメンバーの座を与えられたものの、フォワードとしての結果を出すことはできず、5月11日の第8節マルメFF戦以降、3試合連続で後半20分過ぎからの途中出場に甘んじることになった。そしてワールドカップによる中断を挟んだ7月20日の第11節BKハッケン戦以降は、途中出場の機会さえ少なくなった。2006年シーズンのリーグ戦でキリーノが試合にフル出場したのは、わずかに5試合だけであった。 2006年シーズンのリーグ戦で挙げた唯一のゴールは、5月2日の第6節ゲフレIF戦で、後半18分、カウンターから左サイドを駆け上がったステファン・バタンがゴール前に切り込み、ペナルティスポット付近のスペースへ走り込んだマティアス・ヨンソンへとパスを送った。ヨンソンはバタンからのボールを左足でダイレクトにシュートした。ゴールキーパーはヨンソンの強烈なシュートを正面で弾いたが、ゴール前で待っていたキリーノがこぼれ球を右足で押し込んだ。この試合はキリーノのゴールが決勝点となり、ユールゴーデンIFはゲフレIFを1対0で下した[33]。 2007年シーズン2007年シーズンは、キリノにとって喜ばしくない幕開けとなった。キリノはリーグ開幕以降、出場の機会をほとんど与えられなかった。2リーグ前半戦は、13試合中わずかに2試合で後半終了間際に途中出場しただけだったが、リーグ半ばを折り返した7月21日の第15節IFエルフスボリ戦で転機が訪れた。エースストライカーのジョーンズ・クシ=アサレが負傷退場したため、代役のフォワードとしてキリーノに出場機会が回ってきた。0対1で劣勢の場面で後半30分から途中出場し、後半43分に同点ゴールを決めた。試合は終了間際のロスタイム経過3分に、トニ・クイヴァストが逆転ゴールを挙げてユールゴーデンIFが勝利した[34]。この試合以降、キリノには途中出場の機会が与えられた。 9月3日の第20節ヘルシンボリIF戦、キリノは13ヶ月ぶりにスターティングメンバーに選ばれた。後半6分に先制ゴールを決め、後半12分にも得点を加えた[35]。9月24日の第22節AIKソルナ戦ではスターティングメンバーから外れたが、途中出場した後半13分に先制点を挙げた[36]。続く9月29日の第23節エレブロSK戦でも途中出場ながら得点を決め[37]、残る3試合で再びスターティングメンバーの座を勝ち得た。 10月7日の第24節ゲフレIF戦で1ゴールを決め[38]、10月22日の第25節ハルムスタッズBKでも2ゴールを決めた[39]。2007年シーズンでリーグ戦全26試合中13試合に出場した。うちフル出場したのはわずかに2試合であったものの、合計で8ゴールを決めてチーム得点王となった。 2008年シーズン![]() 前年に続き、2008年シーズンでも出場機会を多くは与えられなかった。2008年シーズンのリーグ戦全30試合のうち22試合に出場したが、そのうちフル出場したのは4回だけで、後半途中からの出場が16試合を占め、得点も2点に終わった。キリーノが得点を挙げたのは、4月24日の第7節AIKソルナ戦[41]と、10月5日の第25節GIFサンズヴァル戦[42]であった。 2008年11月21日、ユールゴーデンIFはキリーノの移籍を公式発表した。キリーノの移籍先は日本のサッカークラブで、2009年シーズンから2部リーグへ降格することが決まったコンサドーレ札幌であると報告した[43]。スウェーデンの夕刊紙アフトンブラーデットは、キリーノの移籍金について、250万クローナと報道した[29]。クラブ社長のボッセ・アンデルソンは「すべての関係者にとって望ましい結果」とコメントし、キリーノの幸運を願った[43]。コンサドーレ札幌は12月13日にキリーノの移籍を公式発表し、スピードを武器とする選手であるとサポーターに報告した[2]。 Jリーグへ2009年、日本のサッカークラブ、コンサドーレ札幌に移籍した。契約期間は2009年2月1日から2010年1月1日までの1シーズン契約であった[2]。日本での選手登録名はキリノ。エースストライカーとして高い期待を受けたものの[10]、開幕前の練習試合7試合はいずれも無得点に終わった[44]。キリーノは開幕からスターティングメンバーとして起用された[45]。リーグ第2節のサガン鳥栖戦で後半ロスタイムに決勝点を挙げ[46]、サポーターの期待に応えた[47]。その後得点を重ね、最終的にはリーグ戦19点とチーム得点王となり契約を更新。しかし翌2010年シーズンはグロインペイン症候群を発症し試合出場数が減り、得点も2点にとどまる。2011年シーズンは札幌から韓国の大邱FCに期限付き移籍することとなった。大邱では12試合出場し、3ゴールを挙げた。 2011年末、J1昇格を果たした札幌への復帰が報道された[48]。自身初のJ1では7試合全てが途中出場からであり、無得点だった。 湘南では背番号9を背負うこととなった。17試合に出場し7得点を挙げチームのJ1復帰に貢献した。特に第41節ガイナーレ鳥取戦での終了間際の決勝点はチームの昇格に影響を与える得点となった。 中東移籍2013年8月、UAEリーグのアル・シャアブへ期限付き移籍[50]。 Jリーグ復帰2014年8月、ヴァンフォーレ甲府へ移籍。東ティモール国籍を取得しているため、アジア枠での登録となる[51]。しかし負傷もありリーグ戦では7試合の出場で無得点に終わり、シーズン終了後に契約満了が発表された[52]。 2015年9月、湘南ベルマーレへ復帰[53]。 2016年7月、大分トリニータに期限付き移籍[54]。初のJ3リーグでのプレーとなった。 大分との期限付き移籍期間が満了し、移籍元の湘南とも契約満了となった2017年は母国ブラジルのアナポリスFCへ移籍。 2018年、鹿児島ユナイテッドFCに移籍[55]。 マレーシアスーパーリーグ時代2019年、マレーシアスーパーリーグのFELDAユナイテッドFCへ移籍。2021年に現役引退を表明した[56]。 個人成績
代表歴
タイトル
脚注
関連項目外部リンク
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