流通経済大学サッカー部
流通経済大学サッカー部(りゅうつうけいざいだいがくサッカーぶ、英語: Ryutsu Keizai University Football Club)は、茨城県龍ケ崎市にある流通経済大学のサッカー部である。正式名称は「流通経済大学体育局サッカー部」。大学名を略して「流経大サッカー部」とも呼ばれる。 本項では、同サッカー部の社会人登録チームである「流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎」及びサテライトチームである「流通経済大学FC」についても記す。 概要1965年に創設。大学リーグに所属しているチームを中心に、社会人リーグやインディペンデンス・リーグなどに参加するサテライトチームを複数有する。スポーツ健康科学部のある流通経済大学龍ヶ崎キャンパス内に拠点を置いて活動している(後述)。2016年の部員数は239名で、部員全員が4つある学生寮に住みながら生活を送っている。 歴史(大学サッカー部)創設当初は茨城県大学サッカーリーグに加盟。長年低迷を続けたが、1997年に茨城県リーグで初優勝し、翌年に元水戸ホーリーホック監督の中野雄二を招聘してチームの基礎作りが始まる。 1999年に関東大学リーグ2部に昇格、2000年は関東大学リーグ2部で8位の成績となり、その後の入替戦に敗れて茨城県大学リーグに降格した。 2001年に茨城県サッカー選手権大会(兼天皇杯茨城県予選)で初優勝し、第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場し、1回戦で阪南大学を破り、天皇杯初勝利を挙げた。 2002年、関東大学リーグ2部に昇格。関東大学選手権(春季の公式戦)で準優勝。総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでベスト8に入った。2003年、関東大学リーグ2部で初優勝。また、関東大学選手権で準優勝、総理大臣杯で3位に入賞した。 2004年11月、全日本大学サッカー連盟の推薦を得て、全国地域リーグ決勝大会に出場して準優勝。(後述) 2006年、関東大学サッカーリーグ戦1部で初優勝した。2007年、総理大臣杯で初優勝した。 2008年から2010年まで茨城県サッカー選手権大会で3年連続優勝した。 2013年および2014年と総理大臣杯を2年連続で優勝した。また、2014年には全日本大学サッカー選手権大会で初優勝し、創部史上初の大学2冠を達成した。 2015年、第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会1回戦でJ2・栃木SCにPK戦で勝利した。 2023年11月、流通経大サッカー部が新ユニフォームを披露[1]。 戦績(大学サッカー部)
主な成績(大学サッカー部)
流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎
流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎(りゅうつうけいざいだいがくドラゴンズりゅうがさき)は、流通経済大学サッカー部の社会人登録チーム。2001年設立。 結成当時の名称は「竜ヶ崎FC」だったが、2003年から「クラブ・ドラゴンズ」に名称を変更した[2]。同年は第10回全国クラブチームサッカー選手権大会に出場し準優勝を飾る。2008年より関東リーグ1部へ昇格するが、2010年1部7位で2部降格となった。2012年に再度1部へ昇格したため、JFLから関東1部に降格した流経大FCとの同門加盟となった。 2014年の茨城県サッカー選手権大会(兼天皇杯茨城県予選)の準決勝でトップチーム相手に勝利した。決勝は敗れたものの勢いに乗り、第50回全国社会人サッカー選手権大会で準優勝し、これにより出場権を得た第38回全国地域サッカーリーグ決勝大会でも1次ラウンドを突破し、決勝ラウンド3位の成績を残した。同大会でJFLに昇格できるのは上位2チームであったが、レノファ山口FCがJ3リーグに参入したことに伴い、12月10日のJFL理事会でJFL入会(飛び級昇格)が承認された。これを機に、2015年より現在の名称に変更した[3]。サッカー部総監督である中野雄二は、JFL参入となったドラゴンズについて、これまで通り「選手の育成の場」としての役割を担わせると同時に、流経大FCと同様に社会人登録というチーム事情を逆手に取り、Jリーガーを引退したサッカー部のOBで、所属学生の見本になれるような選手がいればコーチ兼任で招聘したい構想を明らかにしている。