トリー・ハンターTorii Hunter
デトロイト・タイガースでの現役時代
基本情報 国籍
アメリカ合衆国 出身地
アーカンソー州 パインブラフ 生年月日
(1975-07-18 ) 1975年 7月18日 (49歳) 身長 体重
6' 2" =約188 cm 225 lb =約102.1 kg 選手情報 投球・打席
右投右打 ポジション
中堅手 、右翼手 プロ入り
1993年 MLBドラフト1巡目(全体20位) 初出場
1997年8月22日 最終出場
2015年10月3日 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
トリー・ケダー・ハンター (Torii Kedar Hunter , 1975年 7月18日 - )は、アメリカ合衆国 アーカンソー州 パインブラフ 出身の元プロ野球選手 (外野手 )。右投右打。愛称はスパイダーマン (Spider-Man )。
経歴
アマチュア時代
電気技師の父親と小学校教師の母親の間に生まれ[ 1] 、8歳の時にティーボール を始める[ 2] 。高校時代から桁違いの身体能力の高さで、野球以外にもアメリカンフットボール 、バスケットボール 、陸上競技 でそれぞれ大活躍を見せた[ 1] 。アメリカンフットボールではオフェンスで強肩のクォーターバック として、ディフェンスでハードヒットが売りのフリーセイフティ としてプレーした[ 1] 。
1992年 には野球のジュニアオリンピック アメリカ合衆国代表に選ばれたが、家庭が経済的に厳しい状況であったため参加者負担金の500ドル を捻出できず、後のアメリカ大統領 で当時アーカンソー州知事 であったビル・クリントン に手紙を書いて窮状を訴えたところ、すぐにポケットマネーから500ドルの小切手 を送金してくれたため参加することができた[ 1] [ 3] 。「まさか後に大統領になるなんて、あの時は夢にも思わなかった。返事が来たのはとても早かったから、今でも凄く感謝しているんだ」と述懐している[ 2] 。
ツインズ時代
ツインズ時代
地元に程近いアトランタ・ブレーブス からの指名を希望していたが[ 2] 、1993年のMLBドラフト でミネソタ・ツインズ から1巡目(全体20位)に指名を受け、7月12日に契約。ドラフト前にはペパーダイン大学 から奨学金 付きのリクルーティングも受けていた[ 1] 。同年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズ で28試合に出場したが、スライダー とチェンジアップ を全く打てず、打率.190に終わった[ 2] 。
1994年 はスプリングトレーニング に招待選手として参加し、カービー・パケット とデーブ・ウィンフィールド に挟まれたロッカー が用意されるなど期待の大きさが窺えた[ 2] 。同年はA級フォートウェインに昇格し、打率.293・10本塁打・50打点を記録。
1995年 はA+級フォートマイヤーズ・ミラクル で打率.246・7本塁打・36打点・7盗塁だった。
1996年 はAA級ハードウェアシティ・ロックキャッツ で開幕を迎えたが、5月に膝を手術し、一時A+級に戻った[ 2] 。2階級合計で打率.260・7本塁打・34打点・8盗塁だった。
1997年 もAA級ニューブリテン[ 4] で開幕を迎えたが、ツインズで控えの外野手が足りなくなったという事情でメジャーに昇格[ 2] 。8月22日のボルチモア・オリオールズ 戦で、9回にテリー・スタインバック の代走 としてメジャーデビュー[ 5] 。結局この1試合の出場のみで再びAA級に降格した。1998年 は開幕を3年続けてAA級で迎えるが4月29日にメジャーに昇格し、5月1日のオリオールズ戦でアーサー・ローズ からメジャー初安打を放った[ 6] 。6試合に出場したのみで5月12日に再び降格した後は再昇格できなかったが、8月にAAA級ソルトレイク・ビーズ に昇格し[ 2] 、打率.337・4本塁打[ 7] と好調を維持した。
1999年 は初の開幕ロースター 入りを果たして中堅 のレギュラーとして起用され、4月15日のデトロイト・タイガース 戦でブライアン・モーラー からメジャー初本塁打[ 2] 、4月26日のボストン・レッドソックス 戦でティム・ウェイクフィールド から満塁本塁打 を放った[ 8] 。後半はジャック・ジョーンズ と併用されたため規定打席 には届かなかったが、打率.255・9本塁打・10盗塁を記録、292守備機会で僅か1失策だった。2000年 は開幕直後は好調だったものの徐々に調子を落とし、5月25日にAAA級に降格したが、打率.368・18本塁打・61打点・OPS1.130[ 9] と格の違いを見せつけ、7月28日に再昇格。8月2日以降.355の高打率を記録し、8月12日から15日にかけて3試合連続本塁打を放った[ 10] 。
