ミハエル・バルテルス(Michael Bartels, 1968年3月8日 - )は、ドイツ出身のレーシングドライバー。2010年のFIA GT1世界選手権チャンピオン。
日本のメディアでは「バーテルス」と表記されることもある。
経歴
父のウィリー・バルテルス(ドイツ語版)は「Bergkönig(山の王)」の異名を持つレーシングドライバーであり、ミハエルはその息子としてドイツ山間部ザウアーラント地方のプレッテンベルクに生まれる。
1985年、17歳でレーシングカートに出場しレースキャリアを開始。翌1986年にドイツフォーミュラ・フォードで四輪レースデビューし、FF1600ccクラスチャンピオンを獲得した。1987年にドイツFF2000へステップアップしランキング3位となる。
1988年からドイツF3選手権にステップアップ[1]、最終戦ホッケンハイムリンクではポールtoフィニッシュでのF3初優勝を挙げランキング5位に入った。ドイツF3での二年目となる1989年は開幕戦からポールポジションを奪うなど好調であったが、カール・ヴェンドリンガー(2勝・チャンピオン獲得)、ハインツ=ハラルド・フレンツェン(3勝・ランキング2位)、ミハエル・シューマッハ(2勝・ランキング3位)にバルテルスも加わった4人でチャンピオン争いが展開される激戦の年であった[2]。そのなかで3勝を挙げランキング4位を獲得する[3]。結果的にメルセデス・ジュニアチームに抜擢されるのがこのランキングでの上位3名となったため、4番手で選から漏れたバルテルスの命運を左右するランキングとなった。
1990年、国際F3000選手権にステップアップ。1991年の第2戦ポー・グランプリからファースト・レーシングに移籍するが、チームはシーズン途中で撤退してしまった。F3000参戦3年目の1992年に移籍したクリプトン・エンジニアリングでは戦闘力のある体制に恵まれ、チームメイトのルカ・バドエルがチャンピオンを獲得、バルテルスはランキング3位のルーベンス・バリチェロに次ぐシリーズランキング4位を獲得した。
フォーミュラ1には1991年にチーム・ロータスとスポット参戦契約を結び[4]、ジョニー・ハーバートが全日本F3000選手権出場のため欠席する4つのグランプリにバルテルスが参戦。契約発表時には「初めてのF1が自分の国のグランプリで、よく知ってるホッケンハイムだ。これは少しだけぼくに有利かもしれないし、とてもうれしい」とコメントしたが、参戦した4戦とも予選通過はならなかった。最も惜しかったのは地元ドイツグランプリで、バルテルスのベストがあと0.280秒速いラップタイムであれば予選26位のエリック・コマスを上回り決勝に進出できていた。チームメイトのF1ルーキー、ミカ・ハッキネンに対しては予選タイムで4戦4敗であった[5]。
1993年はF1新規参戦を計画していたパシフィック・レーシングと契約しF1決勝デビューを目指したが[6]、チームが運営資金の不足により参戦を1年延期としたため、バルテルスのF1参戦は叶わなかった。
1994年からは、ツーリングカーレースに活動の場を移し、旧ドイツツーリングカー選手権(DTM)とドイツ・スーパーツーリングカー選手権(STWカップ)に参戦。DTMでは、アルファロメオ・155V6TIをSTWカップでは、BMSスクーデリア・イタリアより、日産・プリメーラで参戦。STWカップでは5位を獲得し、DTMのみに活動を絞った1995年は、2レースで優勝し、シリーズ10位となった。
2000年からは新しくなったドイツツーリングカー選手権に参戦。この年は7位となるが、以降成績は低迷。2002年を最後にDTM参戦を休止した。
2010年からはFIAGT1選手権に参戦を開始し、この年のシリーズチャンピオンを獲得[7]。2012年にもシリーズ3位を獲得するなどGT選手権で成功を収めた。
エピソード
- 1991年のロータスでのF1参戦は、元々カール・ヴェンドリンガーがロータスと交渉していたものだった[8]。しかし「80万ドル(約1億円)スポンサーを持ってきてほしい」と言われたヴェンドリンガーがこの準備に時間が掛かり、そこにすでにドイツのいくつかのスポンサーを持っていたバルテルスがロータスに話を持ち込み、先に交渉を成立させてシート獲得に成功した。しかしすべて予選落ちに終わったのを見たヴェンドリンガーは「バルテルスが悪いドライバーではないと僕は知っているが、F1経験も無くシーズン途中で急にあのロータスに乗った場合、誰でも難しかっただろう。僕は乗れなくても正解だったなと思った。」と述べている[8]。
- 1992年から1999年まで、同郷の女子テニスプレーヤーで国際的に著名な選手であるシュテフィ・グラフと交際しており[9]、2人とも隠さずパートナーとして公にしていたため雑誌やタブロイド紙等でデートをする姿が報道されることもあった[10]。
レース戦績
フォーミュラ
ドイツ・フォーミュラ3選手権
マカオグランプリ
国際フォーミュラ3000
フォーミュラ1
ツーリングカー
ドイツ・ツーリングカー選手権
ドイツ・スーパーツーリング選手権
世界ツーリングカーカップ
旧ドイツ・ツーリングカー選手権
グランドツーリング
FIA GT選手権
FIA GT1世界選手権
ブランパン・耐久シリーズ
ブランパン・スプリント・シリーズ
脚注
|
---|
創設者 | |
---|
主なチーム関係者 | |
---|
主なドライバー |
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
※年代と順序はチーム・ロータスで初出走した時期に基づく。 ※太字はチーム・ロータスにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
|
---|
F1車両 | |
---|
主なスポンサー |
|
---|
F2車両 | |
---|
CART | |
---|
市販スポーツカー | |
---|
|
---|
FIA GT選手権 |
GT1クラス →GTクラス →GT1クラス | |
---|
GT2クラス →N-GTクラス →GT2クラス | |
---|
|
---|
FIA GT1選手権 | |
---|
FIA GTシリーズ →ブランパンスプリントシリーズ →ブランパンGTシリーズスプリントカップ →ブランパンGTワールドチャレンジヨーロッパ →GTワールドチャレンジ・ ヨーロッパ・スプリントカップ |
Proカップ →総合 | |
---|
シルバーカップ →ゴールドカップ | |
---|
Pro-Am トロフィー →Pro-Amカップ →シルバーカップ | |
---|
ジェントルマン トロフィー →Amカップ →ブロンズカップ | |
---|
|
---|