フォートマイヤーズ
フォートマイヤーズ(英:Fort Myers)は、アメリカ合衆国フロリダ州の都市。リー郡の郡庁所在地である。人口は8万6395人(2020年)。温暖な気候のため、冬の保養地として知られている。 ケープコーラル・フォートマイヤーズ都市圏を構成する2つの主要都市の1つであり、もう一つの主要都市はケープコーラルである。都市圏人口は62万3725人(2008年推計)である[2]。 フォートマイヤーズは1886年に設立され、リー郡の歴史と政治の中心である。フロリダ州でも主要観光地である州南西部への玄関口にある。市内のマクレガー大通りに位置しているトーマス・エジソンやヘンリー・フォードの冬の別荘は観光名所となっている。 2004年、サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール4のハリケーン・チャーリーに襲われ、北部郊外で地滑りが起こった。2005年にはハリケーン・ウィルマが南のネイプルズを直撃し、フォートマイヤーズの南部郊外にも広範な被害をもたらした。 歴史フォートマイヤーズは1886年に市制が布かれ、南西フロリダの人気がある観光の中心でありリー郡の郡庁所在地である。タンパからは南に約120マイル (190 km)、メキシコ湾にカルーサハッチー川が注ぐ地点にある。フォートマイヤーズはトーマス・エジソンが冬に度々訪れた地であり、現在はボストン・レッドソックスとミネソタ・ツインズが春季キャンプを行う所でもある。 フォートマイヤーズとなっている所の最初の住人と考えられているのは、スペインのアストゥリアス州出身で19世紀にキューバを経由して来たスペイン人マヌエル・ゴンザレスだった。 フォートマイヤーズは1850年に地域の数少ない開拓者達を虐殺していたセミノール族インディアンから守るために造られた軍隊の砦であり、フロリダに7年間駐屯し、砦の設立者かつ指揮官の義理の息子だったエイブラハム・C・マイアーズに因んで名付けられた。とらえ所のない戦闘が何年も続いたあとの1858年、ビリー・ボウレッグス酋長とその戦士達が降伏の説得に応じ、西に移動した後は砦も放棄された。カルーサハッチー川に注ぎ、ボーリベイジ・コンドミニアムズとアトラマーの間を流れるビリーズ・クリークは、ビリー・ボウレッグス酋長とその戦士達が西に向かう船を待つ間一時的に宿営したことに因んで名付けられた。 砦は1863年まで放棄されており、南北戦争中のこの年に北軍の小部隊が砦を再占領した。1865年、南軍の大変小さな部隊が砦を襲ったが失敗した。戦後、砦は再度荒廃した。 その後最初の開拓者は1866年に到着したが、開拓者が本格的に入ってくるようになったのは1882年になってからだった。市制が布かれることになる1885年までに、フロリダ州西海岸のシーダーキーより南ではタンパに次いで2番目に大きな都市となり、やはり当時成長していたクリアウォーターやサラソタよりもかなり大きかった。 1898年にロイヤルパーム・ホテルが建設されたときに、フォートマイヤーズは冬のリゾート地として全国に知られるようになった。しかし、フォートマイヤーズの成長を真に促したものは1924年にカルーサハッチー川に架かるタミアミ・トレイル橋が建設されたことだった。橋ができると、市には最初の不動産投資ブームが起こり、市周辺に多くの小区域が出現した。 地理と気候アメリカ合衆国国勢調査局による報告では、市域全面積は40.4平方マイル (104.7 km2)、このうち陸地が31.8平方マイル (82.4 km2) であり、水域は8.6平方マイル (22.2 km2)、水域率は21.25%である。 アメリカ海洋大気局はフォートマイヤーズを亜熱帯に区分している[3]。ケッペンの気候区分では熱帯のサバナ気候 (Aw) に区分されている[4]。
人口動態フォートマイヤーズが設立されて以来の人口推移は右表のとおりである[7]。
以下は2007年の推計データである。 基礎データ
人種別人口構成
交通サウスウエスト・フロリダ国際空港は市の南東のサウスフォートマイヤーズにあり、ゲイトウェイとリーハイエーカーズに近い。 教育中等学校この地域にある中等学校としては以下のものがある。
高等教育機関この地域にある高等教育機関としては以下のものがある。
