峠隧道用水峠隧道用水(とうげずいどうようすい)は、新潟県妙高市大字樽本字峠(豊葦地区)にある、灌漑用水。 概要
構築の理由樽本地区(上樽本)は標高700m前後に位置する、険しい山中にある集落である。集落の開発は古く、室町時代ころと言われている。ただし険しい山中のため、農業用水は乏しく、これが原因となって水田開発は遅れを見せていた。 木賀三四郎家や、その他の三地主・自作農家の20数戸は飯米以外の残った余裕米を換金することが出来たものの、先の農家以外の30数戸はようやく飯米を確保できる程度であった。そのために、多くの人々が山に分け入り、炭焼きを行なったり、畑作に力を入れたりしていた。 樽本地区に川が無いわけではなかったが、すべて農業用水としては不向きで、殆どの水田が湧水や溜池の水を使っていた。溜池は雪融け水や雨水を利用したものであったため、日照り続きの年などは、大打撃を受けた。 明治19年に、斑尾川からの灌漑用水を引くため、木賀三四郎は国鉄高崎線の延長(後の信越本線・横軽区間)上にある、碓氷トンネル工事にヒントを得て、私費でこの難事業を起こした。 沿革
完成後の様子用水計画当時の上樽本の水田は、約15.4haであった。うち3.5haを溜池から灌漑用水へ切り替え、新規開田の7haをあわせた10.5haの水田は、20年後の大正元年には1haを上回った。その後も開発が進み、大正末期には27ha、最盛期には約40haまで拡張された。用水の完成で、水田耕作は難しい山間地にある農家が、水田耕作農家へ転身できたのである。 大正元年には木賀三四郎を讃える石碑が建立され、今でもその姿を見ることができる。(ただし、現道を作った際にそのままにされたため、旧道の方向を向いたままである。) その他
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