山口廉王
山口 廉王(やまぐち れお、2006年5月14日 - )は、東京都大田区出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 経歴プロ入り前練馬区立田柄第二小学校1年生のときに軟式野球を始め[2]、宮城県の多賀城市立高崎中学校時代は硬式野球の『宮城北部シニア』でプレー[3]。小中ともにメインポジションは捕手ながら[4]、成長痛もあって内野手と投手も兼任していた[3]。 仙台育英高校へ進学し、投手一本で勝負してみたいという願望を抱いていたが[4]、中学時代から違和感があった右肘[5]がドクターチェックで緊急手術を要する状態であることが判明。成長する前の軟骨が破損しており、膝の骨を肘に移植するという手術[4]を入学直後の5月に受けた[5]。その後は約8か月もノースローの日々を過ごし、内野手で活躍する選択肢も模索していたが[6]、「僕から須江先生に言ったんです。投手に専念したいです、って[7]」と2年春に投手へ専念[3]。ただ、「でも、そこから一気にではなくて、徐々に投手としての出場機会を増やしてもらった感じです[7]」と初のベンチ入りは2年秋の県大会であり[3]、東北との2回戦に先発して公式戦デビューを果たした[8]。続く東陵との3回戦にも先発したが、3回1/3を2失点でチームも敗退[9]。3年春から背番号1を付け[2]、3年夏の宮城大会では聖和学園との決勝で敗れた[10]。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから3位指名を受けた[11]。11月8日には契約金4500万円・年俸500万円(金額はいずれも推定)で仮契約を締結[1]。同29日に新人選手入団発表記者会見が行われ、背番号は47と発表された[12]。担当スカウトは小松聖[13]。 選手としての特徴仙台育英高校では投手専念が2年春[3]、公式戦デビューが2年秋、通算でも公式戦登板が11試合[8]と投手経験は浅いながらも、担当スカウトの小松聖は「スケール感満載で無限の可能性を秘めた大型右腕」と評した[14]。高校時代の持ち球は最速151km/hのストレート、スライダー、カーブ、フォーク、スプリット[5]。 小・中学校時代のメインポジションは捕手。山口の剛球を受けられる捕手がいなかったという事情もあったが、指導者の目が彼の長打力の方にいきがちだったという側面もあり[4]、仙台育英高校でも入学当初は野手を兼任した。須江航監督は「あんまり早い段階でしばるのもなんだし、彼の長打力は捨てがたかったですから」と話し、本人も「とにかく当たったら飛ぶんで。当たれば普通にフェンス手前ぐらいまで届く感じです。低反発バットでもけっこう飛ぶなと思っていましたね」と打撃には自信を持っていた[7]。 詳細情報背番号
脚注注釈出典
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