日本海 (列車)
日本海(にほんかい)は、かつて大阪駅 - 青森駅間を東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線(日本海縦貫線)経由で運行されていた寝台特別急行列車である。 概要特急「日本海」は、大阪と青森を結ぶ急行列車として1947年7月に運転を開始し、1950年11月に「日本海」と名付けられた。その後1968年に特急列車化されている。 京阪神と東北地方を結ぶ列車としては、1924年7月31日の羽越本線全通時に、神戸 - 青森間で運転を開始した急行列車が最初である[1]。 利用客の減少や車両老朽化のため、2012年3月17日ダイヤ改正で定期運行が終了した[2][3][4]。定期運転最終列車の寝台券は発売開始後、下り(青森行き)は15秒、上り(大阪行き)は10秒で完売した[5]。 定期運行が終了して以降は臨時列車として、ゴールデンウィークなど多客期のみに運転される[6][7]とされていたが、2013年春季以降は運行の設定がされていない。JRからは存廃についての確定的な発表等はないほか、同年1月の時点ではJR東日本は存廃について検討中としていた[8]。しかし、その後も「日本海」は設定されておらず[9]、現時点では2013年1月6日が運行最終日となっている[10]。 但し、最後に定期列車・2012年度の臨時列車で使用されていた24系客車の青森車両センター分や「あおもり」・「東北夏祭り」で使用されていた583系電車が全車運行終了(事実上の廃車状態)となっていることから、臨時列車の運行に限っても、最終運行時と同じように実施するのは困難と言える。このことから、一部の書籍では「廃止」と明記されている[11]。 運行概況臨時列車化後のダイヤは下り列車が、大阪駅20:38発、青森駅12:42着となる。上り列車の青森駅発車時刻は、16:21発となるが、大阪駅の到着は定期列車時代と同じ10:27となる。このため、定期列車時代に比べて下り列車は1時間、上り列車は3時間ほど所要時間が長くなる。新青森駅への停車が臨時列車化と同時になくなった。また、一部区間で実施していた立席特急券や指定席特急券での乗車取り扱いも廃止された。 停車駅大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅 (- 木古内駅 - 函館駅[注釈 1]) 使用車両・編成機関車はJR西日本の敦賀地域鉄道部に所属するEF81形機関車が、客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車7両編成(うち1両は電源・荷物車)が使用されている。座席はすべて開放式2段式B寝台となる。EF81形は上り列車の敦賀駅で交換される[12]。 なお、EF81形は日本海の運転日前に予め2両が青森車両センターへ重連で回送され、1シーズンの運転すべてが終了すると同様に2両が重連で敦賀まで返却回送される[要出典]。 担当乗務員区所運転士は自社線内を担当していた。 定期列車時代の運行概況運転開始当初は1往復で米原駅を経由していたが、1975年3月に湖西線が開業したことによって同線を経由するようになり、同時に2往復体制となった。1988年3月には青函トンネルが開業したことにより、うち1往復が函館駅まで運転されるようになったが、2006年3月には函館駅乗り入れが廃止され、2往復とも大阪 - 青森間の運転に変更され、2008年3月に利用者の減少により1往復が廃止された。 比良おろしによる強風規制で湖西線の運転を見合わせている場合、米原駅経由で迂回運転が行われていた。また、冬季を中心に日本海沿岸を走る信越本線、羽越本線などの一部区間で強風や雪害の被害に遭いやすく、運休や大幅な遅延が発生することがあった[14]。 2012年3月16日に大阪駅を始発とする定期運転最終列車の青森行きは所要時間が約4時間長くなっていた(8:45着 → 12:42着)。
停車駅大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 敦賀駅 - 福井駅 - 加賀温泉駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 魚津駅 - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 新津駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - 羽後本荘駅 - 秋田駅 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 大鰐温泉駅 - 弘前駅 - 青森駅[15] 2008年3月14日までは、加賀温泉駅・魚津駅・糸魚川駅・大鰐温泉駅は1・4号のみ停車、新津駅は1号 - 3号が、また、上記の停車駅のほか、2・3号は村上駅・あつみ温泉駅・象潟駅・八郎潟駅にも停車していた[要出典]。 2010年12月4日から定期運転終了まで、東北新幹線八戸 - 新青森間開業に伴い、新青森駅にも停車するようになった[16]。 函館乗り入れ時(1988年~2006年)は木古内駅・函館駅にも停車。 使用車両・編成
