『チ。-地球の運動について-[注 1]』(チ ちきゅうのうんどうについて)は、魚豊による日本の青年漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、2020年42・43合併号から2022年20号まで連載された[2][3]。
「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品[5]。
2022年6月時点で、単行本の累計発行部数は250万部を突破している[6]。
2024年10月からNHK総合でテレビアニメ化[7]。
制作背景
著者の魚豊は前作『ひゃくえむ。』で青春のクラブ活動を描いたため、次は人が死亡するようなサスペンス劇に挑戦したくなったという。魚豊は次のように語っている[5]。
中世のヨーロッパって、自然科学の知性と、暴力的なフィジカルが渾然一体と結びついています。そのアンバランスさが、現代から見たら面白く映るのではと。
天動説から地動説へ移行する、知の感覚が大きく変わる瞬間がいいんですよね。哲学と結びついて、「コペルニクス的転回」や「パラダイムシフト」って言葉が生まれるくらいの衝撃を与えました。その瞬間が面白くて、漫画にしようと決意しました。
フィクション性
現代の日本では、ガリレオ裁判などの印象が強いためか、「中世ヨーロッパでは地動説を唱える者へのキリスト教による激しい迫害・弾圧があった」と信じられていることが多いが、魚豊が「史実ではどうやら、地動説ってそこまで迫害を受けてはいなかったらしい[5]」と語ったように、必ずしも地動説を支持した人の全員が処刑されたわけではない。実際の史実では、地動説を唱えたコペルニクスは領主司祭を務めるなど教会と良好な関係を持っていて、1533年に教皇クレメンス7世に地動説を伝え好評を得たが、それをあえて出版しようとはせず、周囲の勧めでようやく死の直前になって『天球の回転について』を出版している[8][9]。出版直後から、地動説を断罪しようとする動きがカトリック教会側にもあったが、それをしようとした教皇宮廷神学顧問のバルトロメオ・スピナとドミニコ会の同僚、ジョバンニ・トロサーニが相次いで死亡したので、それは表面化しなかった[10]。
一方で、コペルニクスの後の時代に、反教会的な主張を多数したとして告発されたジョルダーノ・ブルーノは、コペルニクスが主張した地動説に基づく宇宙観による自説だけは断固として撤回せず、1600年に火刑に処された[注 2]。ルネ・デカルトはその著書が禁書目録に指定され、教会の迫害を恐れた彼はヨーロッパの中でも比較的安全なオランダで多くの時を過ごした。また、地動説が認められなかったというのも、特定の時代に限られたことであり、現在では認められている。つまり1992年10月に、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が地動説を認める以前の期間までのことである。
そのため本作品は、作者が意図して史実とは違うフィクションを描いたものであり、登場する国名も「P王国」などとなっている。
魚豊は「この勘違いも面白く感じて、テーマにしたい! と思った」と語っており、本作で描かれる「地動説へのキリスト教による苛烈な迫害」はあくまで虚構のものとして描かれていると考えられていた[5]。
しかし、終盤において地動説は異端だと必ずしも解釈されるものではなく、一律・一般的な迫害は存在しないと明言された上で、作品描写のような限定された場所での時の権力者の独断による異端判断など[注 3]歴史となる記録には残らない形で揉み消しつつ迫害された人間が存在したことが、民衆には上述の勘違いを引き起こすに至ったという史実性と整合し得る解釈が提示された。ただし、それも3章までこの解釈に基づく作中世界もあくまでフィクションであり、匿名表記を外した一切の迫害描写がない現実世界を思わせる最終章は繋がらないパラレルワールドとの解釈も可能な作りにはなっている。
いずれにせよ、近代化によって宗教の絶対性が揺らいでいったことは事実であった。そういった時代の変わり目に、人々の価値観が変わっていく様子が描かれている[5]。
