山形新幹線
山形新幹線(やまがたしんかんせん)は、東京都の東京駅から[1][2]、福島県の福島駅、山形県の山形駅を経て同県の新庄駅まで東北新幹線及び奥羽本線を直通して走行する、東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線車両を使用した列車の通称およびその列車が走行する同区間の通称。ラインカラーはオレンジ(■)[注 3]。 東京駅 - 福島駅間は東北新幹線であるとして、狭義には在来線区間となる奥羽本線の区間である福島駅 - 山形駅 - 新庄駅間を山形新幹線とする二次資料も存在する[4]。以下、特記なき場合は直通運転系統としての山形新幹線について記述する。 概要1992年、全国新幹線鉄道整備法に基づかない新在直通方式のミニ新幹線として開業した。奥羽本線の福島駅 - 新庄駅間の軌間(線路幅)を標準軌の1435 mmに拡げ、特急「つばさ」が東北新幹線と直通運転を行っている。同法では「主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」を新幹線と定義しており、福島駅 - 新庄駅間は法律上は在来線であり、最高速度も設備的な制約もあって130 km/hとなっている。同区間を走る普通列車には山形線の愛称が付いている。 「つばさ」には1999年から投入されたE3系または2024年から投入されたE8系車両が用いられており、東北新幹線を走行する東京駅 - 福島駅間は基本的にE2系またはE5系の「やまびこ」と連結し、E8系とE5系では東北新幹線内を最高速度300 km/hで、E3系を使う列車は275 km/hで運行している。 歴史1981年1月に第47回国民体育大会(べにばな国体)が山形県で1992年に開かれることが内定すると、山形県はそれに併せ交通体系の整備を進めるべく、同年6月、「山形県総合的交通体系整備問題調査会」を設置した[5]。相前後して国鉄運転局長に就いた山之内秀一郎(のちJR東日本副社長、宇宙航空研究開発機構初代理事長)は、フランスの高速鉄道であるTGVが終着駅から在来線に乗り入れ地方都市に直通していることに着目し、スキーの名所として知られる蔵王のある山形に新幹線を乗り入れさせたいとの一念からミニ新幹線構想を思い立った[6][7]。山之内は間を置かず国鉄内部で構想を披歴するが、誰もが本気に受け止めてくれなかった。そのような中、土木部門の先輩の一人が興味を示し、山形県と秋田県に新幹線を乗り入れる具体的な路線計画としてまとめてくれた。折しも、山之内が山形県幹部や同県選出国会議員と懇談する機会があったため、この構想を紹介してみると、あまりにも意外な計画に思われたのか最初はほとんど反応がなかった。しかし、1年ほど経過したのちこの計画が動き出し[8]、同調査会がさらに調査し、1983年に「県都(山形)新幹線の導入構想」を提言した。 提言を受け、山形県は新幹線直行特急(ミニ新幹線)こそ現実的で実現可能なものとして運輸省や国鉄などに強力に要望を開始し、1986年10月、国鉄のミニ新幹線検討プロジェクトチームは、対象線区として福島駅 - 山形駅間を選定した。国鉄は当初、山形駅への乗り入れ方法として、福島県の北隣である宮城県の仙台駅で分岐して仙山線を経由するルートを考えていた[9]が、山形県内から県土の中心部を走ることで在来線駅をはじめ地域活性化に好影響を与えたいとの要望が寄せられていたことを踏まえ[新聞 1]、福島駅で東北新幹線から分岐し、米沢駅を経由して山形駅に向かう奥羽本線の改良工事を進める方針を決めた[9]。 分割民営化によって国鉄がJR東日本に衣替えした後の1987年7月には、運輸省、学識経験者、JR東日本などによって「新幹線・在来線直通運転調査委員会」が組織され、ミニ新幹線の誘致合戦が激化していた中、対象線区として福島駅 - 山形駅間がモデル線区として正式に決定された[10]。