本籍
本籍(ほんせき)
本籍の表示には、建物の名称や部屋番号は入らない。また、戸籍簿を管理している市区町村を本籍地という[1]。 以下、特記ない限り、現行戸籍制度における本籍について記述する。 概要明治政府は徴兵や徴税の管理のため、1872年(明治5年)に戸籍制度を開始した[2]。この時点では本籍地と居住地は同一であり、転居した場合は本籍地も変更する必要があった。明治中期になると都市化が進んだことで本籍地から離れた場所に居住する者が多くなり、本籍地と居住地が異なっていてもよいと改められた[2]。 本籍は現住所と無関係に国内ならどこに置いてもよく、変更して転籍もでき、1か所の土地に複数人の本籍が置かれることもある。 先祖代々の家や跡地の住所を本籍として、現住所から遠方でも変更しない場合[注釈 1]や、出生地や居住地と本籍が異なる、本籍に記載の土地や自治体を訪れたことがない、自身の本籍を把握していない、などの事例もある。 日本が領有権を主張しているところであれば、
なども本籍を置くことができるため、結婚を機に縁起を担いで著名な場所に本籍地を移す例もある[2]。事前に所在地の地名と正確な地番または住居表示の街区符号(〇番)を調べた上で、管轄の自治体に届け出る必要がある[3]。 一方で、
は本籍を置くことができない。 かつての戸籍関係書類は当該戸籍を管理する市町村役場や区役所など自治体の窓口のみで請求を受けており、本籍が現住所から遠隔地の場合は取得に手間を要したが、現在は郵送による請求も可能である[2]。ただし郵便物は船便のみという僻地では不便さもある[3]。 本籍の設定と表記本籍の表記は、地番のほか住居表示実施地域では街区符号でも可能である。
本籍は、その時点で実在する土地を設定しなければならない。市町村合併や住居表示、区画整理の実施による町(字)の分割併合などにより市町村名や町名(字名)が変わった場合は、戸籍に記載された本籍の表記は市区町村長の職権で自動的に変更される。一方、土地の分筆や合筆などで地番が変わった場合や、住居表示の変更などで街区符号が変わった場合は、戸籍に記載された本籍の地番・街区符号は届出をしない限り変更されない。このような場合に、婚姻・分籍などで新たに作成される戸籍に元の戸籍と同一の本籍を設定しようとしても、地番が現存しないため認められず、実在する地番への修正を求められることがある(係員の裁量で認められることもある)。 先例上、地番号の定めのない地については「無番地」と記載するか、市町村が便宜上附している番号を記載してよい。干拓地のように未だ行政区画の定めがない土地に本籍を定めることはできないとされる[4]。無番地でも住居表示が実施されている場合(皇居など)は、住居表示による表記が通例となる。 本籍の変更本籍を変更する場合は、基本的に転籍届により行う。この他、戸籍の新設や離脱に伴う際にも新たな本籍を設定する必要がある(婚姻・離婚・分籍など)。転籍・分籍の手続きは新本籍地(新しく本籍にする自治体)か旧本籍地(現在の本籍の自治体)、現住所の自治体で行える。入籍・就籍による場合は、新たに入る戸籍の本籍が本籍となる。 人権問題現行の戸籍法では、「本籍(地)」と「出身地」「住所」あるいは「家系」などは無関係である。結婚や就職などに際して本籍を調べ、在日韓国・朝鮮人やアイヌ、また被差別部落や沖縄県および奄美群島(旧琉球王国)出身者と思われるような場合は不当に扱ったりすることがたびたび起こっていた。こうした問題から、最近ではプライバシー・個人情報保護や人権全般の観点から(犯罪捜査などを除き)安易に本籍記載や戸籍謄抄本の提出を求めないようになっている[5][6]。 運転免許証でもICカード化に伴い、本籍が表示されなくなった[7][8](2010年(平成22年)6月交付分までは空白の本籍欄が設けられていたが、同年7月の交付分より本籍欄自体が削除された)。 旧戸籍制度における本籍旧戸籍制度における本籍は基本的に住所であるが、出稼ぎや進学などのため戸主・家族の一部(ときに全員)が本籍以外の場所に住居を移す場合があった。そのため、別に寄留手続の制度が設けられ、本籍以外の一定の場所に90日以上住所または居所を有する者については届出が義務付けられ、住所のある市町村では寄留簿に、本籍のある市町村では戸籍に添付した出寄留用紙にそれぞれ記載され、住所・居所を把握された。 徴兵制度では、本籍地を管轄する連隊区ごとに徴兵が行われていた。徴兵検査は寄留先で受けることも可能であったが、召集令状は本籍のある市町村の役所・役場から本人に伝達された。 著名な場所に本籍を置く人数報道などで明らかになっているもののみ掲載する。
脚注脚注
出典
関連項目 |