フェルナンド・ロドニー
フェルナンド・ロドニー(Fernando Rodney, 1977年3月18日 - )は、ドミニカ共和国サマナ州サマナ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。愛称はベンジャミン。 同じく元プロ野球選手のアルフレッド・フィガロは従兄弟である。 経歴プロ入りとタイガース時代1997年11月1日にアマチュアFA選手としてデトロイト・タイガースと契約を結んだ。 2002年5月4日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たす。 2003年にトミー・ジョン手術を行い、その影響で2004年は全休した。 2005年も術後の影響でリハビリを続けたが、6月4日にAAA級トレド・マッドヘンズで戦列復帰。間もなくカイル・ファーンズワースがトレードでアトランタ・ブレーブスへ放出されたことに伴い、昇格を果たす。この年は39試合に登板、トロイ・パーシバルが故障離脱したこともあり9セーブをあげクローザーとしての役割を担った。 2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[1]。シーズンでは2005年オフにクローザーとしてトッド・ジョーンズと契約したため、ジョエル・ズマヤと共にセットアップマンとして起用された。 2007年は6月途中までに1勝5敗、防御率5.68と不振を極め、結局6月20日に右肩痛で故障者リスト入りする。8月5日に復帰して以降は12イニング連続無失点と復活の兆しを見せたが、9月には月間防御率6点台と再び不振に陥った。 2008年は肩の故障から開幕は故障者リストからスタートした。6月中旬にメジャーに復帰すると、7月27日に不調のトッド・ジョーンズに代わり新しい抑え投手となった。 2009年、タイガースは複数年契約を求めたが、ロドニーはこの申し出を拒否し、年俸調停を申請。11月5日にノンテンダーFAとなった。 エンゼルス時代2009年12月24日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと1100万ドルで2年契約を結んだ[2]。 2010年はセットアッパーとしてつとめていたが、シーズン途中でブライアン・フエンテスがツインズに移籍したため、クローザーを任された。 2011年はジョーダン・ウォルデンにクローザーを譲り、セットアッパーに回った。10月30日にノンテンダーFAとなった。 レイズ時代2012年1月4日にタンパベイ・レイズと1年175万ドル(約1億3000万円)で契約[3]。与四球が大幅に減少し、それまでの4年間1.5前後だったWHIPがほぼ半分になり、4点台だった防御率が0点台と投球内容が大幅に改善。クローザーとして最終的に48セーブを挙げた。また、初めてオールスターゲームにも選出され、1回を無安打に抑えた。10月19日に最優秀救援賞とカムバック賞を受賞した[4]。 2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回WBCのドミニカ共和国代表に選出され[5]、2大会ぶり2度目の選出を果たした。同大会では抑えとして大会最多の8試合に登板し、全てを無失点に抑え、大会最多7セーブを挙げる。ドミニカ共和国の大会史上初全勝優勝に貢献した。また、投手として今大会のベストナインにも選出された。オフの10月31日にFAとなった。 マリナーズ時代2014年2月6日にシアトル・マリナーズと総額1400万ドルの2年契約に合意したことが報道され[6]、13日に球団が発表した[7]。開幕からクローザーを任され、自身初めて最多セーブのタイトルを獲得した。 2015年は54試合で5勝5敗16セーブ、防御率5.68と不安定で、8月22日にDFAとなった[8]。 カブス時代2015年8月27日にウェイバー公示を経てシカゴ・カブスに金銭トレードされた[9]。オフの11月2日にFAとなった[10]。 パドレス時代2016年2月4日にサンディエゴ・パドレスと1年160万ドル(2017年は200万ドルの球団オプション付)の契約を結んだ[11]。パドレスでは28試合に登板して0勝1敗17セーブ、防御率0.31の成績を残した。 マーリンズ時代2016年6月30日にクリス・パダックとのトレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[12]。11月3日にFAとなった[10]。 ダイヤモンドバックス時代2016年12月9日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年275万ドルで契約を結んだ[13]。 2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回WBCのドミニカ共和国代表に選出され、2大会連続3度目の選出を果たした[14]。同大会では3試合に登板し、1失点(防御率2.70)、4奪三振と好投した。 シーズンでは4月に10イニングで15失点を喫したが、5月および6月で防御率0.00を記録するなど徐々に調子を上げ、9月23日のマーリンズ戦で通算300セーブを達成した[15]。オフの11月2日にFAとなった[16]。 ツインズ時代2017年12月15日にツインズと1年450万ドル(球団側オプション付)で契約を結んだ[17]。2018年は移籍までに46試合に投げ、3勝2敗25セーブ、防御率3.09であった。また、ツインズ在籍中の2018年7月18日にミズーリ州カンザスシティでアメリカ合衆国籍を取得した。 アスレチックス時代2018年8月9日にダコタ・チャルマーズとのトレードで、オークランド・アスレチックスへ移籍した[18]。移籍後はセットアッパーとして22試合に投げ、防御率3.92であった。 2019年は日本開催の開幕戦にも出場したが[19]、17試合に登板して防御率9.47と結果を残せず、5月25日にDFAとなり[20]、28日にFAとなった[10]。 ナショナルズ時代2019年6月1日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約で合意した[21]。6月25日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[22]。イチローが引退したことで、現役最年長選手となった。移籍後は中継ぎとして38試合に投げ、0勝3敗、防御率4.05だった。ポストシーズンでは5登板連続で無失点に抑えていたが、ワールドシリーズ第4戦では満塁本塁打を浴びた[23]。なお、このポストシーズンで史上4人目の両リーグでポストシーズンの全ラウンドに出場した選手になり[24]、初の優勝も経験した。オフの10月31日にFAとなった[25]。 ナショナルズ退団後2020年7月18日に独立リーグ・アトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約。7月31日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ[26]。9月2日にFAとなった[27]。 2021年3月17日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのティフアナ・ブルズと契約[10]。2021年は28試合に登板して3勝0敗16セーブ、防御率1.80、2022年は39試合に登板して6勝1敗22セーブ、防御率3.00と、チームの守護神として結果を残した[28]。 2022年12月29日にメキシコシティ・レッドデビルズに入団した[29]。 2023年5月7日にメキシコシティ・レッドデビルズを自由契約となった[10]。5月12日に同リーグのユカタン・ライオンズと契約[10]。7月4日に自由契約となった[10]。 投球スタイル平均球速153km/h、最速160.9km/hの速球(フォーシーム、ツーシーム)と、平均球速132km/hのチェンジアップを持ち球とする。かつてはフォーシームを基本球種としていたが、2014年以降はツーシームを基本球種とし、チェンジアップと合わせて投球全体の約90%以上を占める。また、2012年まではスライダーも投げていた。チェンジアップの精度は高く、コントロール・空振り率ともに良い。その反面、ツーシームはコントロール・空振り率ともに悪く、速球系でありながらストライク率が60%を下回ることもある[30]。 クローザーとして試合終了を決めると、勝利のポーズとして天に弓を引くようなポーズを披露する。 詳細情報年度別投手成績
タイトル
表彰記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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