同年、運輸省はミニ新幹線を含む在来線活性化事業を政府予算案概算要求に盛り込み、同年12月の大蔵省原案には入らなかったが、年末の復活折衝で1988年度予算案に国の補助金1億7000万円が盛り込まれることが決定した。この際には、山形選出で運輸政務次官や自民党運輸部会長を歴任した当時同党総務局長であった鹿野道彦(のち離党)が、ミニ新幹線構想を「新幹線事業」ではなく「在来線活性化事業」と位置付け、運輸省や大蔵省を説いて回った[新聞 2][新聞 3]。 国の補助金決定を受け、1988年4月に山形新幹線建設事業の推進母体として資本金90億円で山形ジェイアール直行特急保有が設立され、同年8月には山形駅前で起工式が挙行された。山形新幹線建設工事は大規模な全面改軌工事であり、しかも一部バス代行輸送のところもあったが、福島駅 - 山形駅間を営業しながらの作業という難工事であった。しかし、既設の設備を最大限利用することによって、工事費の削減と工事期間の短縮がはかられたというメリットは大きかった[11]。新幹線建設工事が進捗すると、停車駅の立地する地方自治体も新幹線開通に併せ駅舎を改築あるいは新築しようとの機運が高まり、停車駅の全てが新造されたほか、駅周辺の整備も進められた[12]。 べにばな国体夏季大会を前にした1992年7月1日、約4年の工期を経て、山形新幹線は開業した。事業費は630億円で、内訳は、地上357億円、車両273億円であった[9]。 整備効果山形新幹線の開業により東京 - 山形間は最速3時間09分から最速2時間27分に大きく短縮[13]、平均所要時間を2時間42分と3時間を切った。この所要時間短縮効果42分のうち直通化による直接影響である福島駅での乗り継ぎ解消は10分程度に過ぎず、残る32分は奥羽本線内での最高速度95km/hから130km/hへの引き上げによるものだとしている[14]。 また在来線特急「つばさ」は定期列車で7往復しか運転がなかったが、山形新幹線「つばさ」に置き換わるにあたり14往復に倍増している。また在来線特急「つばさ」時代には臨時昼行列車はほとんど設定してこなかったが、山形新幹線「つばさ」登場以来臨時列車の運転により多客期はおよそ2倍の運転本数を確保するようになり臨時増発を図るようになった。 山形ジェイアール直行特急保有
山形ジェイアール直行特急保有(やまがたジェイアールちょっこうとっきゅうほゆう)株式会社は、かつて存在した、山形新幹線の鉄道施設ならびに車両を所有し、東日本旅客鉄道(JR東日本)に貸し付けを行うための事業を営んでいた第三セクター企業である。インフラストラクチャーを保有していたが鉄道事業法における第三種鉄道事業者ではなかった。 1988年4月、山形新幹線建設事業の推進母体として、奥羽本線福島駅 - 山形駅間の鉄道施設の改良工事を実施すると共に、改良工事完成後の鉄道施設や直通運転用車両(400系電車)を所有し、JR東日本に貸し付けることを目的に設立[15]。設立時の資本金は90億円で主たる株主として山形県、JR東日本、山形市、東日本キヨスク、富士銀行、第一勧業銀行、山形銀行、東北電力が名を連ねた[16]。 1995年には、車両増設に伴い山形県が10億円、山形市が2億円を追加出資して、資本金が102億円になった[17]。 なお、1999年に開業した山形駅 - 新庄駅間については、JR東日本が事業主体となって整備が行われたため、施設は当初よりJR東日本の所有であり、当社は車両の提供のみの関係にあった。 山形新幹線「つばさ」号で使用された400系電車の増結車を除く6両×12本(L1 - 12編成、計84両)を所有していた。2008年12月以降順次、E3系2000番台電車の投入により、400系電車は代替廃車された。なお、E3系2000番台電車はJR東日本の所有である。 