2001年 は4月6日に故障者リスト 入りしたが、4月21日に復帰。完全にレギュラーに定着し、打率.261・27本塁打(チームトップ)・92打点を記録。長く低迷を続けていたチームが9年ぶりに勝率5割を超える原動力となり、初のゴールドグラブ賞 を受賞した。
2002年 2月19日に球団と1年契約に合意。4月に打率.371・9本塁打・20打点・OPS1.085を記録[ 11] してプレイヤー・オブ・ザ・マンス を初受賞するなど、前半戦で打率.306・20本塁打・61打点・14盗塁の好成績を挙げ、自身初のオールスターゲーム に球団としては1995年のパケット以来7年ぶりにファン投票で選出された[ 12] 。試合前日に行われるホームランダービー にも参加したが、結果は3本で第1ラウンド敗退となった。試合では「7番・中堅手」で先発出場し無安打に終わったものの、1回裏にバリー・ボンズ が右中間に放った本塁打性の打球をジャンプしてキャッチする美技を見せた。シーズン後半にやや調子を落としたものの打率.289・29本塁打・94打点・23盗塁を記録し、チームの11年ぶり、3地区制になってからは初の中地区 優勝に貢献。オークランド・アスレチックス とのディビジョンシリーズ では打率.300と活躍を見せて3勝2敗でシリーズを突破するが、アナハイム・エンゼルス とのリーグチャンピオンシップシリーズ では打率.167[ 13] と振るわず、チームも1勝4敗で敗退した。オフには2年連続のゴールドグラブ賞を受賞し、MVP の投票で6位に入った[ 14] 。11月には日米野球 に参加し、第1戦と第3戦で本塁打を放った。また守備でも随所に好プレーを見せ、MVPに選出された。また松井秀喜 とは家族を紹介し合うなど親しく打ち解けた[ 2] 。
2003年 はシーズン開幕前の1月17日に4年総額3200万ドルで契約延長。チームの野手の中で最高年俸 となったことで責任感を強く感じるようになり、それがプレッシャーになったという[ 15] 。その影響もあってか打率は.250に留まるが、球団の外野手として1996年のマーティ・コードバ 以来のシーズン100打点となる102打点を記録し[ 16] 、チームは地区連覇。ニューヨーク・ヤンキース とのディビジョンシリーズ では、第2戦でアンディ・ペティット から本塁打を放つ[ 17] など打率.429と活躍するが[ 13] 、チームは1勝3敗で敗退した。オフに3年連続でゴールドグラブ賞を受賞。シーズン終了後に打撃 を見直すため、打撃コーチ 以外にパケット、ポール・モリター 、ボビー・ボニーヤ らにアドバイスを求めている[ 15] 。
2004年 は開幕直後の4月9日にハムストリング の故障で故障者リスト入りし、4月25日に復帰。5月15日のシカゴ・ホワイトソックス 戦で4打数4安打、2本塁打を放ち、通算100本塁打を達成した[ 18] 。6月2日のタンパベイ・デビルレイズ 戦でダイビングキャッチ を試みた際に左手首を、8月19日のヤンキース戦ではフェンス に激突して首を、9月17日のオリオールズ戦では守備の際に左膝を負傷するなど、故障で欠場する期間が多かった[ 19] が、138試合に出場して打率.271・23本塁打・81打点・21盗塁を記録し、チームは地区3連覇。前年に続きヤンキースとの対戦となったディビジョンシリーズ では、第3戦で松井の放った打球 をグラブ からこぼして本塁打にしてしまう[ 2] など、第2戦から3連敗を喫して敗退。11月2日に4年連続となるゴールドグラブ賞を受賞[ 20] 。
2005年 は7月30日に左足首 の故障で故障者リスト入りし[ 21] 、そのままシーズンを終えた。故障の影響で98試合の出場に留まって打率.269・14本塁打・56打点・23盗塁とやや不本意な成績に終わり、チームも地区3位で連覇が途切れた。11月1日に5年連続のゴールドグラブ賞を受賞[ 22] 。
2006年 は7月16日に足の怪我で15日間の故障者リスト入り[ 23] 。この間にトレード が噂されたが、チームにポストシーズン 進出の可能性が出てきたため残留[ 24] 。7月31日に復帰後は約2か月で17本塁打を放つなど、147試合の出場で打率.278・キャリアハイの31本塁打・98打点・12盗塁を記録した。チームは最大12.5ゲーム差 を付けられていたタイガースに終盤で追いつき、最終戦で2年ぶりの地区優勝を決めた[ 25] 。アスレチックスとのディビジョンシリーズ では第3戦で本塁打を放ったが、チームは3連敗で敗退した。10月10日に球団が1200万ドルのオプションを行使[ 26] [ 27] 。11月2日に6年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[ 28] 。
