ラモン・ラミレス (1981年生の投手)
ラモン・エミリオ・ラミレス(Ramón Emilio Ramírez、1981年8月31日 - )は、ドミニカ共和国プエルト・プラタ州出身のプロ野球選手(投手)。 2002年に広島東洋カープに「ラミーレス」の登録名で在籍した。 経歴レンジャーズ傘下時代1996年12月27日にテキサス・レンジャーズと契約。 1998年6月4日に放出された。 広島時代2001年にカープアカデミーから日本の広島東洋カープに練習生として入団。2002年途中に支配下選手登録された。150kmのストレートと高速スライダーの評価が高く1年目から一軍で2試合に登板。勝敗なし、防御率3.00。しかし、シーズンオフに年俸交渉で揉め、ポスティングシステムを使用した。 ヤンキース傘下時代![]() 2003年3月5日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。 ロッキーズ時代2005年7月28日にショーン・チャコーンとのトレードでマイナー選手1名と一緒にコロラド・ロッキーズに移籍。2006年4月14日にメジャーデビューし、初登板から15回1/3の連続無失点の球団記録を作った。その年は61試合に登板。 ロイヤルズ時代2008年3月26日にカンザスシティ・ロイヤルズへの移籍が決まり、3月30日にホルヘ・デラロサとのトレードでの移籍となった。同年は71試合に登板して防御率2.64の成績を残す。同年11月19日にココ・クリスプとのトレードでボストン・レッドソックスに移籍。 レッドソックス時代2009年は開幕から13試合連続無失点を記録し、チーム最多の70試合に登板しシーズンを終える。 ジャイアンツ時代2010年シーズン途中の7月31日にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、ジャイアンツでもリリーフとして活躍。 メッツ時代2011年11月7日にアンヘル・パガンとのトレードで、アンドレス・トーレスと一緒にニューヨーク・メッツへ移籍。 2012年1月17日にメッツと総額200万ドルの1年契約に合意した。同年は58試合に登板するも、防御率4.24と不本意な成績に終わり、オフの10月29日にフリーエージェントとなった。 メッツ退団後2013年2月5日に古巣のサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、メジャー昇格を果たすも、6試合登板で防御率11.12と打ち込まれ、6月18日に解雇された。7月1日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだが、7月31日に放出された。 2014年1月2日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[1]。AAA級タコマ・レイニアーズで開幕を迎え、4試合に登板したが、防御率10.38と結果を残せず、4月29日に放出された。5月31日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。契約後はAAA級ノーフォーク・タイズで5試合に登板し、1勝0敗、防御率0.00と好投。6月30日にオリオールズとメジャー契約を結んだ[2]。同日のテキサス・レンジャーズ戦では1回を無失点に抑えたが、その後は登板がなく、7月6日にフリーエージェントとなった[3]。7月9日にマイナー契約を拒否し、フリーエージェントとなった。 メキシカンリーグ時代2015年はメキシカンリーグのティファナ・ブルズと契約。7月15日にトレードでキンタナロー・タイガースに移籍。12月2日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結ぶ。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。 2016年5月28日に解雇となる。6月9日にキンタナロー・タイガースと契約。 2017年3月29日にキンタナロー・タイガースを解雇となる。6月1日にモンテレイ・サルタンズと契約するが、7月10日に解雇。翌11日にラグナ・ユニオン・カウボーイズと契約するも同年限りで退団した[4]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
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