題名
『チ。』という題名の意味は、大地(だいち)のチ、血(ち)のチ、知識(ちしき)のチの3つからなる[5]。
また『。』(句点)をつけた意図は、魚豊の好みでもあるが(前作『ひゃくえむ。』でもつけた)、主眼は「句点は文章の終わり、停止を意味する」ことにある。魚豊は次のように述べている[5]。
大地が停止している状態を「。」で示していて、そこに地動の線(チ)がヒュッと入ることで、止まっていたものが動く状態になる。「地球は動くのか、動かないのか」を「。」で表現しています。
さらに、『チ。』という一文字と句点のみの題名にすることで、インターネットで検索をしづらくする狙いもある。魚豊がインターネットで作品名を検索(エゴサーチ)して他者の意見から影響されることを防ぎ、さらには読者が他者による感想に触れずに自分だけの意見を持つことを志向した[5]。
あらすじ
15世紀前半のヨーロッパの「P王国」では、「C教」という宗教が中心となっていた。地動説は、その教義に反く考え方であり、研究するだけでも拷問を受けたり、火あぶりに処せられたりしていた[11]。その時代を生きる主人公・ラファウは、12歳で大学に入学し、神学を専攻する予定の神童であった[12]。しかし、ある日、地動説を研究していたフベルトに出会ったことで地動説の美しさに魅入られ、命を賭けた地動説の研究が始まる。
キャッチコピーは 「命を捨てても曲げられない信念があるか?世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?」
登場人物
声の項はテレビアニメ版の声優。
第1章
- ラファウ
- 声 - 坂本真綾[7]
- 12歳で大学に進級し、神学を専攻する予定だった神童。ある日、フベルトと出会い、地動説の美しさに魅入られる。フベルトの処刑後はフベルトの意思を継ぎ、極秘に研究を続けるが、義父・ポトツキの密告によりノヴァクに捕まる。捕まった翌日の裁判で地動説を信じると宣言し、その夜、服毒自殺した。
- フベルト
- 声 - 速水奨[7]
- 地動説を研究し、異端者として捕まっていた学者。改心したと嘘をついてポトツキに引き取られたが、出所時に出会ったラファウと共に天文の観測を続けていた。しかし、ノヴァクにその事実がバレてしまい、火あぶりに処された。ノヴァクに研究がバレた際、自身の研究資料をラファウに託した。
- ポトツキ
- 声 - 巻島康一
- ラファウの義父。ラファウが地動説の研究をしていることを知りながら黙認していた。しかし、以前、地動説を研究して捕まったことがあるため、異端を黙認していたことがバレると火あぶりになるとノヴァクに脅され、ラファウが地動説の研究をしていたことを密告する。
- ノヴァク
- 声 - 津田健次郎[7]
- 元傭兵の異端審問官。常にけだるげな態度をとっている。
第2章
- オクジー
- 声 - 小西克幸[7]
- 代闘士。超ネガティブ思考。優れた視力を持つが、空を見ることを恐れている。現世に何も期待しておらず、早く天国に行きたいと願っている。
- グラス
- 声 - 白石稔
- オクジーの同僚。超ポジティブ思考。家族を亡くし絶望していた中、火星に希望を見出した。
- バデーニ
- 声 - 中村悠一[7]
- 修道士。「人生を特別にする瞬間」を求め、教会の規律に従うことなく純粋に「知」を追求した結果、眼を焼かれ田舎村に左遷された。知識量、計算力など並外れた頭脳をもつ。右目に眼帯をしている。
- ヨレンタ
- 声 - 仁見紗綾[7]
- 天文研究助手。14歳。宇宙論の大家の施設に入れたが、「女だから」という理由で満足に研究をさせてもらえずに絶望している。バデーニが出題した難問を解くなど、施設でも有数の頭脳をもつ。コルベの助手。
- ピャスト
- 声 - ふくまつ進紗(青年期:浪川大輔)
- 宇宙論の大家。ヨレンタの雇い主で、完璧な「天動説」証明に人生を捧げている。女性差別問題について一定の理解がある。
- コルベ
- 声 - 島﨑信長
- ヨレンタの先輩。ヨレンタが作成した論文を自身の名義で発表。ヨレンタの実力を認める度量はあるが、女性軽視の感覚は抜けていない。
- 異端者
