ワクラ郡 (フロリダ州)
ワクラ郡(ワクラぐん、英: Wakulla County)は、アメリカ合衆国フロリダ州の北部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は30,776人であり、2000年の22,863人から34.6%増加した[1]。郡庁所在地は国勢調査指定地域のクロウフォードビル(人口3,702人[2])であり、同郡で人口最大の都市はソップチョッピー市(人口457人[3])である。 歴史スペイン統治時代1528年、パンフィロ・デ・ナルバエスが、タンパから現在のワクラ郡へ進み、ワクラ川とセントマークス川の合流点で宿営した。ナルバエスはそこが砦建設に大変適した地だと判断した。1539年、エルナンド・デ・ソトが兵士を伴って来て、サンマルコス・デ・アパラチーを設立した。 19世紀初期ワクラ郡となった地域は19世紀初期に活発な場所になった。ウィリアム・オーガスタス・バウルズという元イギリス軍士官が400人のクリーク族インディアンを統一して率い、スペインの前進基地であるサンマルコスを占領した。このことがスペインを刺激し、その5週間ほど後に到着した船隊がサンマルコスの支配を取り戻した。1818年、アンドリュー・ジャクソンがこの地に侵入し、サンマルコスを占領した。このとき捕まえられたロバート・アンブリスターとアレクサンダー・アーバスノットという2人のイギリス市民が裁判に掛けられ、インディアンを襲撃に駆り立てた容疑で有罪とされ、処刑された。このことが、アメリカ合衆国とイギリスの間の外交問題に発展した。1821年、フロリダがアメリカ合衆国に譲渡され、サンマルコスはアメリカ軍に占領された。1824年、この砦は放棄され、フロリダ準州に移管された。1839年、砦はアメリカ合衆国に戻され、連邦政府の海兵隊病院が建設された。この病院は地域で流行った黄熱病の治療にあたった。 郡内の砦
出典: Florida Forts [1] 南北戦争前の時代ワクラ郡は1843年にレオン郡から分離して設立された。郡名はティムクアン族インディアンの言葉で「泉の水」あるいは「不思議な水」を意味するとしているが、異論もある。これは、郡内最大の観光地であり、深さでも水量でも世界最大級とされる清水泉、ワクラスプリングスに言及したものである。1974年、水量を計測すると1日12億3千ガロン (4,700,000 m3) あり、単一の泉として最大の記録となった。 1856年に冒険家チャールズ・ランマンが著した本で、泉のことについて次のように記していた。
ワクラという名前の由来は、「霧」あるいは「霧雨」を意味するという説もあるが、広く受け入れられているわけではない。おそらく19世紀に何マイルも離れて見られた湿地から立ち上る煙の柱という現象をワクラ火山と呼んだことによっている。 ポートレオンの町はかつて綿花出荷の拠点として繁栄し、通常はヨーロッパに向けて出荷する綿花を年間5万トン以上列車で運んで船に積み替えた。ポートレオンの人口は1,500人と、フロリダでは6番目に大きな町だった。しかし、ハリケーンとそれに伴う高潮で町全体が消えた。2マイル (3 km) 上流にニューポートの町が建設されたが、ポートレオンほど繁栄することは無かった[4][5]。 南北戦争南北戦争中、ワクラ郡はセントマークス川河口で北軍船隊により1861年から1865年まで封鎖された。南軍はサンマルコス・デ・アパラチーと呼ばれていた古いスペインの砦を占領し、ウォード砦と改名した。1865年3月のナチュラルブリッジの戦いで、北軍がウォード砦と近くのタラハシー市を占領しようとした試みを止めさせた。タラハシーは北軍が占領できていなかった南軍の最後の州都だった。北軍は全軍を上陸させることができなかったが、それでも勢力は南軍を上回っていた。南軍はセントマークス川が地下に潜る「ナチュラルブリッジ」と呼ばれる場所で抵抗することを選んだ。南軍は1日以上その守りを固めており、北軍は撤退した。戦闘の死者の大半は北軍のために戦ったアフリカ系アメリカ人兵だった。