スポーツ春季キャンプフォートマイヤーズは現在、メジャーリーグベースボールのボストン・レッドソックスとミネソタ・ツインズが春季キャンプを行う所である。これまでフォートマイヤーズで春季キャンプを行った年にワールドシリーズを勝ち抜いたチームが5つあるのも特徴である。上記2球団以外にフィラデルフィア・アスレチックス、ピッツバーグ・パイレーツおよびカンザスシティ・ロイヤルズが達成した。 ミネソタ・ツインズサウスフォートマイヤーズのリー郡スポーツ複合施設にハモンド・スタジアムがある。これは1991年に建設され、収容人員は7,500人である。ここがミネソタ・ツインズの春季キャンプ場となっている。ツインズはハモンド・スタジアムで初めて春季キャンプを張った年にワールドシリーズを制した。リー郡との施設使用契約は2011年まである。 ボストン・レッドソックスボストン・レッドソックスの元左翼手マイク・グリーンウェルがフォートマイヤーズの出身であり、春季キャンプの場にここを選ぶ推進役となった。シティ・オブ・パームズ・パークは1992年に建設され、収容人員は8,000人である。 シティ・オブ・パームズ・パークで行われた最も記念すべき試合は2004年3月7日のものである。これは前年10月にあったレッドソックスとニューヨーク・ヤンキースとの試合以来初めての対戦であり、10月の試合ではアーロン・ブーンがホームランを打ってレッドソックスのプレイオフを勝ち抜く望みを打ち砕いたものだった。2004年の試合ではブーンに替わったアレックス・ロドリゲス三塁手がヤンキースにとってオフシーズンの注目を浴びた獲得選手だったが、7,304人の観衆から激しいブーイングを受けた。 レッドソックスとフォートマイヤーズとの使用契約は2019年まであるが、レッドソックスは2009年春季キャンプ後に契約を打ち切ることを検討している。レッドソックス最高執行役員のマイク・ディーが2008年4月25日にサラソータの役人と会い、サラソータのエド・スミス・スタジアムに移転する可能性を協議した。この施設はシンシナティ・レッズが春季キャンプに利用しており、レッズはアリゾナ州のグッドイヤーに拠点を移す計画があった。ボルチモア・オリオールズとミルウォーキー・ブルワーズもサラソータの役人と会った。 リー郡公園リクリエーション局長のジョン・ヤーボローが、フォートマイヤーズにレッドソックスを繋ぎ止めておくためのアイディアをブレーンストーミングで集めるために自分の時間を使っているフォートマイヤーズの建築家ジェフ・マジェットと会談した。ヤーボローは会談の後で「2012年までにプロジェクトを組織したい」と語った。 レッドソックスの新しい春季キャンプ地について計画が示されたり場所の議論がされているわけではないが、チームの本拠地であるボストンのフェンウェイ・パークの小型版のような施設を持ちたいという夢があると語った[10]。 2012年に新しくフェンウェイパークのグリーンモンスターを模したレフトスタンドを擁する新球場ジェットブルー・パークが完成した。 シティ・オブ・パーム・クラシックシティ・オブ・パーム・クラシックでは毎年、フォートマイヤーズの高校バスケットボール選手権が開催されている。 その他のスポーツフロリダ・ガルフコースト大学のスポーツ・チーム、FGGUイーグルスは2007年にNCAAのディビジョンIへの転換を始めた。2008年から2009年のシーズンで、女子バスケットボール・チームがアトランティック・サン・カンファランスで17対3の記録を残し、全体でも25対4だったが、現在ディビジョンIIからの転換中なのでディビジョンI 2009年のトーナメントには参加する資格が無かった。 フロリダ・ガルフコースト大学のスポーツ・チームは自分達のキャンパスで試合をしている。アリコ・アリーナのバスケットボール、スワンソン・スタジアムの野球が挙げられる。 見どころ
犯罪表示の無い墓2007年3月、フォートマイヤーズの森林地帯で8人の遺体が発見され、連続殺人の容疑で捜査が続けられることになった。これまでDNA鑑定を用いて3人の身元は判明した。2008年初期に容疑者の名前が短期間浮かび上がった[11][12]。この事件はアメリカの最重要手配事件にもなっている[13]。 銃乱射事件犯罪統計2007年、フォートマイヤーズとケープコーラル都市圏の住人10万人あたり犯罪発生率は下表の通りである。
著名な住人現在
過去の住人
大衆文化の中のフォートマイヤーズ
脚注
外部リンク |