- 声 - 三瓶雄樹
- 輸送中にグラスを説得し、共に脱走する。ノヴァクの攻撃からオクジーを庇って死ぬが、フベルトの首飾りと研究資料をオクジーに託す。
- ノヴァク
- 元傭兵の異端審問官。1章より老いたが剣の腕は衰えておらず、オクジーに「戦ったら多分(自分が)死ぬ」と諦めさせる程。家族に自分の仕事の詳細は伝えていない。
- アントニ
- 声 - 三上哲[13]
- 司教の息子。教会の今後を考え、ノヴァクを敵視している。
第3章
- シュミット
- 異端解放戦線隊長。解放戦線の志願者に入隊試験を行う。
- 殺し合いは人間が原因だと考え、自然を崇拝することに。
- フライ
- 異端解放戦線メンバーの1人。この頃、まだ一部の人間しか知らない最新技術であった爆薬の調合に秀でている人物。
- レヴァンドロフスキ
- 異端解放戦線メンバーの一人。
- ヨレンタ
- 異端解放戦線組織長。異端解放戦線の根幹ともいえる「地動説」を世に広めるという目的のため、活版印刷での本の制作を計画。他の「地動説」支持者と同じく、生涯をかけて「地動説」を後世に繋ぐ。
- ドゥラカ
- 黒髪の少女で移動民族の1人。ヨレンタの意志を継ぐ。
- ノヴァク
- 元異端審問官。かつて部下であったダミアン司教に個人的に雇われている。
- アッシュ
- 異端審問官。
- アントニ
- 司教として登場。ノヴァクを敵視している。
最終章
これまでのP国やC教などイニシャル表記ではなく、ポーランド王国と明言される。作品の舞台が「地動説が迫害される世界を描いたフィクション作品」から「現実世界のポーランド」を描くものへと移行したのか、3章までの世界と最終章の世界は、地動説への迫害の有無が異なるパラレルワールドとして取り扱われているのか[注 4]、は濁されている。
- アルベルト・ブルゼフスキ
- 1470年ポーランド王国にてパン屋手伝いをする青年。かつては「学ぶこと」が大好きだったがあることをきっかけに学問嫌いに。 しかしある日、司祭と話をしたことで再び学問の道へ進むことになるーー。
- 実在した人物。アルベルトの元で天文を学んだ生徒の一人にニコラウス・コペルニクスがいた。
- ラファウ
- 少年時代のアルベルトの家庭教師。1章の主人公と同名であり、外見や出自の経緯も一致している。
- 真理を追い求めた者が必ずしも正義とはいえないという1章との対比意図とも、本章のラファウこそ「現実世界のポーランド」での同人物であり、第3章までは別世界のパラレルワールドだったことを示唆しているとも考えられる。
- 親方
- アルベルトが世話になっているパン職人。
- 司祭
- アルベルトの懺悔を聞く。ヨレンタを逃したP国の異端審問官の同僚を連想するが、上述のパラレルワールド説によれば、地動説への迫害関係とは異なる罪を犯した友人を見捨てるという抽象部分で重なる「現実世界のポーランド」での同人物とも考えられる。
評価
2021年、「マンガ大賞」第14回(2021年)にて第2位[11]。「次にくるマンガ大賞2021」にてコミックス部門第10位[14]。『このマンガがすごい!2022[15]』オトコ編にて第2位。第1回『このマンガがすごい! 芸人楽屋編』にて第6位[16]。『THE BEST MANGA 2022 このマンガを読め!』にて第6位にランクイン[17]。
2022年、「漫道コバヤシ漫画大賞2021」ではグランプリを獲得[18]。「全国書店員が選んだおすすめコミック2022」にて第5位[19]。「マンガ大賞」第15回(2022年)にて第5位[20]。同年4月には第46回「講談社漫画賞」総合部門の最終候補に選出[21]。同月には第26回手塚治虫文化賞のマンガ大賞に選ばれている[22]。
2021年9月に単行本第5巻の発売をもって、シリーズ累計部数が100万部を突破した際は、3種類のPVが公開された[23]。
2022年11月に理化学研究所と編集工学研究所の共同プロジェクト「科学道100冊」に選出されている[24]。
2023年8月、第54回「星雲賞」コミック部門を受賞[25]。
2024年5月、第18回日本科学史学会特別賞を受賞[26]。
書誌情報
テレビアニメ
