オズワルド・アルシア
オズワルド・セレスティーノ・アルシア(Oswaldo Celestino Arcia, 1991年5月9日 - )は、ベネズエラのアンソアテギ州アナコ出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。メキシカンリーグのチャロス・デ・ハリスコ所属。 3歳年下の弟のオーランド・アルシアもプロ野球選手。 経歴プロ入りとツインズ時代2008年ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ツインズで61試合に出場し、打率.293・4本塁打・36打点・8盗塁だった。 2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ツインズで44試合に出場し、打率.275・5本塁打・24打点・8盗塁だった。 2010年はアパラチアンリーグのルーキー級エリザベストン・ツインズで64試合に出場し、打率.375・14本塁打・51打点・4盗塁だった。 2011年はA級ベロイト・スナッパーズで20試合に出場し、打率.352・5本塁打・18打点・2盗塁だった。6月からルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、6月26日にA+級フォートマイヤーズ・ミラクルへ昇格。A+級フォートマイヤーズでは59試合に出場し、打率.263・8本塁打・32打点・1盗塁だった。オフの11月18日にツインズとメジャー契約を結び[1]、40人枠入りした。 2012年3月15日にA+級フォートマイヤーズへ異動[2]。A+級フォートマイヤーズでは55試合に出場し、打率.309・7本塁打・31打点・1盗塁だった。6月にAA級ニューブリテン・ロックキャッツへ昇格。69試合に出場し、打率.328・10本塁打・67打点・3盗塁だった。 2013年3月16日にAAA級ロチェスター・レッドウイングスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。AAA級ロチェスターでは9試合に出場し、打率.414・3本塁打・8打点と結果を残し、4月15日にメジャーへ昇格[3]。同日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦でメジャーデビュー。7番・左翼手で先発起用され、3打数1安打だった[4]。試合後に外野手のウィルキン・ラミレスが産休リストから復帰したため、AAA級へ降格した[5]。4月17日にダリン・マストロアーニが故障で離脱したため、メジャーへ再昇格[6]。再昇格後は29試合に出場していたが、5月24日にAAA級ロチェスターへ降格した[7]。6月10日に外野手のアーロン・ヒックスが故障者リスト入りしたため、メジャーへ再昇格した[8]。昇格後は主に左翼手として先発起用されていたが、7月14日にAAA級ロチェスターへ降格[9]。8月1日に再昇格した[10]。この年は97試合に出場し、打率.251、14本塁打、43打点、1盗塁だった。 2014年2月28日にツインズと1年契約に合意し[11]、開幕ロースター入りした。開幕後は右翼手として先発起用されていたが、4月9日に右手首の故障で15日間の故障者リスト入りした[12]。5月14日に故障者リストから外れたが、AAA級ロチェスターへ降格した[13]。5月25日に再昇格した[14]。103試合に出場し、打率.231、20本塁打、57打点という成績を残した。 2015年は出番が大幅に減少して、19試合の出場に留まった。 ![]() (2016年4月6日) レイズ時代2016年6月24日に後日発表選手とのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[16]。8月19日にDFAとなった[15]。 マーリンズ時代2016年8月23日にウェイバーでマイアミ・マーリンズへ移籍したが、25日にジェフ・フランコーアの加入に伴ってDFAとなった[15]。 パドレス時代2016年8月27日にウェイバーでサンディエゴ・パドレスへ移籍した[17]。この年は4球団合計で69試合に出場して打率.203、8本塁打、23打点、1盗塁の成績を残した。オフの11月18日にDFAとなり、21日に自由契約となった[15]。 ダイヤモンドバックス傘下時代2016年12月20日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[15]。この年はAAA級リノ・エーシズで93試合に出場して、打率.326、24本塁打、87打点を記録した[15]。 日本ハム時代2017年12月15日に北海道日本ハムファイターズが獲得を発表した。1年契約で年俸は1億3000万円(推定)[18]。 2018年は左の大砲として89試合に出場したが、14本塁打、43打点と年俸に見合った活躍ができず、クライマックスシリーズ第1ステージ敗退後に帰国。11月7日、球団が翌年の契約を結ばずに退団が決定したことを発表した[19]。 メキシカンリーグ時代2019年3月21日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約[15]。14試合に出場後、5月3日にトレードでオアハカ・ウォーリアーズに移籍したが[15]、7月16日に自由契約となった[15]。7月27日にタバスコ・キャトルメンと契約したが、17試合の出場で打率.170に終わり、8月13日に自由契約となった[15]。 2020年と2021年は秋まではいずれのチームにも所属せず、オフはベネズエラのウィンターリーグに参加した。 独立リーグ時代2022年2月24日に北米独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのクリーバーン・レイルローダーズと契約した[20]。しかし、出場機会のないまま退団した。 メキシカンリーグ時代2023年はメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約したが、5月30日に自由契約となった[15]。6月1日にグアダラハラ・マリアッチスと契約した[15]。 オフの球団の解散に伴い、2024年にはチャロス・デ・ハリスコに移籍した[21]。 プレースタイル13歳の頃から注目されていた逸材であった[22]。 最大の特徴は長打力で、2013年にメジャーデビューしてから2シーズン、いずれも100試合前後の出場数で二桁本塁打を放っている。 日本ハム移籍前までは左翼と右翼の両方を守っていたが、日本ハムでは専ら左翼を守っていた。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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