ロブ・ネン
ロバート・アレン・ネン(Robert Allen Nen、1969年11月28日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンペドロ出身の元プロ野球選手(投手)。父は元メジャーリーガーのディック・ネン。 現役時代は、フロリダ・マーリンズ及びサンフランシスコ・ジャイアンツで、1994年から2002年にかけて、MLBを代表するクローザーとして活躍。2001年に最多セーブ投手に輝き、通算では314セーブを挙げた。 経歴プロ入り前ロスアラミトス高校では三塁手兼投手として活躍。チームメイトにはJ.T.スノーがいた。 レンジャーズ時代1987年のMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから32巡目に指名を受け入団。 1993年4月10日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。しかし防御率6.35、22.2イニングを投げて26四球を記録。 マーリンズ時代1993年7月17日にクリス・カーペンターとのトレードでカート・ミラーと共にフロリダ・マーリンズへ移籍。移籍後も防御率7.02と打ち込まれた。 1994年も当初は敗戦処理の役割だったが徐々に安定感を増し、6月からはクローザーとして起用される。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、15セーブ・防御率2.95の好成績を挙げた。 1995年は23セーブ、1996年は35セーブ・防御率1.95を記録し、メジャー屈指のクローザーに成長する。 1997年は前年と同じ35セーブをマークしたものの防御率は3.89と悪化。それでもチームはワイルドカードを獲得し、アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2セーブを記録して、球団創設以来初のリーグ優勝に貢献。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズでは本調子ではない投球内容であったが2セーブをマークし、シリーズ制覇の立役者となった。このポストシーズンではネンが登板した試合はすべて勝利を収めた。このシリーズで記録した102mph(164.1km/h)は、現在もシリーズ最速記録である。 ジャイアンツ時代1997年11月18日にトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。 1998年はオールスターゲームに初めて選出される。自身初の40セーブ・防御率1.52・110奪三振を記録。 2000年に、41セーブ・防御率1.50・92奪三振の成績で、チームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは第3戦でセーブに失敗して延長の末敗れ、チームも1勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入った。 2001年は安定感はいまひとつだったが、45セーブを記録して最多セーブのタイトルを獲得した。 2002年は3度目のオールスターゲーム選出を果たす。8月6日のシカゴ・カブス戦で通算300セーブを達成。43セーブ・防御率2.20を記録し、チームのワイルドカード獲得に貢献。ディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップシリーズでは計5セーブをマークし、チームは13年ぶりのリーグ優勝を果たす。アナハイム・エンゼルスとのワールドシリーズでは、第1戦及び第4戦でセーブを記録。3勝2敗と王手をかけた第6戦の8回、リードした場面で登板したが、トロイ・グロースに逆転の二塁打を浴びて痛恨のセーブ失敗(この試合が現役最後の登板になってしまった)。第7戦も敗れてシリーズ制覇はならなかった。 2005年2月に引退[1]。ネンの300セーブを記念したプレートがAT&Tパークに飾られた。 選手としての特徴投球前につま先を軽く叩くという独特の投法からの最速102mph(約164km/h)の速球と、ターミネーターの異名を持つスライダーを武器とし、特にホームベース上で縦方向に急激に変化するスライダーは90mph前半の球速を誇った[2]。 入場曲は、ディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』だった。 好調時のネンの投球は、他球団の脅威であった。ナショナルリーグのライバルチームの監督は、「いかにネンを攻略するか」ではなく、「いかにネンをマウンドに上げさせないか」という結論に達していたという[2]。 詳細情報年度別投手成績
タイトル
記録
脚注
関連項目外部リンク
|