獄中結婚(ごくちゅうけっこん)は、勾留中あるいは刑の執行中などの理由で刑務所・拘置所などの獄中にいる人物の結婚のこと。
日本における獄中結婚
日本においては、無罪の推定の働く被疑者や被告人は言うに及ばず、受刑者や死刑囚であっても、日本国憲法第24条に立脚する婚姻に関する諸権利は保障されている。故に拘留中あるいは刑の執行中であっても、婚姻における形式的・実質的要件を満たせば婚姻することができる。法的には獄中結婚と一般的な婚姻の区別は存在していないが、こうした婚姻する両性のうち、少なくとも一方が獄中にある場合に「獄中結婚」の語が用いられることが多い。
日本における死刑囚(死刑確定者)の場合、死刑確定後は接見交通権(文通・面会など)が制限され、弁護士や家族以外とは事実上やり取りができなくなるため、支援者が死刑囚(または死刑判決に上訴している被告人)と結婚もしくは養子縁組をして、配偶者や親族として面会することがある。
実例
- 獄中結婚の実例
- 男YK(鹿児島雑貨商殺害事件の死刑囚) - 1957年(昭和32年)に死刑が確定[注 1]、1960年(昭和35年)8月31日に死刑執行(32歳没)。処刑後の1962年、獄中結婚相手である女性との書簡集『愛と死のかたみ』(集英社)が出版された。
- 男NK(別府銀行員殺害事件の死刑囚) - 1960年7月19日に死刑が確定[注 2]、1970年(昭和45年)6月3日に死刑執行(46歳没)。処刑後の1979年、『足音が近づく』(立風書房)が出版された。
- 大森勝久
- 藤本敏夫 - 学生運動関連で実刑判決が確定し、中野刑務所に服役していた1972年(昭和47年)に加藤登紀子(歌手)と獄中結婚した。
- 永山則夫(連続射殺事件の元死刑囚) - 事件当時19歳(少年死刑囚)。第一審で死刑判決を受け、控訴中に文通相手の女性と獄中結婚したが、後に離婚。1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行。
- 新実智光(オウム真理教事件の元死刑囚) - 2002年6月26日に第一審で死刑判決を言い渡されたが、その約半年後、顔見知りだった教団信者の女性と獄中結婚した。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同年7月6日に死刑執行[18]。
- 宅間守(附属池田小事件の元死刑囚) - 死刑確定後の2003年12月中旬、支援者の女性(当時30歳代)と獄中結婚し[19]、「吉岡」に改姓[20]。2004年9月14日に大阪拘置所で死刑執行。
- 木嶋佳苗(首都圏連続不審死事件の女性死刑囚) - 上告中に獄中結婚[22]ないし養子縁組し、上告審判決(2017年4月14日)時点では「D」姓に改姓していた[23]。その後、2020年9月27日時点では「I」姓になっている。
- 獄中養子縁組の実例
脚注
注釈
- ^ 男Y・Kは1927年(昭和2年)12月1日生まれ。1955年(昭和30年)6月28日、鹿児島県姶良郡溝辺村(現:霧島市)の民家で、雑貨・食料品商の夫婦(当時の年齢:夫58歳・妻52歳)を殺害し、同家の女中(当時16歳)に全治1か月の重傷を負わせた。窃盗、詐欺、強盗殺人・同未遂、銃砲刀剣類等所持取締令違反の罪に問われ、1956年(昭和31年)6月7日に鹿児島地方裁判所で死刑判決を言い渡された。その後、同年12月5日に福岡高等裁判所宮崎支部で控訴棄却の判決を、1957年9月12日に最高裁第一小法廷(入江俊郎裁判長)で上告棄却の判決[事件番号:昭和32年(あ)第67号]を言い渡されている。
- ^ 男N・Kは1923年(大正12年)12月10日生まれ。別の男(無期懲役)と共謀し、知人の銀行員男性X(当時34歳:西日本相互銀行行員)を殺害して金品を奪うことを計画した。1956年9月5日、大分県別府市の知人女性宅にXを騙して呼びつけると、共犯者がXの頭部を手斧で殴った。そして、Nが魚切包丁でXの脇腹を突き刺して殺害し、現金47,900円余や小切手3枚(額面158,299円)などを奪ったほか、Xの死体を柳行李に詰め、伝馬船で運んで海中に投棄した。強盗殺人、死体遺棄のほか、業務上横領の余罪にも問われ、1958年(昭和33年)9月1日に大分地方裁判所刑事部で死刑判決(事件番号不詳、共犯の男は無期懲役)を言い渡された。その後、1959年(昭和34年)4月30日には福岡高等裁判所第3刑事部で控訴棄却の判決[事件番号:昭和33年(う)第1088号、同1089号]を、1960年6月28日には最高裁第三小法廷で上告棄却の判決[事件番号:昭和34年(あ)第1059号]を言い渡された。同年7月19日付の同小法廷決定[事件番号:昭和35年(み)第25号]で、同小法廷に対する判決訂正申立が棄却されている[14]。
- ^ MTは2020年9月27日時点で、名古屋拘置所に収監されている。
- ^ 被告人MTへの上告審判決(1998年9月4日)を収録した集刑 (1998) によれば、MT(F姓に改姓済み)の本籍地は埼玉県鴻巣市逆川一丁目75番地1となっている[29]が、それに先立つ1993年9月9日には、今市4人殺傷事件の男性被告人(同じF姓かつ、本籍地も上告棄却当時のMと同じ)[30]が、最高裁第一小法廷(味村治裁判長)で上告棄却(第一審・控訴審の死刑判決を支持)の判決を受け[30][31]、死刑が確定している。なお、この男性死刑囚は2006年(平成18年)12月25日に東京拘置所で死刑を執行されている。
出典
参考文献
個別事件の参考文献
関連項目