土曜グランドスペシャル
『土曜グランドスペシャル』(どようグランドスペシャル)は、1978年4月15日から同年8月26日までフジテレビ系列局が編成していたフジテレビ製作の単発特別番組枠である。全20回。編成時間は毎週土曜 19:30 - 20:54 (日本標準時)。 本項では、1979年4月7日から同年8月25日まで同系列局が同じ時間帯に編成していた固有枠名無しの単発特別番組枠についても触れる。 歴史1977年4月、「ナイター中継の裏で冠番組はやりたくない」という萩本欽一の意向[要出典]によって一旦中断し、同年9月に再開した『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽ドン!)だったが、1978年4月に再び同じ理由で中断したためにフジテレビはつなぎ番組を放送することになったが、前年に放送した『がんばれ!ピンチヒッターショー』はまったく受けなかったので別の番組を企画した。 フジテレビは1978年度最大のイベントとして、女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」を結成し、彼女たちを月に1回の割合で芸能人などのチームと試合をさせる企画を練っており、それをテレビ放送する枠が必要になってきた。だが、当時同系列局のゴールデンタイムでは唯一の単発特別番組枠『火曜ワイドスペシャル』(以降『火WSP』と略記)はレギュラー企画が一杯で、さらにプロ野球ナイター中継も行わねばならず、とても間に合わなかった。そこでこの時間帯に、ニューヤンキースの試合を中心に放送する枠を設けることにした。また、ニューヤンキース宣伝のために同枠の放送番組すべてにニューヤンキースを出演させ、オープニングで彼女たちに歌も歌わせることにした。さらに『欽ドン!』ファンのために、月に1回の割合で『欽ちゃんのドンとやってみよう! ○月編』(「○」には放送月が入る)を放送するようにした。なお、ナイター中継と『欽ドン!』のみニューヤンキースのメンバーは出演せず、彼女たちによる歌も無かった。 なおニューヤンキースの試合は、主にこの年開場された横浜スタジアムで行っていたが、第1戦のみ後楽園球場で行い、また7月15日放送分では軽井沢で行った(地方ロケは唯一)。 こうして開始されたこの枠が同年8月に終了すると、フジテレビは予定通りに『欽ドン!』を再開した。これにより、ニューヤンキースの試合は『火WSP』や、土・日午後の単発枠で『激突!女子野球』として放送されることになり、1979年3月まで続けられた。 それから約半年後、『欽ドン!』が同じ理由で三度目の(そして最後の)中断状態に入ったため、同じ時間帯に固有枠名の無い単発特番枠が編成された。しかし前述の通り、ニューヤンキースの試合は同年3月をもって終了したため、前年に月曜20:00枠で放送されていた『アメリカ大リーグアワー』などのスポーツ番組、アニメ、映画などを放送していた。またナイター中継は、前年にヤクルトスワローズ(フジテレビが球団株を所有している)がセ・リーグ初優勝および日本一を達成した影響から、明治神宮野球場主催のヤクルト戦、それも巨人戦だけでなく他球団とのカードも放送するようになった。 この固有枠名を持たない枠も終了した後、フジテレビの土曜ゴールデンタイムでは2003年10月に『プレミアムステージ』(後の『土曜プレミアム』)がスタートするまでの間、単発特番枠は改編までのつなぎで一時的に編成されたものを除いて24年間編成されなかった。 テーマソング
放送番組一覧以下のうち、特記の無いプロ野球ナイター中継回はすべて19:00 - 20:54に放送。その際には、通常は19:00から放送の『ズバリ!当てましょう』(第2期)は休止になった。 土曜グランドスペシャルニューヤンキースのメンバーは、プロ野球ナイター中継と『欽ドン!』以外の番組すべてに出演していた。『オールスター対抗!女子野球大会』の司会はおりも政夫が、主審は森山周一郎が務めていた。
参考:『読売新聞』読売新聞社、1978年4月15日 - 同年8月26日付のラジオ・テレビ欄。 固有枠名無しの単発特別番組枠
参考:『読売新聞』読売新聞社、1979年4月7日 - 同年8月25日付のラジオ・テレビ欄。 エピソード
1993年から1996年の土曜20時枠『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』番組終了から『めちゃ×2イケてるッ!』番組開始までに放送された特別番組。
脚注
関連項目
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