千葉 真子(ちば まさこ、1976年7月18日 - )は、日本の元女子陸上競技(長距離走・マラソン)選手で、1990年代中盤 - 2000年代中盤に活躍した。京都府宇治市出身。愛称は「千葉ちゃん」。
現在の活動は陸上指導者・スポーツ解説者・コメンテーター・タレントなど。スポーツビズ所属。既婚。2児の母。
2016年に宇治市観光大使に就任[1]。
人物
中学校ではテニス部を3年生の夏休みまでやって、駅伝の人数が足りないと誘われていた。宇治高校(1994年から立命館宇治高校に改組)では陸上部に入部。高校では1校3人の枠に選ばれずインターハイの出場経験はない。但し、全国高校駅伝女子の部では、2年時の1993年度は準エース区間の2区4.0975kmを走り、水内聡子(市立船橋3年、のち三井海上)と同タイムの区間4位ながら1区の出遅れにより32位と沈んでいたチームを一挙に15位にまで順位を挽回した。川上優子(熊本信愛3年、のち沖電気)も同区間2区を走り、1区には高橋千恵美(聖和学園3年、のち日本ケミコン)や田中めぐみ(埼玉栄3年、のちあさひ銀行)、木村泰子(尾山台3年、のち京産大)、3区には市河麻由美(市立船橋2年、のち三井海上)などがいた。また、宇治の1年先輩小﨑まり(3年、のち大阪短大・ノーリツ)は補欠に回っていた[2]。3年時の1994年度はエース区間1区6kmに出場しトップエスタ・ワンジロ(仙台育英3年 [3])と42秒差の10位20:12だったが、チームは総合2位をマークした。その他、同区間1区には19:59で3位山中美和子(添上1年、のち筑波大・ダイハツ)などがいた[4]。
旭化成陸上部在籍中、1996年アトランタオリンピック陸上女子10000mで5位入賞を果たす。世界陸上選手権大会では、女子10000mと女子マラソンにて世界で初めて「異種目複数メダル獲得」という前人未到の快挙を成し遂げた選手である[5]。
現役時代は北海道マラソンを得意とし、2連覇を含め合計3勝を挙げた。2001年に旭化成陸上部から豊田自動織機女子陸上部に移籍し、小出義雄の指導を受けた[6]。2006年8月に現役引退後は、主にタレント、スポーツコメンテーターなどとして活動中。
2007年、将来的に自身のクラブを立ち上げ、後進の指導にあたる方針を明らかにした。2007年8~9月に行われた世界陸上大阪大会のスポーツコメンテーターに抜擢。その後も世界陸上選手権大会開催時には、毎回マラソン種目等の解説者として出演している。
2011年12月8日、8歳年下の競輪選手・桜川雅彦(登録名は櫻川雅彦[7]、日本競輪学校第99期生)と結婚したことを発表[8]。2012年6月27日、第1子(女児)を、2014年8月25日、第2子(女児)を出産した[9]。
基本データ
経歴
陸上選手として
- 1992年
- 立命館宇治高校在学時には全国高校女子駅伝に2回出走。2年生時(1993年)は2区(4.0975 km)で17人抜き(区間4位、13分11秒)。3年生時(1994年)は1区(6 km)で区間10位(20分12秒)。
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 3月の名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが欠場を表明、シドニーオリンピック出場を断念(女子マラソン代表は市橋有里、高橋尚子、山口衛里。高橋が優勝し金メダル獲得)。
- その後も相次ぐ故障に悩まされ続け、旭化成を退社表明。マスコミは引退と報じたが、後に千葉本人が否定。
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 1月、世界陸上パリ大会代表選考レースの大阪国際女子マラソンに出走、野口みずきのスパートで遅れるものの、最後に競技場手前で坂本直子を交わして2時間21分45秒の自己最高記録をマークして2位となり、この成績が評価され世界陸上パリ大会女子マラソン代表に選出。
- 8月の世界陸上パリ大会レース本番では、33km過ぎのヌデレバのスパートについていけなかったものの、1位のヌデレバ、2位の野口みずきに続いて2時間25分9秒で3位でゴールし、銅メダルを獲得。なおこの大会で日本人トップだった野口は、規定によりアテネオリンピック代表に内定した[10]。
- 2004年
- 1月、アテネオリンピック女子マラソン代表選出を再び目指して、大阪国際女子マラソンに出場したが、27km過ぎでスパートして先頭集団を崩すものの、30km過ぎの坂本直子のスパートに大南博美、渋井陽子と共に引き離され、2時間27分38秒の2位で五輪代表に手が届かなかったものの、補欠代表に留まった(アテネ五輪代表は野口みずき、坂本直子、土佐礼子。野口が優勝し金メダル獲得)。
- 8月の北海道マラソンでは、2時間26分50秒で2001年以来2度目の優勝。
- 11月、翌年の世界陸上ヘルシンキ大会代表を目指して、東京国際女子マラソンに出場したが、レース終盤で優勝のブルーナ・ジェノベーゼと2位の嶋原清子に抜かれて、結局4位に留まった。
- 2005年
- 前年の東京国際女子マラソンでの不振が影響し、世界陸上ヘルシンキ大会代表を逃した。
- SACを退部し豊田自動織機に完全移籍。小出から独立(それ以前から小出の方針で豊田自動織機に籍を置いていた)。
- 8月の北海道マラソンでは、序盤から嶋原清子らを寄せ付けず、2時間25分46秒の大会新記録で2年連続3回目の優勝を果たした。
- 10月のシカゴマラソンにも出場。ディーナ・カスターやコンスタンティナ・トメスクのハイペースに15km過ぎで遅れるものの、2時間26分00秒で3位に入った。
- 2006年
- 4月、長野オリンピック記念長野マラソンに出走したものの、風邪による体調不良で、22km過ぎの地点で途中棄権。
- 8月、三連覇のかかった北海道マラソンにて、自らレース前に引退を宣言。右腕にはマジックで「ありがとう」と記載して出走。足にテーピングを施す状態により体調万全で臨めず、2時間48分57秒の11位と有終の美は飾れなかったが、最後はファンの人達に対し、笑顔で両手を挙げてゴールした。
その他(タレント活動など)
主な成績(マラソン以外)
マラソン全成績
年月日 |
大会 |
順位 |
記録 |
備考
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1998年09月06日
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シドニーマラソン(女子の部)
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4位
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2時間37分44秒
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初マラソン、コース試走・練習の一環で出場
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1999年11月21日
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東京国際女子マラソン
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5位
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2時間29分00秒
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実質上の初マラソン、シドニーオリンピック国内選考レース
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2001年08月26日
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北海道マラソン(女子の部)
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優勝
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2時間30分39秒
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マラソン初優勝
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2002年04月21日
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ロッテルダムマラソン(女子の部)
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2位
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2時間25分11秒
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当時マラソン自己記録
