高橋禎一高橋 禎一(たかはし ていいち[1]、1899年(明治32年)7月27日[2][3] - 1987年(昭和62年)5月27日[2][3][4])は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。衆議院議員。 経歴広島県[4]芦品郡、のちの福山市芦田町で生まれる[2][3]。栄治の長男[1]。1925年(大正14年)、日本大学専門部法律科を卒業した[2][3][4]。 司法省に入省し、大阪地方裁判所などの検事、水戸地方裁判所次席検事、水戸保護観察所長、東京控訴院(現東京高等裁判所)検事などを歴任[4]。退官後に弁護士を開業した[2][4]。 1948年(昭和23年)4月の第23回衆議院議員総選挙・広島県第3区補欠選挙に民主党公認で出馬して初当選[4][5]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選[6]。 1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で再選され、以後、第28回総選挙まで当選した[4][7]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙では次点で落選[8]。 1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙では再選され[8]、衆議院議員に通算6期在任した[2][3][4]。この間、第1次鳩山一郎内閣・防衛政務次官、第3次池田内閣と第1次佐藤内閣の自治政務次官、衆議院法務委員長、改進党情報宣伝副委員長、日本民主党総務、新党結成準備会党紀党則委員長、自由民主党総務、同政調会法務部長、同党紀副委員長などを務めた[2][3][4]。 岸信介の派閥に所属し、売春防止法の制定、備後工業整備特別地域の指定などに尽力した[2][3]。その後、第31回、第32回総選挙に立候補したがいずれも落選した[9]。 人物趣味は読書、映画[1]。宗教は真宗[1]。住所は広島県福山市東桜町[1]。 家族・親族
脚注
参考文献
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