ジム・エドモンズ
ジェームズ・パトリック・エドモンズ(James Patrick Edmonds , 1970年6月27日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州フラートン出身の元プロ野球選手(主に中堅手)。左投左打。 経歴プロ入りとエンゼルス時代ロサンゼルス郡ダイアモンドバーのダイアモンドバー高等学校を卒業。1988年のMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから7巡目(全体169位)で指名され、入団。 1994年は開幕からメジャーロースター入りを果たし、新人選手としてはリーグ3位の94試合に出場し[1]、新人王の投票では8位だった[2]。 1995年には141試合に出場し、打率.290、33本塁打、107打点、120得点を記録。得点数はドン・ベイラーの球団記録に並んだ[3]。その年のオールスターにも代打で出場を果たした。その後、守備でも、1997年、1998年と2年連続でゴールドグラブ賞を受賞。 1996年は打率.304と自身初の3割を上回ったが、2回の故障者リスト入りを経験し、出場試合数は114試合だった。 1997年は8月1日に背中の痛みを訴え故障者リスト入りとなり、出場試合数は133にとどまり、地区優勝を逃す要因にもなった[4]。テリー・コリンズ監督からは来シーズン最低150試合以上出場するように言われ、エドモンズはシーズン終了後の10月中旬に両膝の手術を受けた[4]。 1998年は154試合に出場し、25本塁打を記録し、5月21日のアスレチックス戦で通算100本塁打を達成[5]。また、自己最高の42二塁打を記録した。 1999年は開幕を故障リスト入りで迎え、8月2日になってシーズン初出場。打率.250とデビュー年以来の低さに終わった。 カージナルス時代2000年3月23日にアダム・ケネディ、ケント・ボッテンフィールドとのトレードでセントルイス・カージナルスに移籍した。同年5月に翌年からの6年5700万ドルの契約延長を結んだ[6]。この年は自己最多の42本塁打、108打点、5年ぶりにオールスターゲームに選出され、7番センターで先発出場し、初安打も記録した[7]。本塁打数はロジャース・ホーンスビーに並び球団歴代4位だった一方、167三振は当時の球団新記録となった(2021年にタイラー・オニールが168で更新)[8]。そしてエンゼルスでは縁がなかったプレーオフにも出場を果たし、チームの躍進に貢献する。同年から2005年にかけて6年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。MVP投票ではジェフ・ケント、バリー・ボンズ、マイク・ピアッツァに次ぐ4位だった[9]。 2001年は4月に打率4割を記録するも5月から7月にかけて打率は.260を下回ったが、8月は.328、9月は.368の高打率を記録した[10]。このシーズンは打率.304・30本塁打・110打点などを記録し、自身初となる3割・30本塁打・100打点を記録した。 2004年には42本塁打、111打点でシルバースラッガー賞を受賞。7月には打率.381・13本塁打・27打点を記録し、いずれもリーグ1位で、初の月間MVPを受賞した[11]。この年153試合に出場し、打率.301、42本塁打、111打点、OPS1.061の大活躍だった。2004年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ第6戦ではサヨナラ本塁打を記録した。チームはワールドシリーズへ駒を進めるも、自身の大不振もあって4連敗に終わった。MVP投票ではバリー・ボンズ、エイドリアン・ベルトレ、アルバート・プホルス、スコット・ローレンに次ぐ5位だった[12]。 2006年は怪我の影響もあり、大きく成績が落ち込んだが、チームはワールドシリーズ優勝を果たし、初めてのチャンピオンリングを獲得した。オフの11月に2年1900万ドルで再契約した[13]。 パドレス時代2007年オフにデビッド・フリーズと金銭との交換でサンディエゴ・パドレスへトレード移籍。 2008年は打率.178、1本塁打と精彩を欠き、5月9日に自由契約となった。 カブス傘下時代ブルワーズ時代2010年にミルウォーキー・ブルワーズで2年ぶりにメジャーへ復帰。OPS8割台と健在ぶりを示した。 レッズ時代2010年8月9日にクリス・ディッカーソンとのトレードで地区首位を走るシンシナティ・レッズへ移籍した[15]。 2011年2月18日に前年から痛めていたアキレス腱の回復が見込めないことを理由に現役引退を表明。故障の悪化はチームドクターの杜撰な選手管理に責任があるとして、レッズを非難した[16]。 通算打撃成績では、1949安打、打率.284、393本塁打、1199打点、67盗塁、437二塁打、998四球、1729三振などを記録した。守備では主に中堅手で外野手の3ポジションで4536刺殺、131補殺などを記録した。一塁手としても57試合に出場し、423守備機会で無失策だった。 2014年にセントルイス・カージナルス球団殿堂に選出された。 2016年1月にアメリカ野球殿堂の被投票資格を得たが、得票率2.5%で被投票資格を喪失した。 選手としての特徴エドモンズのバッティングの特徴はボールをよく選ぶことで、2006年には1打席当たり4.07球相手投手に投げさせている[17]。一方で三振もかなり多い。自己最低は2000年の167三振。また、左投手を苦手としており[17]、通算で右投手の打率は.297に対し、左投手は.253と4分以上低い[18]。 詳細情報年度別打撃成績
表彰記録
脚注
関連項目
外部リンク |