2010年に400系電車の運用を終了し、以後は鉄道施設の貸付事業のみとなったが、2018年3月に満期を迎えることから、保有する施設をJR東日本に譲渡した上で、同月末で会社を解散[17]、同年9月21日に清算結了により法人格が消滅した。 新庄駅への延伸1993年7月、山形県は山形新幹線の新庄駅への延伸を翌年度における重要事業として推し進めることを決定し、1994年1月、県、沿線市町村、民間団体の結束によって「山形新幹線新庄延伸推進会議」が発足した。加えて同年9月には県からの呼びかけで、県、国、JR東日本、学識経験者による「山形県在来線高速化委員会」が設立された[18]。しかしJR東日本は、山形駅 - 新庄駅間(約61キロメートル)の特急利用者が1日往復2千人という赤字路線であったため延伸に慎重な姿勢であった[新聞 4]。だが、1997年2月、県の外郭団体である財団法人山形県観光開発公社(現:公益社団法人山形県観光物産協会)が建設費など351億円をJR東日本に無利子で貸し付け、同社は返済を10年間据え置いた後、10年で償還するという異例のスキーム(計画)の提示によって開業が決定した[新聞 4]。 同年7月31日には、県から地域振興プロジェクト名目で協調融資を打診された山形銀行、荘内銀行、殖産銀行、山形しあわせ銀行および山形県信用農業協同組合連合会、新庄信用金庫がシンジケート団を組成し、延伸事業資金の6割に相当する208億5千万円を用立て、これに県の補助金を併せ建設費など351億円を捻出している。資金調達は地元銀行4行(当時)の競争と低金利を背景に県が有利に進めた[新聞 5]。 1997年5月1日から延伸工事は着手され[19]、標準軌化工事と共にJR東日本と沿線自治体は山形駅 - 新庄駅間に79か所あった踏切を跨線橋等の設置によって約半分の41か所まで減らしたほか、駅の改築、移設も進めた[18]。加えて各駅にはパーク&ライド用の無料駐車場を全体計画で約3000台分を設置した[20]。 1999年12月4日、2年半の工期を経て山形新幹線は新庄駅まで延伸開業した。これにより東京 - 新庄間は最速3時間32分から3時間05分に、平均3時間54分から3時間25分にそれぞれ短縮している[21]。なおこちらも直通化に伴う所要時間短縮は8分で、残り19分は山形 - 新庄間ノンストップ運転による4分短縮と奥羽本線内最高速度を95km/hから130km/hに引き上げたことによる所要時間15分短縮となっている[14]。 また新幹線列車の停車駅数は山形県内に10か所となり、都道府県別で最多となった[注 4]。 年表→東京駅 - 福島駅間の東北新幹線区間は「東北新幹線#沿革」を参照
運行形態朝と夜の一部列車を除き、東北新幹線内(東京駅 - 福島駅間)は「やまびこ」の仙台駅発着列車と併結して走る。なお、山形新幹線の運転開始当初、併結車両は2001年9月20日まで200系だったが、1999年4月29日からE4系(Maxやまびこ)となり、2012年3月17日から一部の列車が、同年9月29日以降は全列車がE2系(やまびこ)になっている。 東北新幹線内の停車駅は、基本的に併結する「やまびこ」に合わせ東京駅・上野駅・大宮駅・宇都宮駅・郡山駅・福島駅であるが、上野駅・宇都宮駅・郡山駅は通過する列車が一部ある。詳細は「つばさ (列車)#停車駅」を参照。 車体色は銀色に緑のラインである。開業当時はそれまで白やクリーム色といったイメージがあった新幹線の中で際立って目立っており、車体色も銀色で、窓周りは黒と緑の細帯に塗られていた。2014年春以降、車体色は白をベースに橙の細帯と屋根は紫に塗られる塗装に順次変更されている。 なお、福島駅での連結・切り離しは、東北新幹線と奥羽本線を結ぶ連絡線とホームが、現在下り側に1本しか建設されていないため、上り・下りともに14番線(下り用のホーム)でのみ行う。そのため、上りの連結相手の「やまびこ」も同駅の北で一旦下り本線を渡って14番線ホームまで入線しなければならない。連結したあと、再び下り本線を渡って上り線に合流する。