焼岳(やけだけ)は、飛騨山脈の長野県と岐阜県にまたがる標高2,455 mの活火山で、別名は硫黄岳[2]。常時観測火山[3]に指定され、日本百名山に選定されている[4]。
概要
焼岳は隣接する白谷山、アカンダナ山、割谷山と共に焼岳火山群を構成する。焼岳は飛騨山脈の中では最も活動の激しい活火山で、最新のマグマ噴火は約2000年前と推測される。焼岳の溶岩は、粘性が強い安山岩からデイサイト質の溶岩ドームおよび溶岩流とそれに伴う火山灰と火山岩の堆積物で構成される。有史後の噴火活動は水蒸気爆発が殆どあり水蒸気噴火に伴い泥流として土砂を流すことがある。最近では1968年[5]、1990年[6]、1998年[7]、2011年[8]、2014年などたびたび地震群発を観測している。
山域は1934年(昭和9年)12月4日に、中部山岳国立公園の特別保護区に指定された[9]。なお、火山群のうちアカンダナ山は2003年(平成15年)気象庁の活火山見直し作業において、焼岳とは別に単独で活火山に指定された。
山頂付近には火口湖の正賀池を挟んで真南に岩峰の南峰、真東に北峰、北側には正賀池の水面よりも深く抉れた爆裂火口がある。南峰には国土地理院の標高2,455.4mの二等三角点がおかれており、これが焼岳の最高点であるが南峰は岩が崩れやすく登攀禁止になっている。北峰には西側山腹に硫黄の噴出を伴う噴気口があり国土地理院の標高2,444.3 mの標柱がおかれている。北峰山頂にはかつて「焼岳北峰山頂 標高2,393m」の独標も置かれていた。この柱が示すのは、爆裂火口の北縁の小さな岩峰の標高点であり、北峰山頂からは北西に約200m離れている。
火山活動の歴史
明治以前の噴火については、信頼性の高い資料が不足しており活動史の解明は不十分である。1907年から1939年にかけてと、1962年から1963年にかけては水蒸気爆発や泥流の噴出を伴う活発な活動をしている。また、現在までに降下軽石やスコリアを噴出するような爆発的な噴火は行わなかったと考えられている[10]。
西暦以前
- 約3万年前頃から新期焼岳火山群の活動が開始。白谷山火山:約3万~約1万年前。白谷山火山の活動によって梓川が堰き止められ上高地を形成、岐阜県側から長野県側に流路が変更された[10]。
- 約2万年前頃から焼岳の活動が開始。黒谷付近に溶岩や火砕流を噴出した[11]。
- 約4500年前 - マグマ噴火。下堀沢溶岩を噴出。
- 約2300年前 - 現在確認される最後のマグマ噴火。焼岳円頂丘溶岩、中尾火砕流を噴出[12]。
20世紀以前
西暦以後[疑問点 – ノート]の活動は全て水蒸気噴火である。
- 630年前後 - Ykd-Tu1テフラ。
- 685年前後 - Ykd-Tu2テフラ。[12]
- 1270年前後 - Ykd-Tu3テフラ。
- 1440年前後 - Ykd-Tu4テフラ。
- 1460年前後 - Ykd-Tu5テフラ。
- 1570年前後 - Ykd-Tu6テフラ。爆発し飛騨側の村で被害が出た[13]。
- 1746年(延享3年) - Ykd-Tu7テフラ。
20世紀以後
- 1911年(明治44年) - 年間22回の小爆発を記録した[13]。関東地方でも降灰を観測。
- 1915年(大正4年)6月6日 - 大爆発を起こし泥流が梓川をせき止め堰止湖である大正池を形成した[11]。
- 1924年-1926年 水蒸気噴火、(泥流)
- 1962年(昭和37年)6月17日 - 水蒸気爆発を起こし松本市で降灰し、旧焼岳小屋を火山灰が押しつぶし4名の負傷者が出た[11][13][14]。
- 1995年(平成7年)2月11日14時25分 - 中部縦貫自動車道安房トンネルの長野県側トンネル工事に関わる取り付け道路の工事現場において、火山性ガスを含む水蒸気爆発が発した。直後に泥流が噴出し、工事に従事していた作業員ら4名が死亡した。
- 2017年(平成29年) 8月10日日未明 - 10日午前0時 - 午前2時までに空気の振動を伴う地震が6回観測され、同時間帯に山頂のおよそ400メートルの斜面から小規模な白い噴気を監視カメラにて確認、気象庁は噴火警戒レベル1を継続。
- 2018年(平成30年)11月23日 焼岳付近で有感地震が増える。
観測態勢
周辺には気象庁、防災科学技術研究所、国土交通省、京都大学防災研究所などの観測点が配置され、高感度地震計、空振計、傾斜計、監視カメラなどにより24時間体制で観測が行われている[15][16]。
登山
登山ルート
北峰と南峰(主峰)の2峰があり、北峰と南峰の間には火山湖がある。各方面からの登山道があり、穂高岳からの主稜線上に北アルプス縦走路がある[17][18]。
- 北アルプス縦走路 - 西穂高岳から西穂山荘、割谷山、新中尾峠、展望台、旧中尾峠を経て肩から北峰に至る北アルプス主稜線のルート。
- 中の湯ルート - 釜トンネル入口の中の湯バス停付近からリンドウ平を経て、山腹の東側を巻いて肩で旧中尾峠からのルートに合流する。
- 新中の湯ルート - 国道158号の中の湯温泉上部の登山口から南南東の尾根に沿い、標高2,060 m付近(下掘出合)で中の湯ルートに合流する。
- 上高地からのルート - 上高地から田代橋を経て峠沢の北側に沿い、焼岳小屋のある新中尾峠で西穂高岳からの主稜線に合流する。
- 中尾温泉からのルート - 岐阜県側の中尾温泉から新中尾峠または旧中尾峠に至るルート。北アルプス主稜線合流部の少し手前で、両峠に向かう分岐がある。
登山規制
- 1962年の噴火により、全面登山禁止となる。
- 1965年(昭和40年)に、山頂から半径1km以内への登山禁止と規制が緩められる。
- 1992年(平成3年)に北峰への立ち入りが許可された[19]。
- 2010年(平成22年)1月1日現在、北峰は登頂可能だが南峰は崩落等で危険なため立ち入り禁止となっている[14]。北峰周辺も有毒ガスが発生しており注意が必要[17]。南峰には時折登山する者もみられるが、火山ガスや滑落事故のリスクを考えると『非常に危険な行為』である。
- 2011年(平成23年)3月31日、気象庁は、焼岳、新潟焼山(新潟県)及び伊豆東部火山群(静岡県)に噴火警戒レベルを導入した。
周辺の山小屋
最寄りの山小屋は松本市が運営する焼岳小屋である[20]。1928年(昭和3年)に旧中尾峠に旧焼岳小屋が建設されたが、1962年(昭和37年)の噴火で倒壊した。1968年(昭和43年)秋に新中尾峠に現在の焼岳小屋が建設され、翌年から営業を開始した[19]。