2007年 は前半戦86試合の出場で、打率.301・19本塁打・69打点・11盗塁と好成績を残し、4年ぶり2度目のオールスターゲーム に選出された。自己最多の160試合に出場し、打率.287・28本塁打・キャリアハイの107打点・18盗塁を記録。10月29日にフリーエージェント となり、11月6日には7年連続となるゴールドグラブ賞を受賞[ 29] 。
エンゼルス時代
2007年11月22日にエンゼルスと5年総額9000万ドルで契約した[ 30] [ 31] 。
エンゼルス時代
2008年 は新天地でも正中堅手として開幕から起用された。9月8日のヤンキース戦で乱闘騒ぎを起こし、9月10日にMLB機構から2試合の出場停止処分を受けた[ 32] 。この年は146試合に出場し、打率.278・21本塁打・78打点・19盗塁だった。オフの11月6日に8年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[ 33] 。
2009年 も開幕から中堅手として77試合に出場し、打率.305・17本塁打・65打点・13盗塁と好成績を残したため、2年ぶりにオールスターゲーム に選出されたが、7月7日のロサンゼルス・ドジャース 戦でフェンスに激突し、7月10日に15日間の故障者リスト入りした[ 34] 。そのためオールスターゲーム出場も辞退した。8月16日に復帰。この年は119試合に出場し、打率.299・22本塁打・90打点・18盗塁だった。また、ボビー・アブレイユ の打撃に刺激を受けて選球眼 が向上した結果四球 が増え、出塁率 はキャリアハイの.366を記録。オフの11月10日に9年連続となるゴールドグラブ賞[ 35] 、11月12日には初のシルバースラッガー賞 を受賞した[ 36] 。
2010年 は前半戦86試合で打率.298・15本塁打・62打点・7盗塁と結果を残し、2年連続でオールスターゲーム に選出された。8月からはルーキーのピーター・ボージャス に中堅のポジションを譲り、右翼へコンバートされた。8月6日のデトロイト・タイガース 戦で三振の判定に対して球審に激しく抗議し、退場処分後も球審に暴言を吐いたり、ベンチからグラウンドにボールを投げるなど悪態をつき、8月7日にMLB機構が4試合の出場停止処分を発表した[ 37] 。この年は152試合に出場し、打率.281・23本塁打・90打点・9盗塁だった。前年まで9年連続でゴールドグラブ賞を受賞していたが、この年のDRS はリーグ24位となり、前年リーグ1位のUZR値を記録したフランクリン・グティエレス がこの年シーズン無失策を記録したこともあって受賞を逃した。
2011年 は156試合に出場し、打率.262・23本塁打・82打点・5盗塁だった。
2012年 は5月に息子のダライアス・マクリントン=ハンターが性的暴行容疑で逮捕されたため、「家庭の事情」として5月14日に制限リスト 入りし[ 38] 、5月29日に復帰した。この年は140試合に出場し、打率.313(キャリアハイ)・16本塁打・92打点・9盗塁だった。BABIP はキャリア平均(.307)に比べて著しく高い.389を記録。右翼の守備指標はリーグトップクラスだった。オフの10月29日にFAとなった。
タイガース時代
タイガース時代
2012年11月16日にタイガースと総額2600万ドルの2年契約を結んだ[ 39] [ 40] 。
2013年 は新天地でも前年同様右翼手として起用された。前半戦84試合で打率.315・7本塁打・44打点・2盗塁と活躍。3年ぶり5度目となるオールスターゲーム に選出された。この年は144試合に出場し、打率.304・17本塁打・84打点・3盗塁だった。オフの11月7日には4年ぶり2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した[ 41] 。
2014年 は142試合に出場し、打率.286・17本塁打・83打点・4盗塁だった。オフの10月30日にFAとなった。本人は再契約を望んでいたが、11月14日にデーブ・ドンブロウスキー GM が「トリーと契約するとは思わない」と話した[ 42] 。
ツインズ復帰
2014年12月2日に古巣のツインズと1050万ドルの1年契約を結んだ[ 43] 。
2015年 は、6月10日のカンザスシティ・ロイヤルズ 戦でストライクの判定に激昂し退場処分。その際ジャージ などをグラウンド に投げ捨て、後日2試合の出場停止処分を受けた[ 44] 。9月13日のホワイトソックス戦でクリス・セール から本塁打を放ち、通算350本塁打を達成[ 45] 。139試合に出場し、打率.240・22本塁打・81打点・2盗塁という結果を残した[ 46] 。20本塁打以上は4年ぶり、80打点以上は7年連続の記録である。またホームゲームでの勝利後にクラブハウスでダンスパーティーを開催するなど、チームの盛り上げ役としても一役買った[ 47] 。オフの10月26日に現役引退を表明した[ 48] 。