そのため、ダイヤ改正時は必ず緻密な計算が求められる。 新庄駅延伸後、東京駅発新庄駅行き「つばさ」において、始発駅の東京駅から山形駅までは、ホームや車体側面の行き先表記が「山形・新庄」行きと案内されており、仙台駅行き「やまびこ」との併結時のホーム列車案内は「仙台・山形・新庄」と、行き先が3つあるかのような表記がなされている。 山形新幹線の線路では地域輸送のための普通列車も走っており、地域輸送については「山形線」と呼ばれる。なお、この区間を走る普通列車専用車両は、新幹線の軌道幅である標準軌に合わせ、JR線では初めて標準軌用として製造され投入された。なお、山形新幹線は関根駅 - 羽前中山駅間(北赤湯信号場付近を除く)と山形駅 - 新庄駅間のほとんどが単線となっており、新幹線が普通列車を待ち合わせるという珍しい風景も見られる(同じミニ新幹線方式で建設された秋田新幹線も同様で、どちらも速達性の障害となっている)。 なお、新幹線は騒音への配慮や保守の関係から午前0時から午前6時までは定期列車は運転されないが、山形新幹線は前述の通り在来線扱いであるため、上り定期の始発列車「つばさ122号」は、新庄駅を5時40分に発車する(2019年3月16日ダイヤ改正時点)[注 6]。
車両現用車両編成記号の「S」は、系列に関係なく非営業用車両全般に用いられている。 営業車両山形新幹線「つばさ」で使用されている車両は次のとおり。
事業用車両
その他の車両過去の車両営業車両400系とE3系は運用上の区別はされておらず、共通の運用となっていた。2007年7月の定例社長会見において、2008年12月より新型車両(2008年10月にE3系2000番台に決定。7両編成12本の計84両)を導入の上、2009年夏までに全ての400系を置き換えることが発表された[報道 15]。 2010年4月18日にはさよなら運転が行われ、400系の営業運転が終了した。 E3系1000番台L51・L52編成は、新庄延伸時に導入された編成であった。2014年に0番台から改造された1000番台L54・L55編成への置き換えにより廃車となった。
事業用車両
その他の車両
営業車内設備全列車に全車指定の普通車(12 - 17号車)とグリーン車(11号車)を連結する。
なお、JR東日本は2007年3月のダイヤ改正以降、東北・上越・山形・秋田の各新幹線[注 7]および在来線特急列車の全てを禁煙車とし、喫煙ルームなども設けていないため車内での喫煙はできない。 運賃と特急料金山形新幹線の運賃は通算の営業キロに基づいて算出する。東京 - 福島間の営業キロは対応する在来線である東北本線のものと同一になっている(同区間の営業キロは272.8キロメートル、実キロは255.1キロメートル)。 特急料金は乗車区間の東北新幹線の新幹線特急料金と奥羽本線の在来線特急料金[注 8]を合算する。ただし東京 - 新庄間の相互駅間で改札を出ない場合に限り、普通車指定席利用時(通常期)はそれぞれの特急料金の合計額から530円を割り引く。 特急料金(指定席)は、閑散期は一律200円引き、繁忙期は一律200円増し、最繁忙期は一律400円増し。 山形新幹線「つばさ号」には自由席の連結はないが、奥羽本線内では特定特急券で普通車指定席の空席に着席することができる。また新幹線定期券FREX・FREXパルでは郡山 - 福島間でも山形新幹線「つばさ号」の普通車指定席の空席に着席することができる。このほか満席時には特急料金の530円引きで全区間を対象に立席特急券を発売することがある。 グリーン料金は通算の営業キロに基づいて算出する。 東北新幹線内の特急料金は東北新幹線#運賃と特急料金を参照。奥羽本線内の特急料金は以下の通り[報道 16]。
駅一覧
