朝日村
概要明治の大合併で誕生した。 村名の由来は、朝日村が松本盆地の南西に位置し朝日が一番先に村に照ることや、朝日のように輝く村になることを願うなどの理由による。 地理朝日村は鎖川の扇状地上にあり、標高約700メートル前後である。北東部を除く村域の大部分は山林で占められていて、山林部は道路もほとんど無い。 気候
村内のエリア
人口
年齢5歳階級別人口
年齢5歳階級別人口
人口推移
歴史熊久保遺跡の存在により縄文時代より人が住んでいたことが分かる。古代より洗馬郷、のちの蓮華王院領洗馬荘に属していたが、安土桃山時代までは、周辺一帯は集落の無い荒地であった。この地域を重点的に開拓する事になったきっかけは松本の小笠原氏と甲斐の武田氏との争いが発端と言う説が強い。甲斐軍の簿記経理を担当していた上條氏・上條家から分家して武田姓名乗った武田氏が小笠原氏打倒の際、守護地として所領安堵されたのは現・朝日村一帯であり、その時甲斐に味方した三村氏と供に協力してこの地を切り開いた。その後の武田氏滅亡の折も、一族子孫はこの地に留まり長い歴史を刻んでいる。現代では核家族化により、家制度も脆弱になっている事も起因しこれらの一族も全国に散らばっては居るが、それでも今もって「三村」「上條」「武田」の姓が全国的に見ても集中して居り、「清沢」姓も含め、村の大半がこの4つの名字を名乗っている。相まって、朝日村周辺郡部(松本・塩尻・山形)などにも拡散している。江戸時代は当初松本藩に属していたが、後に石高の調整で高遠藩に属した。現在では新興住宅地建設による外部からの移住者も多く見られ、村の景観も大分様変わりして来ている。 沿革
行政ごみ処理は一部事務組合(塩尻・朝日衛生施設組合)を通じて隣接する塩尻市と共同で行っている。 所轄広域連合所轄警察署所轄消防署村政議会村議会長野県議会(松本市東筑摩郡選挙区)→詳細は「長野県議会」を参照
衆議院
文化
教育経済第1次産業大字西洗馬ではレタスなどの高原野菜の栽培が盛ん。 第2次産業IHIシバウラ(旧石川島芝浦機械)朝日工場が2006年に操業開始、カンロ朝日工場が2010年に操業開始。 第3次産業買い物が不便であるためそれを解消してほしいと村民から要望があり、商業施設の新設を目指していたが、朝日村、ファミリーマート、JA松本ハイランドの三者相互協力により、2018年8月1日にファミリーマート信州朝日村店(営業時間は6時から23時)が村役場に隣接し開店した。同店が村内唯一のコンビニエンスストアとなる[2][3]。 その他商用電源周波数変換設備を有する東京電力パワーグリッドの新信濃変電所[注釈 1]がある。 交通鉄道鉄道路線は通っていない。最寄り駅は後述の朝日村営バスを利用する場合はJR東日本篠ノ井線広丘駅だが、タクシーや自家用車等、その他の手段を利用できる場合はJR東日本中央本線および篠ノ井線塩尻駅となる。 バス
デマンドバス朝日村が路線バスとは別に運転する乗合タクシーのこと。くるりん号の愛称がある。 利用登録・予約制で主に村内を運行するが、塩尻市の旧原口郵便局で地域振興バス洗馬線に、松本市の道の駅今井で松本市西部地域コミュニティバス村井・山形線に、同じく松本市の下今井でぐるっとまつもと(運行:アルピコ交通)の空港・今井線に、山形村の車庫前バス停でぐるっとまつもと山形線(運行:アルピコ交通)と山形村福祉バスにそれぞれ接続できる。また、セミデマンドに限りザ・ビック山形店(イオンタウン山形村)との利用もできる。 道路松本方面、最寄の塩尻北インターチェンジからのアクセスは長野県道298号土合松本線、山形村方面からのアクセスは長野県道291号新田松本線(一部:日本アルプスサラダ街道)が便利。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事友好親善町村出身有名人脚注注釈
出典
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