1988年の日本ハムファイターズ(1988ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1988年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁監督の4年目のシーズンであり、本拠地が後楽園球場から東京ドームに移転した最初のシーズンである。
概要
前年4年ぶりにAクラスに浮上し、東京ドーム1年目に優勝を目指すチームは、トレードで元本塁打王の大島康徳を中日から、さらに新外国人ブライアン・デイエットを異例の4年契約で獲得した。ところが、開幕直前に前年35本塁打のトニー・ブリューワが腰痛で帰国して1年を棒に振り、デイエットも右足の付け根を痛め、打線の破壊力が落ちたチームは5月以降下位に低迷。投手陣は西崎幸広と松浦宏明が共に15勝を挙げ最多勝、河野博文も6勝止まりながら防御率1位と、チーム防御率はリーグ1位。対照的にチーム打率はリーグ最下位だったが、5月に加入したマイク・イースラーの活躍と、5月中旬から3番に定着した田中幸雄の台頭もあり、チームは勝率5割超えこそなかったが3位を確保した。しかし、西武と近鉄の優勝争いに絡むことができず、高田監督はシーズン終了後辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1988年パシフィック・リーグ順位変動
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
|
最終成績
|
1位
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
近鉄 |
1.5
|
近鉄 |
4.5
|
近鉄 |
7.5
|
近鉄 |
5.0
|
近鉄 |
4.0
|
近鉄 |
1.5
|
近鉄 |
0.0
|
3位
|
ロッテ |
2.0
|
ロッテ |
8.0
|
日本ハム |
11.5
|
日本ハム |
8.5
|
日本ハム |
12.0
|
日本ハム |
9.0
|
日本ハム |
12.5
|
4位
|
日本ハム |
3.0
|
日本ハム |
9.5
|
ロッテ |
11.5
|
阪急 |
10.0
|
南海 |
13.0
|
阪急 |
12.5
|
阪急 |
15.0
|
5位
|
阪急 |
6.5
|
南海 |
10.0
|
南海 |
11.5
|
南海 |
10.5
|
阪急 |
13.0
|
南海 |
13.5
|
南海 |
17.5
|
6位
|
南海 |
8.0
|
阪急 |
13.0
|
阪急 |
15.0
|
ロッテ |
11.0
|
ロッテ |
15.0
|
ロッテ |
14.5
|
ロッテ |
21.0
|
[3][4][5][6][7][8]
[1]
オールスターゲーム1988
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
- ^ 偵察メンバーの西村基史と交代。
- ^ 偵察メンバーの柴田保光と交代。
- ^ スタメン発表時は左翼手。
- ^ 偵察メンバーの武田一浩と交代。
- ^ 偵察メンバーの間柴茂有(中堅手)と交代。
出典
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |