松平武揚
松平 武揚(まつだいら たけおき)は、江戸時代後期の大名。石見国浜田藩第2代藩主。官位は従四位下・右近衛将監。越智松平家第6代当主。 略歴讃岐国高松藩主・松平頼恕の次男(三男とも)として高松にて誕生。母は側室・野宣勝成の娘。幼名は鋭之助。 先代藩主・松平斉厚が天保10年(1839年)に死去したため、その婿養子として跡を継ぐ。天保11年(1840年)12月に叙任するが、天保13年(1842年)7月28日、浜田で死去した。享年16。嗣子はなく、通常は末期養子が認められる年齢でもなかったが、御家門ということで配慮もあり、従兄にあたる武成(松平義建の三男)が跡を継いだ。法号は詣山大乗院。墓所は島根県浜田市殿町の妙智寺。 系譜 |