タラハシーで祝祭が計画されたが、アポマトックス・コートハウスでロバート・E・リー将軍が降伏したという電報が届いて、途中で沙汰やみにされた[5]。 20世紀グロリア・ジャホダの著作『もう一つのフロリダ』では、1900年代から1966年までワクラ郡の極貧の様子を描写している。この頃郡内には医者も歯医者もおらず、店舗は少なく、新聞は謄写版で月1回発行されるだけだった[5]。今日ワクラには数人の医者と歯医者が居り、幾らかのスーパーマーケットと郊外大型店、ゴルフ場があり、シーフードの事業が流行っている[6]。 郡名の由来「ワクラ」という名前は Guacara が短くなったものである。Guacaraはインディアンの名前をスペイン語で音表記したものであり、ワクラはマスコギー語で Guacaraを発音したものである。スペイン語の Gua はクリーク語の wa に相当し、クリーク後のアルファベットは "R" の音を表示しない。第2音節の cara はクリーク語で kala と発音された。クリーク語の無声音 "L" は常にスペイン語の "R" に置き換えられる。マスコギー語族に属するセミノール族は Guacara を Wakala と発音することになった。 ワクラはおそらくティムキュアン語なので、その意味は不明なままとなっている。インディアンの方言で「泉の水」を指す kala が含まれているとみられる[7]。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は735.74平方マイル (1,905.6 km2)であり、このうち陸地606.66平方マイル (1,571.2 km2)、水域は129.08平方マイル (334.3 km2)で水域率は17.54%である[8]。 交通主要高規格道路郡内を州間高速道路は通っていないが、アメリカ国道98号線や同319号線など幾つかの幹線道がある。その他の重要な道路としてフロリダ州道267号線、363号線、375号線がある[9]。 鉄道郡内で運行されている鉄道は無い。過去にはジョージア・フロリダ・アンド・アラバマ鉄道がタラハシーとキャラベラを結ぶ線でソップチョッピーを通っていたが、1948年には廃線になった[10]。州内初の鉄道であるタラハシー鉄道は、1983年にシーボード・コースト・ライン鉄道によって廃止された。 空港ワクラ郡空港 (2J0) は、パナシーに南にあり、長さ2,600フィート (790 m)、南北方向のターフ滑走路のみの小さな公共用空港である[11]。 海港セントマークスは小さな商業用海港であり、過去は石油産業でいくらか重要だったが、現在は商業漁業やレクリエーション用に使われる程度である。パナシーとオクロッコニーも小さな漁船団が使っている。 隣接する郡
国立保護地域
州と郡の保護地域
人口動態
都市と町法人化自治体
未編入の町
ワクラ郡は統計上1つの分類に属する。3万人ほどの人口がありながら、自治体となるほどの人口を抱えた町がほぼ無いに等しい。小さな2自治体の人口を合わせても郡人口の3%にしかならない。郡庁所在地のクロウフォードビルは、フロリダ州67郡の中で唯一法人化されていない郡庁所在地である。近年人口も密度も急成長しているタラハシー市からは僅か20マイル (32 km) の位置にあるが、この田園部の町には連続性が無い。クロウフォードビルを中心にすると10ないし20平方マイルの広さに12,000人から18,000人が住んでいることになる。 政治ワクラ郡は5人の委員で構成される郡政委員会が統治している。その他に選挙で選ばれる役人として、保安官、郡判事、裁判所事務官、資産評価官、教育監督官、選挙管理官、税徴収官がいる[15]。 教育郡内の公共教育はワクラ郡教育学区が管轄して管轄している。以下の学校がある[16]。
旧ソップチョッピー小学校は現在ソップチョッピー教育センターとなり、幼稚園前の児童と、成人の再学習学校となっている。 脚注
外部リンク政府関連
特殊地区司法関連
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