需要交通需要について国土交通省が2000年に調査した都道府県間鉄道旅客流動データによると、山形県を目的地とする鉄道旅客のうち、東北新幹線沿線(東京都・埼玉県・栃木県・福島県)からの年間旅客数は99.9万人であった。これらの各出発地のうち最も旅客数が多かったのは東京都の66.5万人、次いで埼玉県の18.3万人、福島県の11.4万人である。一方、山形新幹線沿線(山形県)を出発地として東北新幹線沿線(福島以南)を目的地とする年間旅客数は113.3万人であった。これらの各目的地のうち最も旅客数が多かったのは東京都の75.4万人、次いで埼玉県の20.3万人、福島県の14.7万人である。 沿線各都県間の旅客流動状況(2000年)は以下の通り。
(単位:千人/年) また、秋田県内陸南部(湯沢市や横手市など)からの需要も多い。同県内陸南部から東京方面へは大曲駅で秋田新幹線「こまち」を利用したほうが所要時間が短く本数も多いが、遠回りの経路[注 11]であるため、山形新幹線新庄駅経由の方が数千円安く東京へ行けること、新庄駅で奥羽本線から山形新幹線へ平面での乗り換えができること[注 12]、新庄駅の始発列車が6時以前[注 13]で、山形新幹線経由のほうが早く東京に着くことなどがある。そのため、夏季や年末年始などの多客期には同県側から山形新幹線に連絡する奥羽本線列車は都心の夕ラッシュ時並みに混雑する。需要の多さに対応するため、多客期には臨時列車の「つばさリレー号」が同県側から運行される。さらに国道13号に面している新庄駅東口には1,500台の無料駐車場があるため、同県南部からのパークアンドライド利用者もいる。 問題点山形新幹線はミニ新幹線方式を採用したため、狭軌(軌間 1,067 mm)だった奥羽本線の山形新幹線走行区間(福島駅 - 新庄駅間)を標準軌(同1,435mm)に改軌する必要があった。しかし、それによって山形駅以南と在来線の仙山線や左沢線、新庄駅以北の各線が直通できなくなる不都合が生じた。なお、山形駅 - 羽前千歳駅間は狭軌・標準軌の単線並列のため、仙山線と左沢線は山形駅まで直通可能である。 開業当初は、踏切や信号操作のトラブル、東北新幹線との連結ミスなどが相次ぎ[新聞 13]、踏切事故が発生した時には「新幹線踏切事故」と報道された。「新幹線」とはいえ、奥羽本線を改軌・改築した区間には130km/hの速度規制があるが、普通の新幹線並みの高速度で踏切事故を起こしたと誤解を招くものであった。開業後、各踏切は他の在来線にはないゲート状の大掛かりなものに改良されている。 前述の通り、「つばさ」は福島駅で「やまびこ」と増解結を行うが、東北新幹線と奥羽本線とのアプローチ線が福島駅の下り副本線(待避線)から単線で分岐するという構造のため、福島駅付近が単線になっていると共に、「つばさ」と併結する上り「やまびこ」は福島駅構内で下り本線と二度平面交差する必要があることから、特に降雪で遅れが生じる冬期間は福島駅付近での(山形新幹線及び東北新幹線の)輸送障害が全線に波及するという問題が生じている[新聞 14]。このため、山形方面から福島駅新幹線上りホームに接続する新たなアプローチ線の建設が検討され、2020年3月に工事計画の詳細が発表されている(詳細後述)。 なお、山形空港の年間利用客数は1991年に約70万人でピーク[注 14]となったが、ドル箱路線の東京便と競合する山形新幹線の開通で1992年から減少に転じ、2009年にはピーク時の4分の1以下の約17万人[32]にまで落ち込んでいる。そのため、空路維持を目的とした助成が行われている[新聞 15]。 輸送改善計画JR東日本は2020年(令和2年)3月3日に山形新幹線の輸送改善計画を発表した[報道 8]。大きく2つの項目から成る。