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2002年10月13日
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シカゴマラソン(女子の部)
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9位
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2時間34分36秒
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2003年01月26日
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大阪国際女子マラソン
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2位
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2時間21分45秒
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マラソン自己記録(当時マラソン日本女子歴代4位)、世界陸上パリ大会選考レース
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2003年08月31日
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世界陸上パリ大会
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3位
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2時間25分09秒
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世界初の世界陸上女子トラック&女子マラソンでの異種目複数メダル、アテネオリンピック選考レース
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2004年01月25日
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大阪国際女子マラソン
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2位
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2時間27分38秒
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アテネオリンピック国内選考レース
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2004年08月29日
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北海道マラソン(女子の部)
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優勝
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2時間26分50秒
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マラソン2回目の優勝
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2004年09月26日
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ボルダーバックローズマラソン(女子の部)
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優勝
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2時間41分05秒
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マラソン3回目の優勝、大会記録(調整レース)
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2004年11月21日
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東京国際女子マラソン
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4位
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2時間27分02秒
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世界陸上ヘルシンキ大会選考レース
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2005年08月28日
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北海道マラソン(女子の部)
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優勝
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2時間25分46秒
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マラソン4回目の優勝、大会記録(当時)
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2005年10月09日
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シカゴマラソン(女子の部)
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3位
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2時間26分00秒
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2006年04月16日
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長野マラソン(女子の部)
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DNF
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記録無し
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途中棄権
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2006年08月27日
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北海道マラソン(女子の部)
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11位
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2時間48分57秒
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引退レース、ラストラン
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関連項目
出演
テレビ番組
上記の経歴も参照。
ほか多数
ラジオ番組
- 千葉真子 BEST SMILEランニングクラブ(文化放送、2009年-2020年9月26日)
著書
関連書籍
脚注
外部リンク
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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代表取締役:山本雅一 |
スポーツ文化人 | |
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現役アスリート | |
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チーム | |
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スポーツ指導者 | |
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旧所属 | |
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