山形五堰山形五堰(やまがたごせき)は、山形県山形市の5つの堰とそこから流れる用水の総称。 2006年2月22日に疎水百選に選定。2023年11月4日に世界かんがい施設に登録[1]。 概要扇状地に位置する山形市街地を網の目のように流れているのが特徴であり、南から笹堰(ささぜき)・御殿堰(ごてんぜき)・八ケ郷堰(はっかごうぜき)・宮町堰(みやまちぜき)・双月堰(そうつきぜき)の5つの堰がある[2]。総延長は115kmに上る[3]。 1624年、山形城主の鳥居忠政が城濠への水の供給と農業・生活用水の確保のため、前年に5日間の大雨で洪水を起こした馬見ヶ崎川の流路を変更し、併せて川に5ヶ所の取水口を設けたことが始まりと文献が残る[2][3]。通常こうした水路は疏水と呼ばれるが、完成時取水口は堰と名付けられた。このため疏水ではなく堰と呼ばれるとされる。 太平洋戦争前まで、五堰は農業用水や生活用水はもちろんのこと、水車を利用した製粉業・精米業のほか、養鯉・染物・鰻問屋など様々な産業にも活用された。また子供は堰で戯れ、家庭でも米を研ぐ水に利用するなど人々の生活に密着していた[3]。 だが、高度経済成長期に入ると五堰は、生活排水・工業排水の流入により水質の悪化が急速に進んだ。こうしたことから利便性が重視され、石積み水路からコンクリート水路や暗渠に改修された[2]。また1985年には、馬見ヶ崎川合口頭首工が供用開始し馬見ヶ崎川からの取水が1ヶ所に統合された。 その後、市による下水道の整備で水質浄化が進み、2001年には有志によって五堰を地域振興に役立てようと、「考える会」が発足。同会による清掃活動や啓蒙が実を結び、2005年頃には御殿堰や笹堰で梅花藻が生育し始め、ほたるも見られるようになった[3]。今日では農業用水や防火用水機能のほかに、県の歴史的遺産として保つため親水空間としても活用されている。 整備箇所
脚注参考文献
外部リンク
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