このほか、福島駅 - 米沢駅間の新トンネル計画がある。トンネルが開通すれば同区間がフル規格に変更され所要時間が10分以上短縮されるとされている。なお建設時期は現時点では未定である(「#新トンネル整備構想」の節を参照)。 機能強化構想酒田延伸2000年の第42回衆議院議員総選挙で庄内地方を地盤とする加藤紘一が「庄内にミニ新幹線を通す」ことを公約に掲げ、さらに当時の高橋和雄山形県知事が庄内延伸構想を明らかにした[新聞 17]。2002年2月には酒田商工会議所会頭であった新田嘉一らが中心となり庄内延伸促進期成同盟会が結成され[新聞 18]、県やJR東日本に対し積極的な陳情を開始し、同年4月の定例会見で高橋知事が庄内延伸を「本腰を入れ研究する時期が来ている」と述べ、県が設置した山形新幹線機能強化検討委員会などにおいて検討していく方針を示した[新聞 19]。 県は2003年度から3カ年計画で山形新幹線の庄内延伸と板谷峠のトンネル化の検討を始め、2005年2月には県は機能強化検討委員会に庄内延伸の終着駅は酒田駅だけと報告し、新庄駅 - 酒田駅間55.2キロメートルにミニ新幹線を走らせると、酒田駅 - 東京駅間は18分短縮され3時間43分。費用は350億円。年間の経済波及効果は10億4千万円。福島駅 - 米沢駅間の板谷峠にトンネルを抜くと、840億円かかり、16分の短縮ができると試算した[新聞 20]。県では、置賜地方から庄内地方までを1本の鉄路で直結することによる県土軸の構築が図れるとして推進する意見が強かった。しかし、2005年1月の山形県知事選で高橋を破り初当選した斎藤弘は酒田延伸について「費用対効果から判断する」としていたため、酒田ではこの時点でほとんどの人が庄内延伸は棚上げとなったと受け止めていた[新聞 20]。 2006年3月6日、県は山形新幹線の庄内(酒田)延伸と羽越本線高速化についての調査結果を山形県議会に報告し、時間短縮、費用対効果の観点から新幹線延伸より、羽越線高速化が有効と結論づけた[新聞 21]。これによって県は事実上庄内延伸を断念した[新聞 22]。 その後、2012年10月の酒田市長選に高橋県政下において県総務部長などを歴任した本間正巳が、新幹線庄内延伸を公約として出馬し、初当選した。本間は2013年3月に国立社会保障・人口問題研究所が地域別将来推計人口を公表した際に庄内の人口が大幅に減るとの指標を示すと、以前にも増して事あるごとに庄内に新幹線を延伸する必要があると唱え始めた。他方、庄内地方のもう一つの拠点都市である鶴岡市は、羽越本線経由の上越新幹線延伸(羽越新幹線)または軌間可変電車導入、在来線改良に積極的であり、両市の意見は対立していた[新聞 20][新聞 17][注 15]。 しかし、2015年5月14日に庄内地域の市町、議会、経済団体等で組織する庄内開発協議会は、吉村美栄子知事に対する要望の席で、会長であった榎本政規鶴岡市長が「域内交通を考えた時に陸羽西線高速化(山形新幹線の庄内延伸)もまた重要である」と吉村知事に説明し、副会長であった本間も「2市3町が整備(羽越新幹線)、羽越線高速化、山形新幹線の延伸でまとまってがんばろうとなった」と述べ、庄内が一体となり協調して高速交通網の整備促進に取り組む姿勢を表明した[新聞 23]。また、同年9月には酒田市の強い要望で2008年5月から活動を休止していた陸羽西線高速化促進市町村連絡協議会が、病死した本間の後継として酒田市長に当選した丸山至が会長に就き再開され[新聞 24]、新幹線庄内延伸を目指し吉村知事らに働きかけを行っているほか[新聞 25]、講演会を開くなどしている[新聞 26]。 大曲延伸新庄駅から大曲駅までの延伸が沿線自治体の一部で論議されており、山形、秋田両県で組織される山形新幹線延伸早期実現期成同盟会と2001年に結成された湯沢市(秋田県)を事務局とする山形新幹線大曲延伸推進会議が実現を訴えている[注 16][新聞 27][新聞 28]。 秋田県が2003年3月に策定した「あきた21総合計画」第2期実施計画では新幹線延伸について、沿線市町村の積極的取り組みを前提に、JR東日本、山形県との協議を踏まえ2010年までに着手すると謳ってはいたものの具体的な道筋は示していなかった[新聞 27]。