2022年6月にマッドハウス制作によるアニメ化が発表され[6]、2024年10月5日よりNHK総合にて連続2クールで放送中[7][4]。初回は2話連続で放送された[7]。
スタッフ
主題歌
- 「怪獣」[7]
- サカナクションによるオープニングテーマ。作詞は山口一郎、作曲・編曲はサカナクション。
- 「アポリア」[7]
- ヨルシカによるエンディングテーマ。作詞・作曲・編曲はn-buna。
各話リスト
話数 | サブタイトル | 脚本 | 絵コンテ | 演出 | 作画監督 | 総作画監督 | 初放送日 |
第一話 | 『地動説』、とでも呼ぼうか
| 入江信吾 | 清水健一 | 渡邉こと乃 | | 筱雅律 | 2024年 10月5日 |
第二話 | 今から、地球を動かす
| 又野弘道 | | 10月6日 |
第三話 | 僕は、地動説を信じてます
| 三好正人 | - 金正男
- Wei Xulonmg
- Kim Wonyoung
- Park Joo-hyeon
- Lee Munsu
- Jeon Byeongjun
| 10月12日 |
第四話 | この地球は、天国なんかよりも美しい
| 神志那弘志 | 川野麻美 | | 10月19日 |
第五話 | 私が死んでもこの世界は続く
| 坂田純一 | 三好正人 | - ジョン・ビョンジュン
- パク・シンジュン
- イ・ムンス
- 仲金
- 魏旭龍
| 10月26日 |
第六話 | 世界を、動かせ
| 葉摘田緒 | 渡邉こと乃 | - ユ・スンヒ
- キム・ギョンホ
- キム・ジョンバム
- イ・ガンウ
- ガン・ミエ
| 11月2日 |
第七話 | 真理のためなら
| 澤井幸次 | 森洸貴 | - ジョン・ビョンジュン
- パク・シンジュン
- イ・ムンス
- チェ・ジョンファ
- 魏旭龍
| 11月9日 |
第八話 | イカロスにならねば
| 渡邉こと乃 | | 11月16日 |
第九話 | きっとそれが、何かを知るということだ
| 川野麻美 | | 11月23日 |
第十話 | 『知』
| 清水健一 | 又野弘道 | | 11月30日 |
第十一話 | 『血』
| 髙田昌豊 | | 12月8日 |
第十二話 | 俺は、地動説を信仰してる
| 清水健一 | 川野麻美 | | 12月14日 |
放送局
インターネットでは、各話放送終了後にNetflixおよびABEMAにて配信[36]。なお、NHK総合のサイマル配信を行っているNHKプラスでは同時配信は実施するものの、追っかけ再生並びに見逃し配信には対応していない。
amazarashi との往復書簡プロジェクト「共通言語」
互いに相手のために制作した新たな作品を発表し、作品を通じて会話を交わすという新しい試みとして2022年3月より往復書簡プロジェクト「共通言語」がスタート。amazarashiの楽曲「1.0」をテーマにした魚豊描き下ろしイラストとMVが製作され、同年6月には漫画「チ。」をテーマにしたamazarashi 書き下ろし楽曲として「カシオピア係留所」がリリースされた。
脚注
注釈
- ^ 「地球の運動について」の前後にある「横線状の文字」は、原作漫画出版社の小学館の公式サイト・ビッグコミックBROS.NETでは「音引き」、テレビアニメ放送局であるNHKの番組サイトでは「ダッシュ文字」、アニメ公式サイト では「音引きだったりダッシュだったり」と、メディアによって表記がまちまちである。
- ^ ジョルダーノ・ブルーノは24もの罪状によって異端審問にかけられており、地動説だけが理由ではない。しかし24の罪のうち最後まで撤回を拒んだのは2つだけであり、そこに地球が動く説が含まれていた
- ^ 他にガリレオを連想する計算上の仮説としてではなく唯一の真理と強硬な人間に対しても、と例示。
- ^ 前者との連続性を認めると地動説への迫害もC教すなわちキリスト教の一部の者が、ポーランド王国で過去に行ったとフィクション性が引き継がれるが、パラレルワールドならば遮断される。
出典
外部リンク
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