1968年に建設された焼岳小屋は木造2階建て、延べ床面積80平方メートルで、売店やトイレ棟を併設している[20]。2020年度の「焼岳小屋避難確保計画」では2021年度の完成を目指して建て替えられる予定だったが、人員不足や資材高騰などから凍結された[20]。その後の松本市の整備案では、新型コロナウイルス感染拡大などによる宿泊客減少や建設費の高騰から宿泊営業の廃止が検討されており、噴火時の退避壕を2024年度に着工する計画で関係者と協議して判断するとしている[20]。
なお、上高地周辺には、ホテル、旅館などの宿泊施設がある。夏山診療所が、西穂山荘、上高地バスターミナルなどにある。
名称
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所在地
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焼岳からの 方角と距離(km)
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標高 (m)
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収容 人数
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キャンプ 指定地
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備考
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焼岳小屋
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新中尾峠 割谷山と焼岳との鞍部
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北東 1.3
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2,070
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25
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なし
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上高地や中尾温泉からの登山道の合流点
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西穂山荘
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西穂高岳南西 西穂高口への分岐点
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北東 4.1
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2,385
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300
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30張
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通年営業、1966年(昭和41年)開業 東邦大学医学部夏山診療所
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地理
周辺の山
飛騨山脈(北アルプス)主稜線の南部の山で、北側には旧中尾峠及び新中尾峠があり、南側には安房峠がある。
山容
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山名
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標高 (m)
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三角点等級 基準点名[21]
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焼岳からの 方角と距離(km)
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備考
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笠ヶ岳
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2,897.47
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二等 「笠ケ岳」
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北北西 10.4
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日本百名山
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奥穂高岳
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3,190
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北東 8.8
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日本百名山
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西穂高岳
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2,908.59
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三等 「前穂高」
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北北東 6.9
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西穂山荘
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北峰
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2,444.3
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北東 0.3