機関車機関車は、全区間でJR西日本の敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室に所属するEF81形電気機関車が牽引する[12]。「トワイライトエクスプレス」色の機関車が運用される場合もある。かつては、秋田 - 青森間でED75形が使用されたことがあるほか、羽越本線・奥羽本線の電化完成前、湖西線開業前にはDD51形・EF70形・EF65形・EF58形などが使用されたことがある。 客車客車はJR東日本の青森車両センターに所属する24系客車が使用されていた。2008年3月14日までは2往復体制で運行しており、1・4号がJR西日本の宮原総合運転所に所属する24系客車で、2・3号が青森車両センター所属車両で現行と同じ組成編成で運転されていた。2・3号が廃止されたが1・4号で走っていた西日本所属の客車での運行を取り止めて東日本所属の客車を充当させ廃止になるまで運行した。運用状況によっては、オハネ24形・オハネフ24形はオハネ25形・オハネフ25形を使用する場合もあった。 特急化された1968年10月に青森運転所(現:青森車両センター)所属の20系客車を導入したが、湖西線経由になった1975年3月には14系寝台客車に置き換えられた一方で食堂車の連結は廃止された。ここで「日本海」に使用された14系は、長崎県佐世保市の早岐客貨車区所属車が「あかつき」として大阪駅に発着する編成の間合い運用として充当されており、長崎県の客貨車区に所属する車両の定期営業列車が青森駅まで運用される稀有な運転体制となった。しかし「あかつき」と「日本海」のどちらかが遅延・運休するともう一方にも影響することがあった。1978年10月から当該列車は青森運転所の24系客車に変更され、早岐客貨車区所属の14系客車による広域運用は終了した。また、1975年に季節列車として設定されていた1往復(宮原客車区の14系座席車 → 24系25形客車を使用)も定期列車に格上げされた。 1988年の青函トンネル開業により1往復が函館駅までの運転になった際、当列車のアップグレードを目的として食堂車を連結する準備がされ、3両(金沢運転所のサシ489形2両、国鉄清算事業団のサシ481形1両)が用意されていたが、諸般の事情で当面の間は連結しないとされた[18]。食堂車が入る予定の5号車は欠車扱いとなった。前述の3両を種車として鷹取工場でスシ24形に改造、塗色も青20号となって宮原に配属された。しかし用意された食堂車スシ24形は再改造の上「トワイライトエクスプレス」に使用され、復活は実現しなかった。 2010年12月4日の東北新幹線の全線開業に伴い、新青森駅に停車するようになり、繁忙期の編成は12両から10両になった。そのため、オロネ24形が10号車となっていた。 なお、以下の区間ではB寝台を普通車座席として利用できた(寝台券参照)。
2008年3月14日までは、B寝台は、1号の東能代 → 鷹ノ巣間は2号車、鷹ノ巣 → 青森間は2 - 4号車、3号の鶴岡 → 秋田間は3・4号車、秋田 → 青森間は3 - 6号車が立席特急券で、2・4号の青森 → 秋田間は指定席特急券で6号車を座席として利用できた。
利用状況陸上公共交通機関において、京阪神と東北地方を結ぶ夜行バス路線の北限が仙台市(フォレスト号)と山形市(アルカディア号、2022年11月1日運行終了)であったため、公共交通機関を利用した夜間移動では当列車が山形県庄内地方・秋田県・青森県を結ぶ唯一の手段となっていた。団体で修学旅行・甲子園への応援や、就職・受験など学生の利用も多かった[19][20]。 定期列車時代後期の利用状況は、ほかの夜行列車・寝台列車と同様に利用客が航空機や高速バスへの移行が進んだことや、宿泊料金を低減したホテルが増えたことも影響し、JR西日本によると乗客数はJR発足時の1987年(約530人)と比較して2010年代では約4分の1に減少しており、2010年度の平均乗車人数(1本当たり)は約130人で[21][22]、平均乗車率は5割程度だった[3][19]。さらに修学旅行の団体の利用も、少子化による生徒数の減少に加えて、航空機利用に切り替えたり、沖縄や海外を行き先に選ぶ学校が増えるなど多様化したこともあって、晩年は減少傾向にあった。 臨時列車あおもり1988年より20系客車が使用された臨時列車として「日本海」81・82号として設定され、定期列車と同じく大阪 - 青森間で運転されていた。のちに急行列車化されて「あおもり」に改称された。1994年からは583系電車に変更して運転されていたが、2000年以降は夏期のみの運転となり、2008年度を最後に設定がなくなった[23]。 東北夏祭り号青森ねぶた祭りの開催に合わせて運転されていた急行列車。583系電車を使用し、神戸(のちに大阪)発青森行きのみ運転されていた[23][24]。2007年度を最後に運転されていない。 沿革日本海縦貫線全通とその後の展開
戦後急行「日本海」としての運転再開
「日本海」ブルートレイン化以降
青函トンネル開業以降
ブルートレイン日本海(列車ホテル)2013年(平成25年)11月14日に、2014年夏に開業予定の列車ホテル用途として、JR東日本が当列車に使用していた寝台車3両かつて「日本海」や「あけぼの」で使用されていたA寝台1両(オロネ24 5)とB寝台2両(オハネ25 151+オハネフ25 121)[69] を青森車両センターから輸送・購入し[70]、特定非営利活動法人 (NPO) から岩手県岩泉町に寄贈することが報道される[71][72]。 2014年(平成26年)7月20日 - 7月27日にかけて、ふれあいらんど岩泉のブルートレイン日本海のプレオープニングイベントとして、盛岡駅ビルFezan1階の出会いの広場において「鉄道画家・鈴木周作とブルートレイン日本海展」および、列車内部一般公開とともに「コミックいわて展」が開催された[73]。 同年7月28日にブルートレイン日本海オープニングセレモニー開催。オープンとなる[74]。そのオープンは鉄道友の会機関紙「RAILFAN 10月号」(9月30日発行)と、『池口英司「岩手「ふれあいらんど岩泉」24系寝台車を使用した宿泊施設「ブルートレイン日本海」誕生」『鉄道ファン』2014年10月号、交友社、2014年、142-143頁。』の8月21日発売号にブルートレイン日本海の記事で紹介された。また、2015年3月現在でも維持のために応援募金を募っている[75]。 また、2016年9月以降は台風10号の被災により、ふれあいらんど岩泉が復興のボランティア拠点になっている関係もあり[76]、施設全体が当面は休業となっていたが、2017年3月14日に営業を再開した[77]。ただし2024年度は施設全面リニューアルのため休園[78]。 脚注出典
注釈
参考文献
外部リンク
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