[4] 2016年のJFLではファーストステージで優勝、チャンピオンシップではHonda FCに2戦合計3-2で敗れた。JFLでの年間2位という成績は、学生リーグを除いた日本の第1種のサッカーリーグにおける学生チームの最高成績である。 2018年度の天皇杯では茨城県予選でトップチームと前回大会本選ベスト16の筑波大学にそれぞれ準決勝と決勝で勝利し初めて本選出場を果たしている。本選では1回戦の山形大学を相手に2-0で本選初勝利を挙げる。2回戦でFC東京トップチームと対戦し、0-2の状況から2-2と一時期追いつくも、終盤に2失点して敗退した。 2019年JFL最終戦、ホームで行われた松江シティFCとの対戦で敗れ最下位の16位となり、関東リーグ1部に降格。5年ぶりに流経大FCとの同門加盟となった。
戦績(ドラゴンズ)
主な成績(ドラゴンズ)
流通経済大学FC
流通経済大学フットボールクラブ(りゅうつうけいざいだいがくフットボールクラブ)は、流通経済大学サッカー部の社会人登録チーム。2005年設立。前述した流経大ドラゴンズ龍ケ崎とは異なり、元々はサッカー部そのものがJFLに参入するために創設されたサテライトチームである。 ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)では、1998年から大学チームを始めとする学生チームへの門戸開放を試験的に行うため、全日本大学サッカー連盟の推薦を受ければ、全国地域リーグ決勝大会(地域決勝)に参加でき、そこで勝ち抜けば参戦出来るという仕組みを作っていた。これは学生チームの出場機会確保と底辺拡大を狙いとしており、流経大サッカー部もまた利害一致により、所属選手の出場機会の確保のためにJFL参戦を表明する。そして、推薦により参加した2004年の第28回地域決勝で準優勝し、2005年よりJFL入会が承認された。JFL参入を果たした大学サッカー部としては国士舘大学サッカー部、静岡産業大学サッカー部に続く3チーム目となる。 参入決定後にJFL参戦チームとして流経大FCが創設されるが、2009年度までは選手はトップチーム(流経大サッカー部)とJFL参加チーム(流経大FC)に二重登録が可能であり、且つ、トップチームの控えの選手を中心に編成されていたため、サテライトチームというよりは「トップチーム内におけるサブチーム」といった具合だった。 2010年、JFLと社会人連盟の規定改定により、推薦による大学サッカー部の地決参加とJFL内での他リーグチームとの二重登録が不可能になり、これを機に名実ともにサッカー部のサテライトチームの一つ(すなわち、要件としてドラゴンズと同等)となる[5]。但し、当時は「サッカー部から"切り離して"クラブチーム化」という形式を取った。これは、当時の流通経済大学サッカー部の将来のビジョンとして、流通経済大学FCのJリーグ参入も視野に入れていたため。なお、形式上「クラブチーム化」することにより同大学サッカー部所属選手(大学リーグ所属のトップチームやドラゴンズからの"移籍"を含む)だけでなく、同大学以外の学生選手、プロ契約選手や社会人選手も事実上獲得可能になっているが、同チームにおいてサッカー部(ドラゴンズ含む)以外からの選手が所属したことは2015年現在まで皆無である[6][7]。 2010年のJFLで最下位(18位)に終わり、関東サッカーリーグに降格。2013年には、同年10月14日のJFL公式リリースにより、J3リーグ創設によるJFL新規参入チーム募集により再参入を表明していたことが明らかになっている[8]。
戦績(流経大FC)
ユニフォームスポンサー(流経大FC)※いずれも2005年から2010年までのJFL所属時代によるもの。 RKU-19、20、21、22大学サッカーの技術向上と出場機会の提供強化を目的とするインディペンデンス・リーグ(Iリーグ)にそれぞれの年代別チームを構成して参加している。 グラウンド流通経済大学龍ケ崎キャンパス(龍ケ崎市平畑120)内に設置。総人工芝、観客用スタンド、夜間照明を併設。「関東大学サッカートーナメント大会」、「茨城県社会人サッカーリーグ」などの公式戦にも使用される。また、2007年には人工芝2面、クラブハウスつきの流通経済大学フットボールフィールド(龍ケ崎市塗戸町地内)が完成した。なお、JFL開催時のホームスタジアムは、2005年から2007年5月まではひたちなか市のひたちなか市総合運動公園陸上競技場で、2007年5月27日のアルテ高崎戦以降は龍ケ崎市の龍ケ崎市陸上競技場たつのこフィールドを使用している。 JFLにおける競技場別の主催試合数
出身選手
脚注
外部リンク
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