福山英朗
福山英朗(ふくやま ひでお、1955年8月13日 - )は、日本のレーシングドライバー。 血液型はRH+A型。GTやツーリングカーレースにおいて数々のチャンピオンを獲得していることから、いわゆる「ハコ使い」系ドライバーとして有名である。 略歴デビュー三重県尾鷲市出身。1977年に地元である鈴鹿サーキットで開かれた鈴鹿シルバーカップ・FL500でデビューした。その後は鈴鹿サーキットを中心に活躍し、1979年には鈴鹿シルバーカップ・FL500のチャンピオンとなった。 全日本F3選手権と全日本F3000選手権1982年には全日本F3選手権にステップアップし、1988年にかけてシリーズ参戦して優勝1回、ポールポジションを2回獲得するなど活躍した。また1992年にもスポット参戦している。1990年には全日本F3000選手権にステップアップしTEAM NOJIからスポット参戦し、翌1991年にはシーズン参戦し1992年まで参戦した。 ル・マン24時間レース1988年にはル・マン24時間レースに初参戦した。1990年にはスパ・フランコルシャン24時間レースに日産自動車のワークスドライバーとして日産・スカイラインGT-Rで参戦し、クラス2位を獲得した。ル・マン24時間レースにはその後もワークスドライバーとして参戦を続け、クラス優勝を含む上位入賞を複数回獲得している(後述)。 全日本ツーリングカー選手権チャンピオン全日本F3000への参戦をしつつ1992年から全日本ツーリングカー選手権に参戦し、参戦初年度の1992年には長谷見昌弘とのコンビで全日本ツーリングカー選手権・クラス1のチャンピオンに輝いた。全日本ツーリングカー選手権の最終開催年となった1993年は、チャンピオンに届かなかったが複数の優勝を果たしている。 全日本GT選手権チャンピオン1994年より[1]全日本GT選手権に参戦(1994年・1995年はスポット参戦のため、本格参戦は1996年より)。同年行われた十勝24時間レース第1回大会で優勝を果たした。また1998年から2001年にかけて、鈴鹿1000kmにおいてGTクラス4連覇を達成している。 1997年には織戸学とのコンビで全日本GT選手権のGT300クラスチャンピオンを獲得した(日産・シルビア)。さらに2000年にも松田秀士とのコンビで全日本GT選手権GT300クラスチャンピオンを獲得した(シェルタイサンアドバンGT3R、ポルシェ・911 GT3R)。また2000年と2001年には再びル・マン24時間レースに参戦し、2000年にはLM-GTクラスでクラス優勝を果たした。 スーパーN1耐久チャンピオン1996年には砂子智彦とのコンビでスーパーN-1耐久シリーズ(現スーパー耐久)のチャンピオンを獲得した(日産・スカイラインGT-R)。その後もスーパー耐久に継続的に参戦し、近年も2011年と2012年に続き、2013年も参戦を行っている。 NASCAR1998年と1999年には日本で開催されたNASCARコカ・コーラ500に出場した。2002年にはアメリカに渡り、NASCARの最高峰クラスである「ウインストンカップ(現・スプリントカップシリーズ)」にスポット参戦した。 2003年にはウインストンカップにキッコーマンからのスポンサーを得てシリーズ参戦し(トラビス・カーター/ フォード・トーラス)、日本人として、またアジア人として初めて同カップの決勝に進出したドライバー、かつシーズン参戦したドライバーとなった[2]。 現在2013年にはスーパー耐久に、桧井保孝と大文字賢浩とともに「museo cinquecento racing team」のアバルト・695アセットコルセで参戦するなど[3]レーシングドライバーとして活躍する一方で、同チームの監督も務める。 また日テレG+で放送されるNASCARや、J SPORTSで放送されるSUPER GT、スーパー耐久などの中継で解説なども行っている。またアバルトのドライビングスクールの講師を務めるほか、アバルトやフェラーリなどのイベントにもゲストドライバーとして参加するなど、その経験と知名度を生かして幅広い活動を行っている。2021年現在は、スーパー耐久に新規参戦するドライバーに受講義務がある「スーパー耐久安全ミーティング」の講師役も務めている[4]。2024年からSUPER GTに新規参戦するHELM MOTORSPORTSの監督に就任する。 レース戦績全日本F3000選手権
全日本フォーミュラ3選手権
全日本ツーリングカー選手権
全日本GT選手権/SUPER GT
ル・マン24時間レース
NASCAR ウインストンカップ・シリーズ
N1耐久レース/スーパー耐久
出典
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