アルテ高崎
アルテ高崎(アルテたかさき)は、かつて存在した日本の社会人サッカーチーム。学校法人堀越学園(2013年に破産)を運営母体とし、群馬県高崎市に本拠地を置いていた。 将来的なJリーグ入りを目標に2004年から日本フットボールリーグ(JFL)へ参加していたが、資金難から2011年に活動を終了した。 歴史群馬県の学校法人堀越学園(東京都の学校法人堀越学園とは無関係の別法人)が運営母体となり、将来的なJリーグ入りを目指して活動していた[4][5]。クラブ名の「アルテ(ARTE)」はスペイン語で芸術の意味である[5]。トップチームのほか、各年代のユースチーム、女子チームが存在し、同じく堀越学園の運営する創造学園大学サッカー部がサテライト的な位置付けにあった[5][6]。 母体チームは1996年に結成された「マッキーFC」。2000年に「群馬FCフォルトナ」に改称し、2001年は群馬県リーグ1部で優勝すると、関東社会人サッカー大会でも優勝し関東リーグに昇格する。2002年には「群馬FCホリコシ」に改称。2003年は関東リーグ1部で優勝。全国地域リーグ決勝大会では2位となり、FC京都BAMB1993との入れ替え戦(第5回日本フットボールリーグ#入れ替え戦を参照)を勝利して、同県のザスパ草津と共に日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格[5]。同年の天皇杯では4回戦で柏レイソルに1-0で勝利した[7]。 2005年1月にチーム名を「FCホリコシ」へ[8]、2006年には公募により「アルテ高崎」へと改称[5][9]。以後のJFLでは低迷を続けた。2007年には年間勝ち点7(1勝4分け29敗)、2008年には年間失点107と、当時のJFLにおける歴代ワースト記録を作り[10]、2010年には三洋電機洲本との入れ替え戦に勝利して辛うじてJFL残留を決めた[11]。FC東京で活躍したアマラオなど[12]、元Jリーガーを積極的に獲得した短期的強化が失敗に終わり、劣悪な練習環境、慢性的な資金難も相まって選手の入れ替わりは激しかった[5][13]。2005年にはJリーグ事務局へ日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟を申請したが、「(経営内容について)意見書を出しても全く改善されていない」としてJリーグ加盟は見送られた[14][15]。 2011年のシーズン終了後、堀越学園の経営悪化による資金難から翌年度の存続が困難となり、JFLへチームの移管を要望。移管先団体との交渉は不調に終わり、同年限りでチームは活動を終了、解散した[2][16]。トップチームは消滅し、母体である堀越学園も破産(2013年)したが、育成組織は2012年3月に創設された高崎エヴォリスタFCに承継された[4][17]。 チーム成績
JFL年度別成績
タイトルリーグ戦
カップ戦
歴代所属選手・監督→JFLでの登録がない選手については「Category:アルテ高崎の選手」を参照
背番号の変遷
永久欠番スタジアムJFLでの主催試合は年間15試合ほどを高崎市の浜川陸上競技場と前橋市の群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場で開催していた[34]。2005年のJリーグ加盟申請の際には群馬県立敷島公園県営陸上競技場をホームスタジアムに指定している[14]。2005年2月には高崎市のサッカー協会と連携し、高崎競馬場跡地を活用した新スタジアム建設へ向けた署名活動を行っていた[35][36]が、跡地には群馬コンベンションセンターが建設され、2020年に開業した。 年度別入場者数
脚注
外部リンク
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