選手としての特徴
打撃
スイングが大きいため打席から一塁までのスピードは4.4秒と平均を下回るが、バットスピードが速く、腕を伸ばしてボールを捉えることを好み、中堅方向の打球が良く伸びる[ 49] 。
守備
2001年から2009年まで9年連続でゴールドグラブ賞を受賞している。2002年のオールスターゲーム で、バリー・ボンズ が放った本塁打性の打球をジャンプしてもぎ取ったプレーが注目を浴びて以来、同様のプレーが代名詞となり、そこから「ホームラン・ハンター 」の愛称がつけられている。2001年から10年連続でゴールドグラブ賞 を受賞しているイチロー とは、互いに意識し合っていた[ 50] [ 51] 。
2006年以降はUZR がマイナスに転じるなど、ゴールドグラブ賞の受賞に疑問を呈する声も上がっていた[ 52] 。2010年には右翼手にコンバート され、連続受賞も途切れた。生涯 UZR はマイナスである[ 53] 。
人物
ファンを大切にし、面倒見がよく、チームメイトからも人気がある。ユーモア のセンスがあり、コメントを嫌がらないのでメディア の受けもいい。また社会貢献にも熱心で、恵まれない家庭の奨学金の付与や、球場の建設・前立腺がん 患者への支援も行っている[ 54] 。
アフリカ系アメリカ人 の野球人口が減少していることに危機感を覚えており(1975年 には27%に達していたが、2006年 にはわずか8%まで低下したと6月2日付けのアメリカ有力紙、USA Today は"Where are black ballplayers?"という記事で特集を組んでいる。2009年時点では10.2%)、"Torii Hunter Project"と称する黒人野球選手振興プログラムを行っている。同プログラムでは他のアフリカ系のプレーヤーに呼びかけて寄付金を募り、それをMLB機構が行う振興プログラムとは全く別に4都市のリトルリーグチームをサポートするというものである。このプログラムには元チームメイトのシャノン・スチュワート 、通算500本塁打を記録しているゲイリー・シェフィールド 、元シアトル・マリナーズ のカール・エバレット 、元シカゴ・カブス のデレク・リー 、メジャーリーグ歴代5位となる630本塁打の記録を保持しているケン・グリフィー・ジュニア などが賛同している。2007年にはこの功績が認められ、地域社会に貢献したプレーヤーに与えられるマービン・ミラー賞 に選出された。2009年にはブランチ・リッキー賞も受賞している。
2001年オフにツインズとモントリオール・エクスポズ を解散・消滅させる意向を示したMLBコミッショナー のバド・セリグ が、翌年8月にツインズの快進撃について問われた際の「一過性の突然変異」という言動に対し、「結果を出すしかあの男を黙らせる方法は無い」「絶対にツインズを消滅させたりはしない」と発言した[ 2] 。
次男のトリー・ジュニア(ノートルダム大学 の中堅手 )が2016年のMLBドラフト でエンゼルスから23巡目に指名を受け、入団した[ 55] 。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度
球 団
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
O P S
1997
MIN
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
----
----
----
----
1998
6
19
17
0
4
1
0
0
5
2
0
1
0
0
2
0
0
6
1
.235
.316
.294
.610
1999
135
422
384
52
98
17
2
9
146
35
10
6
1
5
26
1
6
72
9
.255
.309
.380
.689
2000
99
358
336
44
94
14
7
5
137
44
4
3
0
2
18
2
2
68
13
.280
.318
.408
.726
2001
148
603
564
82
147
32
5
27
270
92
9
6
1
1
29
0
8
125
12
.261
.306
.479
.784
2002
148
604
561
89
162
37
4
29
294
94
23
8
0
3
35
3
5
118
17
.289
.334
.524
.859
2003
154
642
581
83
145
31
4
26
262
102
6
7
0
6
50
7
5
106
15
.250
.312
.451
.762
2004
