船越弘
船越 弘(ふなこし ひろむ、1907年(明治40年)5月7日[1] - 1967年(昭和42年)9月7日[2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、広島県三次市長。 経歴広島県出身[2]。松山高等学校を経て、1932年(昭和7年)京都帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業[1][2]。 1942年(昭和17年)5月、三次町会議員に選出された[1][2]。2期在任し、1947年(昭和22年)5月、町議会議長となる[1][2]。双三郡町村会議長会長も務めた[2]。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に広島県第3区から民主自由党から出馬して初当選[1][3]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙で自由党から立候補したが落選[3]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では再選され[1][3]、衆議院議員に通算2期在任した[2]。この間、自由党人事副部長、同政調会林業副部長などを務めた[2]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に立候補したが落選した[4]。 1960年(昭和35年)1月、三次市長に就任し、2期在任して、1967年9月に現職で死去するまで務めた[1]。産業振興、市民憲章の制定、公共施設の整備、総合開発基本構想の策定、林業構造改善事業の実施などに尽力した[1]。また、三江線全通促進期成同盟会長、中国縦貫自動車道建設広島県期成同盟会長、江の川改修促進期成同盟会長、三次市交通安全対策協議会長なども務めた[1]。 実業界では、広島県薪炭生産組合理事長、広島燃料興業取締役、船越林産取締役、米田物産副社長などに在任した[2]。 脚注参考文献
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