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登山可能
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焼岳
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2,455.37
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二等 「焼岳」
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0
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南峰・立入禁止 日本百名山
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アカンダナ山
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2,109.35
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三等 「赤棚」
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南南西 3.2
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焼岳火山群
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霞沢岳
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2,645.60
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二等 「霞沢岳」
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東 4.9
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日本二百名山
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乗鞍岳
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3,025.64
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一等 「乗鞍岳」
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南南西 13.7
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日本百名山
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源流の河川
山腹の東側には大正池があり、以下の源流となる河川は日本海へ流れる。
- 足洗谷 (高原川水系の蒲田川支流)
- 岩坪谷 (高原川の支流)
- 峠沢、上掘沢、中堀沢、下掘沢などの梓川支流[17]
焼岳の風景
脚注
- ^ a b “日本の主な山岳標高(岐阜県の山)”. 国土地理院. 2011年1月26日閲覧。
- ^ 加藤鉄之助:硫黄岳 (燒岳) 火山 『地學雜誌』 1913年 25巻 11号 p.755-768_1, doi:10.5026/jgeography.25.755
- ^ 活火山とは 気象庁
- ^ 深田久弥『日本百名山』朝日新聞社、1982年、220-223頁。ISBN 4-02-260871-4。
- ^ 尾池和夫、1968年11月8日焼岳に発生した群発地震の発震機構について 『京都大学防災研究所年報』 1-Mar-1970, 13巻, A, p.133-140
- ^ 和田博夫, 伊藤潔, 梅田康弘 ほか、焼岳火山付近の群発地震観測 『京都大学防災研究所年報』 1-Apr-1993, 36巻, B-1, p.291-303, hdl:2433/72435
- ^ 大見士朗、和田博夫、伊藤潔、1998年飛騨山脈群発地震後の深部低周波地震群発活動 『地震 第2輯』 2001年 54巻 3号 p.415-420, doi:10.4294/zisin1948.54.3_415
- ^ 大見士朗, 和田博夫, 濱田勇輝、「飛騨山脈焼岳火山周辺における東北地方太平洋沖地震後の群発地震活動」 『地震 第2輯』 2012年 65巻 1号 p.85-94, doi:10.4294/zisin.65.85
- ^ “中部山岳国立公園区域の概要”. 環境省. 2011年1月26日閲覧。
- ^ a b 及川輝樹:焼岳火山群の地質 : 火山発達史と噴火様式の特徴 『地質学雑誌』 2002年 108巻 10号 p.615-632, doi:10.5575/geosoc.108.10_615
- ^ a b c “焼岳”. 気象庁. 2011年1月26日閲覧。
- ^ a b 及川輝樹、奥野充、中村俊夫:北アルプス南部, 焼岳火山の最近約3000年間の噴火史 地質学雑誌 Vol.108 (2002) No.2 P88-102
- ^ a b c 『日本の山1000』山と溪谷社、1992年、431頁。ISBN 4-635-09025-6。
- ^ a b 『改訂新版 岐阜県の山』山と溪谷社、2010年、74-75頁。ISBN 978-4-635-02370-2。
- ^ 焼岳 観測点配置図 気象庁
- ^ 防災研究所地震予知研究センター・上宝観測所 京都大学防災研究所
- ^ a b c 『槍ヶ岳・穂高岳 上高地』昭文社〈山と高原地図 2011年版〉、2011年3月。ISBN 9784398757777。
- ^ 『ヤマケイアルペンガイド 上高地・槍・穂高』山と溪谷社、2000年、74-75頁。ISBN 4-635-01319-7。
- ^ a b 『北アルプス山小屋物語』東京新聞出版局、1996年、16-20頁。ISBN 978-4-8083-0374-7。
- ^ a b c d 北アルプスの焼岳小屋、宿泊の廃止検討 噴火時のシェルター計画 松本市の整備案 信濃毎日新聞、2022年10月27日閲覧。
- ^ “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2011年7月8日閲覧。
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
焼岳に関連するカテゴリがあります。
外部リンク