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照井堰用水

照井堰用水(てるいぜきようすい)は、岩手県磐井川厳美渓上流部に設けられた大〆切頭首工を水源に一関市平泉町を流れる総延長64キロメートルの三本の人工河川疎水)の総称で、藤原秀衡家臣・照井太郎高春が灌漑目的に開削[1]し、子孫の照井太郎高安が完成した。

照井氏の偉業を称えてその姓を付け照井堰と名付け[2]られた。

平泉町を流れ衣川に注ぐ北照井堰農業用水路としてのみならず世界遺産平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産である毛越寺浄土式庭園水源[3]にもなっている。また、南照井堰大江堰江戸時代一関藩により完成し、現在も一関市、平泉町の穀倉地帯1,073haの水田を供給している。

2006年平成18年)に疎水百選に選定され、2016年(平成28年)には国際かんがい排水委員会かんがい施設遺産に登録[4]された。

沿革

  • 1189年(文治5年) - 照井太郎高春開削
  • 1493年(明応2年) - 照井太郎高安開削
  • 1494年(明応3年) - 五串村・猪岡村両岸に穴堰を開き、 南猪岡村・上黒沢村・中黒沢村・下黒沢村・一関村・三関村への水路開削(現大江堰)
  • 1643年(寛永20年) - 仙台藩が照井堰改修
  • 1648年-1653年(慶安年間) - 大旱魃(だいかんばつ)
  • 1854年(嘉承7年) - 柏原左衛門が北照井堰穴山隧道(現猿鼻隧道)
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、照井堰の管理は郡役所に移管
  • 1908年(明治41年) - 照井堰の管理は照井堰普通水利組合に移管
  • 1950年-1951年(昭和24年-25年) - カスリン台風アイオン台風によって壊滅した、岩手県による頭首工の復旧工事[1]
  • 1951年-1955年(昭和26年-30年)岩手県営事業として全幹線水路が改修、素堀水路に石積護岸工が施工[1]
  • 1952年(昭和27年) - 法制定により、照井堰土地改良区となる
  • 1985年(昭和60年) - 大江堰土地改良区と合併して照井大江土地改良区となる
  • 1996年(平成8年) - 舞川土地改良区と平泉土地改良区と合併して照井土地改良区となる
  • 2006年(平成18年) - 疎水百選に選定
  • 2015年(平成27年) - 照井土地改良区と束稲土地改良区が合併
  • 2016年(平成28年) - 世界かんがい施設遺産に登録となる

ギャラリー

関係施設位置

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ a b c 白井義彦、加藤徹「北上川狭窄部の水利問題」『水利科学』第21巻第2号、日本治山治水協会、1977年、64-82頁、doi:10.20820/suirikagaku.21.2_64ISSN 0039-4858NAID 130007833683 
  2. ^ 伝え流るる歴史の清流~世界かんがい施設遺産・照井堰用水~を守り引き継ぐために奔走する農業土木技術者
  3. ^ 平泉町広報2017年8月号No.722
  4. ^ 疎水名鑑-照井堰用水
    世界遺産平泉ゆかりマップ 照井堰
    照井堰用水が「世界かんがい施設遺産」に登録されました一関市
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