秋田県南では地元自治体主催の山形新幹線大曲駅延伸の集会などが開かれているが、秋田県建設交通政策課では新庄 - 大曲間の事業費を概算で1300億円以上と見積もっており、2003年12月に秋田県議会建設委員会に置いて秋田県はJR東日本秋田支社からの意見を聴衆した際に「採算性を確保できるかどうかの見極めが大切。行政側から黒字化が見込める枠組みの提示が必要だ」との回答があったことを報告し、多額の費用負担を伴う鉄道整備の早期実現は難しいため高速交通網の整備は高速道路を優先したいとし、国に対し新たな建設手法の構築を求めて行きたいとしていた[新聞 29]。 また、改軌延伸を困難にしている一因として軌道連続更新機(愛称:ビッグワンダー)が秋田新幹線の開業工事に次いで、新庄延伸工事で使われたあと、必要性がなくなったためJR東日本がタイ国有鉄道へ売却し、日本国内には無いという事情も挙げられる[報道 17][新聞 30]。 新トンネル整備構想安全・安定輸送の実現を図るため、板谷峠に21.9kmのトンネルを掘って短絡路線を新設するなどの改良計画がある。2002年の山形県議会における政策提言では、事業費を840億円と見込み、所要時間が16分短縮されるとしている[33]。 2015年5月の山形県知事とJR東日本の社長との会談で、JR東日本は山形新幹線の運休や遅れにつながる大雨、豪雪対策について、2017年までの2年間で福島 - 米沢間の抜本的な対策に向けて調査すると表明し[新聞 31]、その結果がまとまり、2017年11月29日、JR東日本が山形県に概要を説明した。それによれば県境部にトンネルを掘削する場合、地形や地質などを考慮し、現在の山形新幹線を前提とした事業費を1500億円と見積もり、吉村美栄子知事が要請していた将来のフル規格新幹線に対応可能なトンネル断面に広げる場合は120億円の増額と試算した[新聞 32][新聞 33]。これを受け、12月1日に吉村知事がJR東日本本社の冨田哲郎社長を訪ね、トンネル整備の早期事業化を要望した[新聞 34]。 こののち、県とJR東日本はトンネル新設について協議を重ねてきたが、2021年、JR東日本は急カーブを緩やかな曲線に変え、直線に近いルートを想定することで、東北新幹線などのフル規格新幹線仕様と同じ平均時速200キロ以上の走行を可能とするなどの新たな提案を示した。この提案はトンネル内で減速の必要がなくなり、フル規格実現を目指す県の意向と合致したことから、県は県議会9月定例会にトンネル新設に関する調査費2200万円(限度額)を債務負担行為として盛り込んだ2021年度一般会計補正予算案を提案した。補正予算案が可決されれば、両者が共同して同年度中にも調査準備に入る[新聞 35]。このトンネル新設について、9月30日の定例会見でJR東日本の三林宏幸仙台支社長は「地元の理解、協力を得ながら事業化を進めていきたい」と語り、多額の事業費については「県、国に説明しながら、どういう(負担の)形になるかを含めて検討し取り組みたい」と述べた[新聞 36]。 CM1990年2月からJR東日本のイメージキャラクターに起用された小泉今日子が[新聞 37]、出演する開業告知CMである山形新幹線つばさ「答えは15(30)秒後」シリーズが開業時には出稿されたほか[34]、同年には当時電通クリエティブディレクターであった大島征夫がプロデュースした山形新幹線の開業にあわせ東北の各駅長を出演させて日本の古里を表現した「その先の日本へ」シリーズも出稿された[新聞 38]。また新庄延伸時には、「つばさ」を温泉新幹線として売り出そうと、ユーモラスなCMが出稿されている[新聞 39]。 脚注注釈
出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献
関連項目外部リンク
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