138
569
520
79
141
37
0
23
247
81
21
7
0
2
40
4
7
101
23
.271
.330
.475
.805
2005
98
416
372
63
100
24
1
14
168
56
23
7
0
4
34
3
6
65
8
.269
.337
.452
.788
2006
147
611
557
86
155
21
2
31
273
98
12
6
0
4
45
2
5
108
19
.278
.336
.490
.826
2007
160
650
600
94
172
45
1
28
303
107
18
9
0
5
40
10
5
101
17
.287
.334
.505
.839
2008
LAA
146
608
551
85
153
37
2
21
257
78
19
5
0
1
50
6
6
108
15
.278
.344
.466
.810
2009
119
506
451
74
135
26
1
22
229
90
18
4
0
5
47
4
3
92
9
.299
.366
.508
.873
2010
152
646
573
76
161
36
0
23
266
90
9
12
0
5
61
6
7
106
22
.281
.354
.464
.819
2011
156
649
580
80
152
24
2
23
249
82
5
7
0
3
62
2
4
125
24
.262
.336
.429
.765
2012
140
584
534
81
167
24
1
16
241
92
9
1
1
3
38
1
8
133
15
.313
.365
.451
.817
2013
DET
144
652
606
90
184
37
5
17
282
84
3
2
3
10
26
0
7
113
11
.304
.334
.465
.800
2014
142
586
549
71
157
33
2
17
245
83
4
3
0
7
23
0
7
89
18
.286
.319
.446
.765
2015
MIN
139
567
521
67
125
22
0
22
213
81
2
5
0
5
35
1
6
105
14
.240
.293
.409
.702
MLB :19年
2372
9692
8857
1296
2452
498
39
353
4087
1391
195
99
6
71
661
52
97
1741
262
.277
.331
.461
.793
年度別守備成績
年 度
球 団
左翼(LF)
中堅(CF)
右翼(RF)
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
1998
MIN
-
6
8
0
0
0
1.000
-
1999
16
19
1
0
0
1.000
107
250
6
1
3
.996
14
15
0
0
0
1.000
2000
1
0
0
0
0
----
98
270
12
3
3
.989
-
2001
-
147
460
14
4
3
.992
-
2002
-
146
363
7
3
0
.992
-
2003
-
151
424
5
4
1
.991
-
2004
-
126
311
5
4
0
.988
-
2005
-
93
218
9
3
4
.987
-
2006
-
143
343
8
4
4
.989
-
2007
-
155
387
5
2
0
.995
-
2008
LAA
-
137
350
4
0
0
1.000
-
2009
-
115
308
2
1
0
.997
-
2010
-
98
252
2
1
0
.996
46
106
2
2
0
.982
2011
-
1
4
0
0
0
1.000
136
260
15
3
2
.989
2012
-
-
134
240
14
4
5
.984
2013
DET
-
-
143
223
9
3
3
.987
2014
-
-
128
218
5
5
1
.978
2015
MIN
-
-
123
231
6
5
1
.979
MLB
17
19
1
0
0
1.000
1523
3948
79
30
18
.993
724
1293
51
22
12
.984
表彰
記録
背番号
脚注
注釈
出典
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関連項目
外部リンク
業績
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※1957年のみ、両リーグ合同で選出。メイズはナショナルリーグ所属選手。
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